岩佐 寿弥氏(映画作家

40年前、しばらく芝居から足を洗っていて、そのころ岩佐氏に出会い、氏の映画「反軍No2」「反軍No3」「反軍No4」「眠れ蜜」にかかわった。最首悟氏、池内史郎氏、佐々木幹朗氏、その他おおくの関西の友人達を氏をとおして知った。氏によって、僕の娑婆との関係が(日常生活から極楽トンボ的交友関係まで)ガラっと様変わりしたのだなと、つくづく思う。以来何人の葬儀に一緒に出たろうか? 人生の後半を一番親しく交わっているとそういうことになる。
追伸 その彼を2013年の春亡くした。最首 悟氏、福富哲夫氏、吉行和子氏、佐々木幹郎氏と共に送った。(和田)

 

「吸血鬼の咀嚼について」(2016年) パンフより  

記憶の魔法袋    

  丸の内や銀座界隈を〈東京の顔〉とすれば、池袋界隈はさしずめ〈東京の臀部〉ということになるだろうか。その臀部の少々複雑に入りくんだところを、さらに分け入って進んでいくと一つの小さな黒い穴に出会う。誘われるままにそこをもぐり込んでいくと、いつしか薄暗い不思議に大きく感じる袋の中に包まれていることに気付く。この袋に水を満たせば、これぞまことの<池袋〉ということになるわけであるが、それはさておきこの大きな袋こそ、小さな小さな芝居小屋、かの有名な「ル・ピリェ」というわけである。 思えばすでに十五年、一度か二度の流産難産あったとはいえ、毎年秋深い十一月に<自伝芝居〉がここで生み落とされてきたのを御存じだろうか。一つの出産が完了するや、休む暇もあらばこそ、あの薄暗い袋への回帰願望に促され、次なる出産にむけて着々企みごとが開始される。たった一人の男の頭蓋の奥の底、そこは真っ暗闇の孤独地獄、そんな中から引き出される数々の記憶の断片、その男、力ずくでもって捏ねあげ練りあげそれを一つの塊に仕上げれば、あとは集団組んで勢いづけ、あの薄暗い袋へ向かってドッとなだれ込む。かくしてその男と集団の各員は、しばし袋の中から内壁を見上げ見下ろし後ろ向き、「ああ、また帰ってきたなあ…」と眩く。 年ごとの企みごとは斯くの如くに進むわけだが、さて〈自伝芝居〉とは何か? ここで言う〈自伝芝居〉とは、<自分がたどってきた人生の起伏に満ちた物語を、ほぼ時系列に従って展開し、観る者の情緒をゆさぶる芝居〉とは違う。〈たった一人の男の頭蓋の奥の底、そこは真っ暗闇の孤独地獄、そんな中から引き出される数々の記憶の断片〉なのであるから、時系列や物語なんてありはしない。ただ無差別に床上にばらまかれた記憶と称する白黒の写真の群れだ。その一枚一枚を本人以外の者に覗かせようとて、それこそ何の興味も引き起こしてはくれぬ。ところが本人にしてみれば、その一枚のものすごいこと、もはや甘美で妖しげな光を放ちはじめ、己が心を捉えて離さない。さすれば何としてでもこれことわりを他人に届けたい。しかしそのままでは届かぬとあらば、ここから企みが始まるのはものの理(ことわり)。そこで記憶のカードは、仕掛けられたるもう一つの大罠の中で器用不器用あいまって、糊付けされたり剥がされたり、それは特異な調理法、仕上げは集団の肉体通して他人さまへと届けられる。一山の見事な料理に変身しても、元を正せば一枚一枚のカードであるのだから、登場人物に主役脇役あるわけはなく、さらにはそこに一貫した個性や性格の忍び込む余地もない、ましてやまとまった物語があろうはずもない。それでいて、いやそれでこそこの記憶の万華鏡、他には味わえぬ香りを放つ。これをひとたび〈自伝芝居〉と呼んでみたとき、秋ごとにあの薄暗い袋の中で、これまたここにやって来るお客様との問に交わされる秘儀の全貌が見えてくるというものだ。 さて池袋も、サンシャインに始まって、やれメトロポリタンプラザ、芸術劇場と、今ではすっかり〈顔〉とみまがう厚化粧を施し、東京も何処が顔やらお腎やら、のっぺらぼうの得体の知れぬ怪物と化した。けなげにも「ル・ピリエ」だけが、その妖しげな周りに護られて、「ここがお腎なのよお」と、その痕跡を主張している。されば、そこを愛してやまぬ一人の男とその集団が、次なる秋にむかってひた走る。そしてその秋がやって来て、またしてもあの袋の高みから、作者の記憶をつい自分の記憶と錯覚し奇妙な快感味わって去っていく客があるかぎり・秋の今宵の「ル.ピリェ」こそ<記憶の魔法袋>というべきか。
 
 

「やぶにらみのアリス」(2004年)パンフより

夜の樹芝居の不思議 

   広辞苑で「戯曲」を引いてみた。「①、上演を目的で書いた脚本。台本。②①の形式で書いた文学。劇文学。」とある。 秋深く催される恒例の夜の樹の公演が近づき、作、演出、俳優の和田周から、戯曲「やぶにらみのアリス」が送られてきた。読み進むうちに、「戯曲」というものが、舞台で上演される芝居から離れて、どのような自立した価値をもつものなのかをしきりに考える。戯曲全体をとおして訴えてくるメッセージを読み取ろうなどという殊勝な気持ちを抱こうものなら、和田周の戯曲はたちまち完全に不可解なものとなってしまう。広辞苑②の「台本形式で書かれた文学」とは思えない。では、舞台でのハプニングを生み出すためのメモとしての台本かといえば、それは全く違う。(和田周の芝居はハプニングに過大の価値をもたせてはいない。)では何か。彼の戯曲は「純粋に上演を目的とした最初の行為であり、その行為は文字でなされる」のである。 彼の芝居の目的は「芝居を上演すること」である。究極の芝居である。「芝居」であるから、そこには仕掛けも、言葉の緊密な関係も、展開も、時空の自在な変容もある。夜の樹の俳優達が積みかさねる稽古は、肉体行動をともなった言葉の応酬であり、どんな表現が戯曲のカラクリに生命を与えるか、一対一でひたすら<探し当てる>のである。そのとき、俳優の一人一人は、戯曲の従属物とはなりにくい。戯曲があらかじめ主張したいメッセージでもって書かれていないからであり、従って登場人物に特定の性格を与えることがないからである。ここでは役づくり、役になりきる、といった俳優修行は成り立たない。稽古の過程で作家、演出家、と俳優の関係はどこまでいっても一対一である。主従の関係が生じる隙間がないところで、芝居が産みだされる。夜の樹の芝居は、和田周の世界を世に主張しようという構造にはなっていない。にもかかわらず、和田周作、演出、俳優として四半世紀を貫いている夜の樹芝居は、どう考えても和田周の世界である。 「芝居を上演することが目的の芝居」を、仮に純粋芝居と名付けてみる。純粋芝居に立ち向かうとは、禁断の木の実を食らおうとする行為ではないか。それに挑み続けて四半世紀、いまだに楽園を追放されない夜の樹は不思議である。それのみならず、一緒に食おうよ、と今なお観客に呼びかけているのだ。恐ろしいことだけれども、あらゆる既成概念をとっぱらってわれわれ観客も快楽をむさぼらなければ損である。
 
to TOP 

 

 

岩下壽之氏作家) 

 
長野県佐久出身の作家である。佐久の野沢小・中学校で僕らは同級生だった。岩下氏の遣唐使三部作「定恵、百済人に毒殺さる」「円載、海に没す」「井真成、長安に死す」は氏の中国での日本語学教師経験を踏まえたうえでの緻密な調査と氏ならではの艶やかな物語性が一体となった感動的な傑作シリーズである。内輪褒めと思われたくない。(和田)
 
 
第34回公演『ざわめきの庭・沈黙の部屋』
                 

     裏返された時間に未来はあるか

 
 35回目の公演、ということは35年間が経ったということだ。劇団「夜の樹」の息の長さは主宰する和田周の心臓の鼓動の強さを思わせる。彼は息切れせず、踏み迷わず、常に全身全霊でおのれの芝居に立ち向かう。それは挑戦であり、実験であり、時にはアホ臭い地団太踏むような常識の放射である。そして、今回は、この「アホ臭い地団太踏むような常識の放射」が遺憾なく発揮された一幕だった。貶めているわけではない。齢80という年齢がもたらした健康にして健全な人生観の表白であり、和田の根っこの部分にある向日性と開放性が思う存分花開いた芝居だった。
 
 といっても、明るく朗らかな陽気な芝居というわけではない。第一場では病院に隔離された離人症患者の大言壮語が出て来る。見回りに来た同病者に向かって「男一」は大見得を切って見せる。「俺たちは一日分の記憶と一日分の言葉だけで生きているんだ」と。ここには記憶をなくした人間の厳格な自己規定が表れている、彼らは未来や過去を喪失している。ただ、今と現在だけを生きる拠り所にしている。が、その「今と現在」さえも実はおぼつかない。「俺たちは『時間』からも見放されているんだ」。時間の喪失は人間にとって致命的だ。死んでここにいることと同じことなのだから。
 
 彼らの抗いは続く。自分たちは「生きている気配が感じられない」存在だと自覚しながら、「生きるってことは、そういうふうに、時間の流れの中で世の中と生き生きと関わり合いながら暮らすことなんだよ」とつぶやく。つまり彼らは記憶を失った離人症患者でありながら、このまっとうな人生観から訣別できない。骨の髄から理性的なのである。あるいは倫理的と言ってもよい。ここには原作者和田の人格がにじみ出ている。自己を狭く一か所に閉じ込めるより、周囲に開けっ広げにして他者と関わる。これが和田の生き方なのである。 
 この第一場は「引き潮の時間(1)」と銘打たれており、同名の(2)は最後の第八場である。この終幕に至って、見ていてちょっと戸惑うほどの健全かつ理想的な言辞が奔出する。第一場と同じ離人症の「男一」が「『明日、何とかしよう』と思うその明日を奪われて平気なのか」、「世の中を変えてやろうという想いを無くして、生きていけるのか?」、「人間は誰だってそのため(筆者註:世の中を変えること)にこの世に生まれて来たんだ」と叫ぶ。いつから彼は道学者になったのかと戸惑う。教師に説教されているような感じである。 
 しかし、この終幕で、彼はのっぴきならない発見を口にする。海辺で引いていくのは「潮」ではなくて「時間」だという。「今、この瞬間、世界中の時間が過去に向かって逆さまに、目の眩むような引き潮になって時を遡っているのだ! 未来から過去へと! 明日から昨日へと!」。ここから更に「世界は破滅へ向かっているのだ」という決定的な言葉が放出される。世界の破滅、終末。彼の未来への夢見るような願望はこの破滅と終末に彩られた現代へのアンチテーゼなのだ。彼は地獄の淵で旗を振っている。この旗に織り込まれたスローガンが未来を手に入れるための起死回生の檄文になるのはやむを得ない。これこそが時間を喪失した人間が持ち得る唯一の悲願なのである。 
 真ん中の六つの場面は私にとっては深刻なテーマを和らげ、ユーモアで心を解きほぐしてくれる幕間狂言に映った。と言っても、実はこれらの〝遊び〟があるがゆえに芝居が芝居として成り立つのである。小説で言えばディテール。日常的な感覚で楽しめる人生の醍醐味であり、卑猥やおのろけ、見えやおとぼけで観客をうっとりさせる。しかし、単なる体験や記憶から生まれた生活の断片ではない。周到な準備のもとに選び抜かれて俎上に載せられている。まず第二場。「思い出しか目の前に現れないここはどこ?」という言葉が何とも切ない。続く「わたし達は何処から来て、何処へ行こうとしているのですか?」。永遠の問いかけである。『人生は夢』とつぶやいたのは、17世紀のスペインの劇作家、カルデロン・デ・ラ・パルカ。 
 第三場は和田の戯曲でおなじみの「青梅市立病院」における「ベッドの上で冷たくなってる」男女の睦み合い。むろん、思い出の反芻。和田の女性に対する優しさがこういう場面で悲しくなるほどあふれ出てくる。第四場「恋重荷」は残酷。世阿弥がこしらえたこの残酷劇は古来恋慕される女の矜恃と驕慢の見本とされたが、似たテーマに「深草の少将百夜通い」がある。例の小野小町伝説である。このテーマを近親相姦に事寄せて卑近な日常の場で展開してみせた手腕は、別の意味で残酷にしてかつ秀逸。姉妹の口走る「やったね」が心憎い。同時に肩を落として悄然と消えていく「お爺ちゃん」の哀れな姿。桃の木が待っているとは、カリカチュアも度が過ぎている。この「お爺ちゃん」は世の老人の嘆きを一身に背負ってとぼとぼと歩んでいる。 
 第五場「呼び声」は一転して痛々しさが肌を刺す。二度目の手術で幽明境を異にする「女」は生と死の境界で呻いている。こんな中でも、いや、こんな中だからこそ「女」にとって「あなた」は必要不可欠な存在なのだ。「女」には独り静かに死んでいくことはできない。男の愛が必要なのである。同じことは第六場「森の中」でも言える。が、こちらは深刻さの度合いが違う。「女」は森の中で「男」に殺された。男はその後も生き延びて死んだ「女」と再会する。二人の間には「ひと筋の時間しかない」が、途中の互いに意識することのできなかった空白の時間は「僕が失くしちまったんだ」と「男」は悔やむ。が、「女」は「失くした」のではなく、「あなたはわたしとあなたの物語の繋(つな)ぎ目のページを引きちぎって焼き捨てたのです」と「男」を責める。だから、「ここに座っているのは、あかの他人と女とその男です」と。「引きちぎ」られた愛は人生そのものをも切り刻む。
 第七場「微笑」に到って、兄妹の睦まじさにやっと救われる思いがする。しかし、二人はすでに死んでいる。兄はベッドで、妹は交通事故で。それでいながら、この兄妹の思い出話は不思議な郷愁を誘う。心を和ませてくれる。作者の幼少期の体験が物を言っているのだろう。和田の戯曲に時折り顔を出す子供時代の家族の姿は、それがどんなに悲劇的にデフォルメされていても愛情に満ちたぬくもりを感じさせる。ここには亡き家族への鎮魂の調べが奏でられている。 
 再び終幕に戻る。さまざまな思い出を乗せた「ノアの箱舟」は、逆流する時間を押しのけて未来へ漕ぎ出そうとしている。「世界は滅びつつあるんだ!」と絶叫しながら「人には生き甲斐ってものが必要なんだ」とつぶやく「男一」。これは矛盾ではない。「男一」はいま自分が生きている場所が「世の中の人間が、今、生きている時間とは別の場所」であることに気付いている。それでいながら苦境から抜け出せない。病院に拘束されているからである。しかし、この閉塞状況が逆に「男一」ら離人症患者たちの神経を研ぎ澄まし、世の中の正常なありさまを透視させてくれることは確かである。間違っているのは正常だと思い込んでいる〝健常者〟の方かもしれない。                   
                      (2018.10.31)
 
 
 
第34回公演『ざわめきの庭・沈黙の部屋』
 

                 切なさと豪快さと――喧騒と静謐の狭間で――

 
「夜の樹」の芝居は一大曼荼羅図である。曼荼羅は言うまでもなく密教の説く仏の集合世界、主尊に位置するのは大日如来である。大日如来を中心に諸仏諸尊が一堂に集い形成する宇宙の暗喩である。今回の「夜の樹」の公演『ざわめきの庭・沈黙の部屋』を見て、ああ、これは大日如来のいない曼荼羅図だなあと思った。大日如来の不在というところが肝心な点で、これゆえに統合や秩序といった人工物とはいっさい無縁の、自由奔放な生命の躍動が可能となる。和田の演劇はついに自らを大日如来と化してしまった。和田が背後から見えない糸で操る主なき曼荼羅世界の出現である。 
実際、見終わって感じる不思議な感動は異様な痺(しび)れを伴っている。これは日常から異界に連れ去られた時に感じる戸惑いと同根である。日常性を排除し、常識を覆し、安心立命を忌避する強烈な反逆精神が生み出した霊妙なる違和感である。この芝居は観客に夢を強いる。この夢が醒めない限り、舞台は死者の声を代弁する俳優たちの声と演技によって永遠に生き続ける。夢とは何か。異次元世界への誘惑であり、混沌と不安がないまぜになった異界への導きである。
 
時間と空間が引き裂かれるのは「夜の樹」の芝居ではごく当たり前の光景である。今回は吸血鬼の帰って行く墓場の隅に新たな空間が発見されて、世界の奥がもう一つ広がった。生の世界、死の世界に、さらに天地の境界の定まらぬ曖昧模糊とした第三の世界が出現した。空間が三層構造になって、より複雑化した。和田は空間の枠を無限に押し広げて世界をボーダーレスにしてしまう。 
 例えば、第4場「戸口の外で 二」における未亡人のもとに通い詰める「恋する男」の切ない独り芝居。この熱演には観客は大いに泣かされるが、「つらいだけなの」「これ以上私を苦しめないで」という「奥さん」の貞淑ぶりには慄然とする。この場面が妙に印象に残るのは、戦後の一時期、戦争未亡人が巷にあふれ、子供を抱えてひそかに性の欲求を耐え忍ばねばならなかった女盛りの「奥さん」たちの悲劇が今でも目に浮かぶからである。そういう時期を和田も私も小学生時代に同じ信州で体験した。もちろんこの残酷さに気付くのはずっと後年、おとなになってからだが、実はこれは時代を超えた理想の愛の姿なのである。和田の戯曲は人間存在の原型を関係性の中に見出すという特徴を持っているが、男女の愛こそはその典型である。この点では和田は奇妙にストイックであり、古典主義者なのである。女の美しさが崇高に輝くのはまさにこのストイシズムにおいてである。仏心あふれる曼荼羅世界にこのような愛欲場面を取り入れて男女の機微を露わにしてくれる演劇手法に改めて拍手を送りたい。
 実は今度の芝居は、曼荼羅と同時に、連句を思い浮かべて仕方がなかった。一場一場が表面的には何の繋がりもなく、ばらばらである。これは従来もそうであったが、今回はこの手法が極まって、前後に関連のない出来事が次々と登場する。筋書きの否定であり、順序や因果関係の抹殺である。それでいて全体が一つの宇宙を構成しているのは連句特有の「匂い付け」が働いているからである。近すぎてもいけない。遠すぎてもいけない。日陰に咲く地味な草花の放つあるかなきかのかすかな「匂い」だけが場面を繋ぐ唯一の手がかりである。その「匂い」とはまさに「愛」にほかならない。関係性のもとにおいてのみ存在する人間同士の繋がりの基本である。これを和田はさりげなく提示してみせる。「作られた物語」としてではなく、「あるがままの現実」として。思想や主張といった現代的な知の営みを作者はまるで信用していない。一つに括られた思想などというものはまやかしであり、そこから排除された雑多な不純物にこそ真実が宿るとでも言わんばかりである。そのためには構成上の支離滅裂は度外視しても構わない。そこから新しい演劇世界が始まると和田は固く信じている。 
 愛の希求とともに「夜の樹」の芝居で目立つのは「ずらしの技法」である。第5場「測量」で、男女の目の位置の違いに着目して、目線のずれが視野のずれを誘い、さらには人間のものの見方、考え方を多様化するという現象が明らかにされる。これは怖い現実だが、日常、我々はこれに気付かずに平気で動き回っている。この「ずれ」によって世界を眺めれば抜きさしならない驚天動地の光景が眼前に展開する。ふだん我々は他人と何とか一致点を見出そうと努力し、共通項を求めてのたうちまわり、時には暴力を振るうことさえ厭わない。そうまでして仲良く睦み合うことが至上命令になってしまっている。このご機嫌取りに逆らうのが演劇の使命なのである。異端に徹しなければ物事の本質は捉えられない。これは演劇だけでなく、あらゆる芸術に当てはまる真理である。 
 第6場「クロスワード」と第7場「背後から」は時間の概念に対する挑戦である。「クロスワード」では「思い出」こそが人生の本質であることを叙情的に暗示している。同時に、人間にとっての体験、過去とは何なのかとい課題を改めて考えさせられる。「背後から」では「明日の夢を語る」という奇妙な場面が展開するが、これは時間の逆転というより、時間の解体である。我々の日常は時間によってがんじがらめにされているが、夢は無意識のうちに時間の制約から我々を解き放ってくれる。夢においてこそ本当の自由が保証される。「背後から」というタイトルはその点でいかにも象徴的である。我々はいつも誰かに背後から覗かれている。とすれば、その「誰か」とは誰なのか。 
 曼荼羅図の中心にいるのは大日如来である。今回の芝居では大日如来が画面から姿を消して、作者の和田自身が大日如来と化して画面の背後から演技者たちを眺めている。実際の舞台では、劇中劇のように「男四」は「女三」の背後に立って、「明日の思い出」を語って聞かせる。本来、未来を語れるのは預言者だけである。続く第8場「沈黙の部屋・ざわめきの庭」に到って、状況ははっきりしてくる。時間が止まり、あらゆるものが「輪郭をなくして暗い水の中に浮かんでいるような」気分になる。これこそが時間と空間を超越した永遠に通じる世界なのである。「女四」が口にする次の言葉は意味深長である。「すごく簡単なことかもしれない、わたし達が考えることをやめたら・・・余計なことをやめにしたら・・・わたし達の外で・・・わたし達を抜きに・・・時間と場所がゆっくりと動き出してくれるかもしれない」。 
 最後の第9場「子供部屋」で、時間と場所は激しく衝突し、化学反応を起こして空中分解する。その爆発点がチェーホフの『桜の園』の登場である。ラネーフスカヤ夫人のパリからの帰郷を迎える大勢の殿方やご婦人たちのざわめき。しかし、そのざわめきは川で溺れ死んだグリーシャの遺体を運ぶ葬列の発する喧騒だった。グリーシャは短編小説『子どもたち』に出て来る「くりくり坊主」のかわいい男の子である。この子が突然『桜の園』で溺れ死んだ哀れな子に変身する。なべて子供の死はその痛ましさでこの世を氷のように冷たく包む。「子供部屋」がいまだに「子供部屋」と呼ばれている理由がこれで明らかになる。ここには無限の郷愁に彩られた取り返しのつかない過去が「沈黙」したままで提示される。過去とは歴史であり、それを思い出すことによってしか我々は歴史に参画できない。主のいなくなった子供部屋の沈黙とはまさにこの世の終わりを意味する。ざわめきながら子供の亡骸を担架に乗せて運んで行く絵のような一団。彼らが物に脅えたようにハッと立ち止まった瞬間、この世は静謐に包まれ、芝居も幕を閉じるのである。
                         (2017.11.03)
 
 
岸辺の鉱石ラジオ 2016年    
  記憶を失くした生者へのレクイエム
      ―『岸辺の鉱石ラジオ』の醸し出す静謐  
                                
  ちょうど一時間、例年よりやや短めの「夜の樹」の公演『岸辺の鉱石ラジオ』を見終わった時、ちょっと不思議な感慨にとらえられた。いつもと違う。静かすぎる。狂騒がない。修羅場もない。慟哭や怨嗟の叫びもない。一瞬、作者は年を取ったのかなと思った。それほど今度の舞台は静かだった。が、決して勢いに欠けているということではない
 帰り道、歩きながら考えた。ははあ、これが「鉱石ラジオ」なのだ。こう名付けた由縁なのだ。作者はこの世から一歩退いて、というより完全にあの世から人間たちを見ている。舞台を出入りする男女はみな亡霊なのだ。静かであっておかしくない。静かでなければならないのだ。「鉱石ラジオ」はこの言葉自体が、そして物自体がすでにノスタルジックだが、ラジオとしては不完全で、しばしば音声が途切れ、頻繁に故障する。まるで耄碌した老人のようだ。そして、この芝居自体が老人が生前を回顧して演じる虚無と妄想の世界なのだ。
 なるほど「鉱石ラジオ」だ、と私は胸につぶやいた。それなら「岸辺の」とは何なのか。岸辺があるということは川がすぐそばにあるということだ。川とは何か。言わずと知れた「時間」の比喩である。滔々と流れる時間の脇に置かれた鉱石ラジオは、解体され、断片と化した人間の記憶が醸し出す曖昧模糊とした生の営みそのものなのである。そこでは不確かであること、齟齬を来たすこと、噛み合わないことが日常であり、それに気づかずに生きてきた人間たちが、死んで初めてその事実を教えられる。生は死に比べてはるかにいい加減で、危うい存在である。死んでみないと分からないことが実際に多いのではないか。
 圧巻は第四場「死なない蛸」と第六場「寒くないか?」である。「死なない蛸」はおのれを食い尽くして「無」となって未来永劫生き続ける死者の「魂」の暗喩である。皮肉にもこの話が出てくるのはかつて親しかった男女の再会の場面である。夫婦だったのかもしれない。男は十年前に死んでいるのだが、ふとまだ生きている女の前に現れる。女はあの世から迎えに来てくれたのかと喜ぶが、男の口から出た言葉は「しようよ」という若者顔負けの執拗なセックスの誘いである。この妄言が実に悲しい。
作者の和田周は人間の基本的な在り方を人間の関係性に求めるタイプである。関係性はしばしば男女関係という形をとるが、そこにはアダムとイブ以来の根源的な問い、性欲の問題が横たわっている。恋愛もまた性欲の一形態である。そうであってみれば年齢や性別は関係ない。いくつになっても人間は性的な生き物なのである。和田の戯曲では、その性が突発的に、直立した男根のように男の口から漏れ出て観客を戸惑わせるが、この手法は極めて純真な「照れ」の裏返しでもある。あからさまで耳をふさぎたくなるが、実は観客の心には思い当たる節が多々ある。おのれの恥部を露出させるような恥ずかしさは、性欲の内在を意識させられた代償である。かくて、和田の芝居における「淫らさ」は人間の根源に迫る崇高さを獲得する。観客は辟易しながらも「しようよ」というセリフにひそかに酔いしれる。それに対して、七〇歳を過ぎた女は貞淑に反発してみせるが、「肌蛍」のエピソードを聞いて心を癒される。愛の極致を表した言葉としてこの「肌蛍」は至上の輝きを放っている。おもしろいのは、エロスが美の極致に昇華された今わの際でも、男は「或る物すごい欠乏と不満」を抱いて「うっとり」していることである。対する女は「淫らそのものの光をまとって闇の中に浮かんでいる」ような聖性を帯びた存在である。この男女の違いは宿命と言うほかない。そしてこの違いが逆に男女を寄り添わせ、人間関係の深いところで切なさを生むのである。あの世から迎えに来たのか、それとももう少し生きよと言いに来たのかと問う女に、男は「おまえの好きにしたらいい」と突き放す。これしか言いようがない。
 第六場「寒くないか?」はもっと悲しい。中年の女は「一日一日、言葉と記憶と表情をなくしていく」が、なぜか「寒い」という言葉にだけは反応して「すこし笑ってゆっくり首を振る」。彼女には「病室の前の廊下を若い背の高い介護士が通る」のを見ると「ベッドからその男のあとを目で追って声をたてて笑う」しぐさもする。この六場で注意すべきは、、中年の女を相手にする男が二人いることである。「中年の男一」と「中年の男二」。二人はロッキングチェアーに座った女に交互に話しかける。「男二」の方はかつて女と映画を見たり、アマチュア合唱団で歌の練習をしたりした仲だったが、やがて「駄目になった」。それに対して、「男一」の方は病気の女に寄り添っている夫らしき人物である。「男二」に話しかけられても女は無反応だが、「男一」の場合は女から「笑いかける」ことがある。あたかも「あの時」は「楽しかったね」と言わんばかりに。
 ここには夫婦愛が表現されていると思わざるを得ない。かつての恋人「男二」には何の反応も示さないのに、夫である「男一」には微笑を浮かべて生の鼓動を伝える。薄れかけていく記憶の中でも、愛は健在なのである。ここで「寒くないか?」と題された一場を挿入したことの意義は大きい。「夫婦愛」なぞと矮小化できない男女の深い結び付きを思う。記憶は喪失しても「肌蛍」のように愛の痕跡は宇宙で輝き続ける。これこそが本作『岸辺の鉱石ラジオ』の主要なモチーフである。我々は「見返りの窓」(第三場の標題)ではないが、人間はみな未練を残して死んでいく。その中で永遠と言えるものがもしあるとすれば、それは宙を漂う光り輝く頬笑みだけであろう。静謐さに驚いたと冒頭で書いたが、今回の芝居は作者の死生観が横溢して間然するところがない。
 芝居には道化が付き物である。和田周の戯曲には台本を読んでいるだけで思わず吹き出す場面がある。観客へのサービスと言えばそれまでだが、古来、洋の東西を問わず道化が芝居と結び付いているのは、深刻さも見方を変えれば滑稽さに変身するという逆説的真理の表れである。滑稽さは深刻さを際立たせ、笑いながら涙を催すという独り芝居を、知らぬ間に観客自身にも演じさせるのである。今回では第三場「見返りの窓」の「老人」がまさにそれである。三途の川の橋を渡るか渡らないかという切羽詰まった場面に登場するこの老人は、二人の男を手玉に取って、みごとに急所を外してみせる。「この色男!」という捨てぜりふがいい。老練な田部誠二のハマリ役である。役者の個々の演技については触れないが、役柄を誠実に演じて出しゃばらず、さりとて控えめになりすぎることもなく、精いっぱい抑制を利かせたせりふ回しが印象的だった。(2016.11.15)
 
 
「僕はクルミの中の迷路の話をしているのだ」(2015
  夜の樹へ                                                 
 今回の『僕はクルミのなかの迷路の話をしているのだ』、事前に読んだ台本と寸分違わぬ印象で、台本の構成の妙を改めて意識させられました。全体がスタティックな展開で、セリフもモノローグで構成されているような不思議なトーンを感じました。これぞまさに死者たちのこの世への遺言として納得でき、今回が今までと違う点は、この静謐さにあると思いました。やはり『般若心経』ですね。宇宙が深まり、横にも広がりました。小6での長野の博覧会への修学旅行、鮮明に覚えています。これが「場面三 写真」で効果的に使われていますね。見送るお母さんの姿を老妻が「若い女のひと」と言うのが印象的で、「馬鹿、お袋だよ」と切り返すところが暗示的でした。息子に先立たれ、茣蓙を持って放浪するこの一場は芝居の原点、古典的なスタイルを想起させます。「未練に苛まれる可憐な死者たちの闘い」と読んだ私の解釈も訂正の必要はなさそうで、ほっとしています。それにしても田部誠二氏の演技が光っていました。抽象的な場面展開の中で、時々挟まるこれらの具体的事象が、鏡の壁面にできた傷のように、全体を忘れがたく印象付けてくれます。これは貴兄の芝居の大きな特徴でもあります。それから、女優さんたちがみな美人でびっくりしました。『夜の樹』、まだまだ発展すること間違いなしです。座員の皆さんによろしくお伝えください。
 
 
「指のあと冷たく」 (2014年)
<消失点ゼロ>の向こうへ―『指のあと冷たく』の虚無と未練―
  和田の戯曲はセリフが真骨頂である。舞台は前衛劇に特徴的な簡素であっけらかんとした空間。動きも極端に少ない。象徴的な単一の道具立てと、様式美を思わせるスタティックな身のこなしで、最後まで一気に押し通す。
 今回はセリフの冴えが特に際立った。劇評には邪道かもしれないが、徹底的にセリフにこだわって、一編を〝台本劇〟として批評してみたい。
 「こんなくだらない、最悪の俺たちの場が、現実なんかでたまるか! 夢に決まってるじゃないか」
 冒頭第一場のラストシーン、「男一」のセリフである。その時、舞台上にかすかにドアの開く音がする。「男一」は「女一」とともに客席に向かって身構えるが、場面は暗転。この第一場のタイトルは「お茶会」である。人を食ったタイトルである。
第二場は「言え」。迫力満点のこの呪詛に似た言葉は我々の日常生活の暗喩である。我々は誰もが何かを言ってほしくて日夜身もだえ、呻吟している。生きるとはこの飢えを満たす作業である。しかし、飢えは容易には満たされない。揚げ句、この「現実」を「夢」になぞらえて苦痛から逃れようとする。
31回目を迎えた「劇団・夜の樹」の公演は、これまでと趣向を一変している。場の繋がりにストーリー性がなく、それぞれが独立した一編となっているのは従前どおりだが、、そのどれもが「ああ、そうだったな。過去にこんなことがあったな」と懐旧をそそられる。が、その蓋然性の裏には恐るべき秘密が隠されている。虚無を宿している。平凡な日常のさりげない光景の背後に虚無が口をあけて待っている。
 暗転していく種々のありふれた日常は、どれも生へのいとおしさに包まれているが、誰もが自分の居場所を見失っている。満たされない思いを抱いて「言え」を連発している。が、誰に向かって怒鳴っているのかさえ分からない。そうなると、これは「現実」ではなく「夢」だと思い込むしかない。生への未練である。未練がのたうち回っているのが、この芝居の見せどころである。確かにこれほどすさまじい生への未練はこれまでの和田の戯曲にはなかった。
宿縁はすでに庭先で遊んでいた五歳のときに始まっていた。陽の当たった縁側に座った「お袋」が「おれ」を見ながら名前を呼んだ。見上げた「おれ」の目に映ったのは「お袋」の目ではなく、「お袋」の目の中からじっと「おれ」を見ている「おまえ」だった。しかもその目は「おれ」ではなく、「おれの後ろに立っている誰か違う男」を見ていた。「遠い場所の、遠い昔の男になにかを言おうとしているような・・・かすかな痛みをこらえているような」目。「お袋」と「おれ」は、「おまえ」と「おれの後ろに立っている誰か違う男」に対置され、やがて二重写しになる。「おれ」は「かすかな痛みをこらえているような」未練がましい「おまえ」によって引き裂かれる。これが悲劇の発端である。
「おまえ」とは死である。死そのもの。それが死神となって「おれ」の存在を脅かしている。死とどう向き合うか。どう対峙するか。これが『指のあと冷たく』が掘り起こそうとした主題である。この叙情的なタイトルに騙されてはいけない。萩原朔太郎も今では大正ロマンの代名詞となってしまった。しかし、この叙情の持つ切なさは虚無と未練に充分拮抗し得る。「かすかな痛みをこらえているような」「おまえ」にぴったりなのである。そして、この叙情を支えているものはやはり男と女の結び付きである。この状況にあって、どうにか和田は、というより和田の戯曲は、恐るべき「おまえ」から身をかわすことができている。
「わたし達は罪の意識に苛(さいな)まれながら、誰にも打ち明けずに焦がれあうことができるでしょう」と第三場「お伽噺」の中の「女二」は言う。「救いようのない未練の中で、心を焦がして、離れ離れに生きることが出来るでしょう」とも。そうなのだ。これらはいずれも願望なのだ。「現実」を述べたものではなく、あくまで願望、いや幻想と言った方がいいかもしれない。しかし、いつまでこの幻想を保ち続けることができるのか。
和田は明らかにひとつの転機を迎えている。「共鳴する二つの楽器になって、宇宙の息づかいと一つになって震えている」第五場の「若い女」も、第六場では亭主を取り違えても気づかない「老女」に変身してしまっている。ただ「老人一」が口にした「指のあと冷たく」の詩句にだけまともに反応し、昨夜夫がつぶやいたという「想いが断ち切れない」という言葉に生の残り火をかきたてるしか生きる術はない。この痛ましくも美しい場面にアイロニーはない。ユーモアもない。作者はこの「現実」を許容している。いや、抱擁しようとしている。そうやって「おまえ」の魔の手から逃れ、希望を持ち続けようとしている。観客はここに至って、ようやくほっと救われる気がするのである。
このあとに展開する「雪」の場面は修羅場の連続である。第七場では「男三」が関東地方一帯に雪の降り積もった前の晩に死んだ「妻」のことを独白する。同じ時刻に、祖母のもとにいた三歳の息子が「痛いよ、脚がいたいよ!」と叫んだという。この父親は第三場の「お伽噺」で「救いようのない未練」を「女二」に吐露し、彼女から「罪の意識に苛(さいな)まれながら」「焦がれあう」幻想の存在をを教えられた男である。次に立ち上がった「老女」は、「前の晩に降り積もった雪が沢山の靴あとに汚されていた」ベランダの下の情景を語る。その夜、「老女」が眠っている間にマンションから若い男が飛び降りた。彼女は昼間、右手にナイフを持ったその男から階段の踊り場で強姦されそうになった。が、男は勃起した性器を「老女」の腰骨に押し当てて「悲しみに乾涸びた女を慰めるかのように」愛撫しただけで階段を駆け上がって行った。眠れない夜、彼女はこっそり素足で階段を伝い降りて常夜灯に照らされた敷石の上に立つ。屋上を見上げ、目を閉じて、「真上から落ちて来る男のかたちをした血のかたまりを、全身に浴びる」。
大団円は、いよいよ<消失点ゼロ>の登場である。遠近法における消失点は「無」を表すという近代絵画の約束事がある。が、現実世界は「大通りと町並みがキャンバスの中で消されても」決して消えないことを、我々は知っている。あらゆる悲劇はそこから始まる。この無間地獄から脱け出すには<消失点>を突き抜けて、その向こう側に行くしかない。ここに至って<消失点ゼロ>は生死を隔てる大きな壁であることが暗示される。壁は、しかし、実際には小さな「点」にすぎない。限りなくゼロに近い「無」なのである。「無」の向こうへ行くには一つの高貴な戯れが必要である。「夢」、「幻想」、「錯覚」、あるいは「祈り」・・・。
昔の人々は、何万年も前から、そうやって<消失点ゼロ>の向こう側へ自由に出入りしていたのではないか。<ゼロ>の地点でとどまっている限り「何もかも無くさなければいけない」(第八場)から。これぞ先人の知恵である。我々はいま「向こう側」へ行った人々から、ひそかに想像力の飛躍を迫られているのかもしれない。 (2014.11.16)
 
 
「自転(反転)砂時計」(2013年)
壮絶なちゃぶ台返し―『自動(反転)砂時計』の異化 
 これまで歩んできた人生の総体をひっくり返す、――これが『自動(反転)砂時計』を見終わった直後に脳裏をよぎった感想だった。和田周の主宰する演劇組織「夜の樹」の記念すべき第三十回公演は、この題名にふさわしい時間軸の解体とその自動、反転化によって観客を圧倒した。時間軸の消失は当然、空間の存在をも溶解させる。時間と空間の同時解体である。これは「この世」と「あの世」との境界をなくし、人間の生そのものを相対化する作業である。いわば人生を、というより和田がこれまで生きてきたすべてをひっくり返して眺める壮絶な「ちゃぶ台返し」である。 
奇しくも、作中にも「ちゃぶ台返し」が登場するが(第六場)、それを端的に物語っているのはむしろ第二十四場「月の光」でつぶやかれる次の言葉だ。 
  「・・・鏡の中の世界が現実に・・・現実の世界が鏡の中に・・・物のかたちの右と左が逆転する・・・螺旋形の石段は右回りから左回りに・・・。」
人生とは何なのか。そこで体験したもろもろの出来事は本当に存在したのか。夢ではなかったのか。もしそうならば、夢を見ているこの自分とはいったい何者なのか。――このような果てしない懐疑がこの劇を壮大な異化作用の集積にしている。異化作用とはここでは自らを常識の埒外に置き、周囲と同調、一体化しないことによって、あえて保たれている危なげな自己のありようである。しかし、この「自己」もやがて解体の憂き目に遭う。 
   「あなたがあなたの記憶のなかで目を開いている時だけしか、あなたの前でわたしが生きていないことの、証拠です。」
  第十六場「帰宅」の最後の場面である。「男」は「女」の声しか聞き取れず、姿は見えない。「女」はすでにこの世の人ではない。が、「男」は執拗に「女」に帰宅しようと促す。「男」はこの死者の国から来た「女」を認識できない。女の言うなりに目をつぶっていた「男」が「目をあけてみてください」と言われて目をあけた時、「女」に抱かれている自分を見て驚く。それに対する「女」の言葉が上記の引用である。
 ここには他者の存在は記憶によってのみ留められており、実在する他者というものはないという相対化された自我が露出している。「我思う、ゆえに我あり」という近代がもたらした崇高な自我を振り捨てて、他者に向かって疾走する自我がここにはある。自我が存在するとすれば、それは他者との関係ににおいてのみである。従来の自我はすでに消滅している。他者との別離は人生における必然である。どちらの死が早いか遅いか、それだけの違いである。共に過ごした時間は物理的には長くても、すべて短い。生が有限なものとして閉ざされているからである。その意味で、他者は常に記憶の中の存在であり、しかも「記憶のなかで目を開いている時だけしか」生きていないのである。「我記憶す、ゆえに汝あり」である。
 このような不安定で不確実な生における安息とはどのような形を取るものなのか。それを暗示する名文句が第九場「してみる?」にある。
   「先行きの見通しぜんぜん立たないままこうしてるのって、なんかホッとするね。」
 この何気なくつぶやかれた「男」のセリフは見逃せない。「男」は「女」とカフェテラスの椅子に座っているのだが、互いに初対面である。「女」もこの「男」の言葉に同調するが、「男」が手を重ねてくると「よしてよ!」とすげなく払いのける。それでいて、長い沈黙の後に「だったらセックスしてみる?」と「男」を挑発する。この間合いはみごとである。「先行きの見通しぜんぜん立たない」状態が安息をもたらすとすれば、見ず知らずの相手と「セックスしてみる」ことは安息の度合いを一層強めることになる。しかも「絶対最後まで上手く行かない」ことがほぼ確実となると、「案外いいかも」と積極的に容認したくなるのは必然である。
 通常、我々は「先行きの見通し」を立てながら生きている。少なくとも一般の人間は、意識しようとしまいと、皆そうである。しかし、和田は三十年にわたる自らの演劇的営為を、今回の記念公演で惜しげもなくひっくり返して見せた。第三十回公演に矜恃や感傷はない。淡々としている。この「淡々」が曲者なのである。和田は自らの過去を「自動(反転)砂時計」の篩(ふるい)にかけて、そのエッセンスだけをよみがえらせた。従って、そこには個人的な体験が走馬灯のように顔を出す。そのありきたりで陳腐なイメージがこの劇をいい意味で宙ぶらりんにしている。いや、宙吊りの状態で原形を保っていると言った方がいいかもしれない。
   「君を亡くした年の冬に、ひとりで小樽へ行ってきた。ビルの屋上のレストランで、飯を食った。」(第二場)
   「親父は俺たち家族から見放されて一人でその街の何処かに暮らしている筈なんだ。その後ろ姿を見送りながら俺は『あ、そうじゃない!』って夢の中であらためて気が付くんだ、『親父は末期の癌にかかって、とっくに死んでるじゃないか! 葬式だってもう済んでるよ。』って。」(第六場)
「その瞬間、いきなり気がついた。十年前、男が青梅市立病院へ入院する日に駐輪場に預けた自転車を、わたしはそのまま忘れていたことに。」(第三十場)」
 数え上げたら切りがない。和田は生活の細部に殊のほかインパクトを感じる男である。そこにはいつも他者が介在している。和田が劇作の上で開陳する多様な言語遊戯はすべて人間の会話が持つ不条理の剔抉であり、相手の言葉尻をつかんだ論理的にしてナンセンスな滑稽譚である。そこには、日常の曖昧さが鮮やかに戯画化されている。それでいながら場の雰囲気がひどく明るく温かいのはなぜか。今度の芝居で、それに対する答えがようやく明らかになった。
和田は人間や人間同士のつながりを揶揄し、皮肉ったり茶化したりしながらも、目線はいつも地上を這っている。決して高みから人を見下ろすことをしない。「人間、この愛しきもの!」というBGMが和田の演劇の背後にはいつも鳴り響いている。最後を締めくくる第三十場はこのオマージュの全員による熱唱である。各自がてんでに自らの言葉で朗々と口ずさむことで、みごとな〝不協和音協奏曲〟を奏でている。「みんなちがって、みんないい」(金子みすゞ)。和田はあくまでも人間の個々を熱愛する男なのである。 (2013.11.15)
 
「恋愛劇」(2012年) 
踏みとどまる愛、そして叙情の復活―和田周『恋愛劇』試論―         
『恋愛』ではなく、なぜ『恋愛劇』なのか。パンフレットを見て、最初に浮かんだ疑問である。そして、すぐに、そうか、『恋愛』では題名にならないからな、と一人つぶやいた。というより、恋愛そのものを劇として対象化し、戯画化して、この世にはびこる「恋愛」の種々相を冷酷に茶化して見せる――これが作者の意図するところなのだなと勝手に納得した。
 確かに対象化している。恋愛という劇が進行するのではなく、さまざまな恋愛場面を設定し、そこに付きまとう恋愛の不条理を簡潔な言葉で言い当てていく。いわく「それっきり」、はたまた「終わりだな」。「帰ってよ」という女の鋭い叫びもある。どれも成就しない恋愛である。恋愛という「愛」は別れを運命づけられているのか。別れることによって恋愛は初めて成就するのか。
 恋愛は愛の中の一つである。和田はここでは恋愛以外の愛を語っていない。恋愛に対象を絞っている。これはどういうことなのか。恋愛が他の愛と決定的に違うのは、それが単独の男と女の間で演じられる点である。対極にあるのは博愛である。しかし、家族愛もある。隣人愛もある。友愛もある。これらと恋愛が決定的に違うのは、そこに肉の交わりがあることである。和田はそれを「やらせろ!」「パンティ脱いで・・・俺の上に乗っておくれよ!」と敢えて露悪的に表現している。この猥褻さは重要である。恋愛が性愛であること、そこにどんな崇高な理念を付け加えようと、所詮は動物としての生殖本能にすぎないことを見抜いている。恋愛はそこから論じなければ偽善に堕す。論じる代わりに台詞としてつぶやかせるのが芝居である。
 こう書いてきて、しかし私にはもうひとつ、気がかりな点を見つけた。「会うは別れの始め」ではないが、恋愛が破局に終わってこそ王道だと決めつけるには、この舞台はあまりに重層的なのだ。冒頭の「いけませんか?」がそれを暗示している。和田ははっきりと「精神統一」や「意識の集中」を否定し、「怪しい場所に迷い込む必要」を力説している。そうして始まった第2場は「夢芝居」と題されている。「男」は「目を醒ました夢の中のもう一つの夢に呼ばれて」「女」の家にやってくる。不倫、密会である。が、「男」は体よく「女」に追い返される。「薄っぺらな夢を見るのはおよしなさい」と。これはもろもろの恋愛がすべて「夢」であることの暗示であり、そうであれば所詮消えゆくものであることの暗喩である。「怪しい場所に迷い込」んだ人間の目から見たら、色恋沙汰もまた芝居じみた滑稽な営みにすぎないということになる。 
 それなら和田は「人生は夢」と達観しているのかといえば、決してそうではない。虚しい夢という思いは確かにある。が、和田を貫いているのは、その虚しさへの屈服ではなく、虚しさゆえに愛(いと)しさの増す人生、いわば夢の裏側に張り付いたこの世の悲しい音色への愛惜である。実際、今度の『恋愛劇』を見て、私がおやと思ったのは、舞台があまりに美しいことだった。そこには叙情さえ漂う。叙情を肯定している。これまでの和田の芝居では極力排された余情や余韻が透明な輝きを放っている。これを私は初め、例によって矢継ぎ早に繰り出される台詞の流麗さのせいかと思った。が、そうではなかった。
 この芝居には追憶が詰まっている。和田の長年の人生経験から紡ぎ出された英知が散りばめられている。それが無意識のうちに叙情を生み出しているのだ。第3場の「サヤ子ちゃん」、第5場における「花柄のワンピース」、極め付きは「遠い青梅市立病院の駐輪場で、錆びた自転車が雨に打たれている」光景である。「残して来た息子の名前」まで口にされる。これらは日常化された追憶の断片である。これらが「怪しい場所に迷い込」んだはずの男の脳裏に、ある懐かしさを伴ってよみがえる。あの世からこの世を見たときに目に入る「八〇ミリ」レンズの効用である。ここには夢こそが現実であるという逆転した異化作用がある。「三〇ミリ」レンズでは「しかし『やらせろ』はないだろう」とつぶやくしかない。この老人「カメラ男」は極めて巧妙に造られた作者の分身である。
 しかし、何と健康な道行かと私は思う。敢えて変身とは言うまい。和田のたどった人生はその片鱗しか私は知らない。が、和田にはニヒリズムがない。紆余曲折もあったろう。身を切られるような苦痛も味わったろう。が、人間に対する信頼が和田にはある。それが舞台を温かく包む。どんなにこの世を恨んでも、どんなに戯画化して嘲笑を浴びせても、そこには愛情に満ちた遊びがある。この遊びこそが和田の真骨頂ではないか。芝居に打ち込むこと自体が人生を楽しむ術なのであり、悲壮感は少しもない。幸福な男、羨むべき男である。
 
 
「夜の中の五つの夜」(2011年)
「殯の宮」の聖なる儀式 ―和田周『夜の中の五つの夜』のトポス― 
随分シンプルになったものだというのが、観(み)終わったときの感想だった。今までの和田の演劇と違う。整理されすぎている。猥雑さに欠ける。こけ脅かしがない。明らかに和田は転換期に来ているなと思った。 
  実は今回は早々と台本を頂戴していた。9月、郷里の信州佐久で中学時代の同期会があり、そこで手渡された。この時点で、すでに台本は完成していたということだろう。そこに私は彼の自信を見た。というより、期するところがあるなと直感した。 
  この同期会は毎年この時期に佐久で開かれる。彼はここ数年毎回出席している。終戦直前に一家で佐久に疎開し、中学卒業間際までここで過ごした和田とは、私は小学校、中学校とも一緒だった。私も生粋の信州人ではなく、大陸からの引揚者である。佐久がたまたま父の郷里だったというにすぎない。和田と私は&ldquo;よそ者&rdquo;という共通項で結ばれていたが、そう親しく付き合ったというわけではない。  
 しかし、今回、『夜の中の五つの夜』を観て、私は和田が過ごした信州のこの仮寓の地が大きく影を落としていることに気付いた。「桜井」という地名が出てくる。これは佐久にあった旧村落の名前だ。山津波が出てくるが、これは過去に何度もあった浅間山の大爆発を暗示している。3月の東日本大震災に触発されたものと思われる。「時計屋の娘」は、和田がほのかな想いを寄せた中学時代のクラスメートと無縁ではない。「井出」という姓はありふれているが、この表記は佐久に多い。「夜逃げ」に関しては、和田自らが佐久脱出のいきさつを語るとき、この言葉を使って憚らない。  
 「妹」的な女性が重要な役割を担うのも和田自身の子ども時代の家庭を想起させる。少年時代の和田家には美しいご母堂とフランス人形のようなかわいい妹さんがいた。和田家にお邪魔して、私は直接彼らを目にしていた。父君はなぜか昼間は二階で寝ているという。当時文壇で奇才をうたわれた作家だったことを知るのは後年のことである。  
 和田の演劇には実在の地名がよく出てくる。前衛不条理を旨とする彼の作品に、この具体性は一見似合わない。が、上演の場では生き生きとしたリアリティを獲得している。これは和田が好んで採用する仕掛けの一つと言っていい。抽象性や観念性を和らげるためではない。実在の地名が作者の内面で意識化され、普遍性を持ったトポスとしてよみがえる。「春日通り」や「上野公園」、「花園稲荷」がそれである。「妙義山」や「花敷温泉」もある。固有の地名がメタファとして機能し、舞台に不思議な奥行きを与えているのである。
 『夜の中の五つの夜』の舞台は、スポットライトを浴びた丸い空間である。これは五つの夜のどの場面でも変わらない。ここは死者たちの憩う場所である。しかし、彼らは完全に死んでいるわけではない。生と死の間(あわい)で、ひととき来し方を回想しながら、本格的な死出の旅への準備をしている段階である。蘇生はありえない。行き先は本格的な死――奈落である。そうであれば、しかつめらしく修行に励んでも仕方がない。悔恨も懺悔も無意味である。なぜなら、完全な死は「無」なのだから。その意味で、この劇は非宗教的である。が、設定においては極めて宗教的である。この点に『夜の中の五つの夜』のトポスがもたらす大きな特徴がある。  
 古代、わが国には「殯(もがり)」の風習があった。現在一般的に行われている通夜は、この儀式の名残と言われている。「殯」は仮屋を造って死者を一定期間生前の姿のまま保存する宗教儀式である。皇族の場合は仮屋は「殯の宮」と呼ばれた。数か月、長いときには三年に及んだ。古代の日本だけでなく、中国にもあった。神道とも仏教とも起源を異にする土俗的な風習である。埋葬はこの「殯(もがり)」が終わってから行われる。  
そう、和田の今回の芝居は、この「殯の宮」で繰り広げられる聖なる儀式なのである。なぜ「聖」なのかといえば、登場人物たちの眼差しがあまりに透明だからである。あまりに純粋だからである。彼らの関心は唯一、「時間」にある。生きている人間に時間がかかわるとき執着が生まれる。しかし、生を離れて死への道すがらにある「殯の宮」の住人にとっては、時間は執着ではなく、記憶と同義である。生者の野心は完全に放逐され、ただ、今の現状をもたらした過去――生きていた時代の言動だけが俎上に載せられる。審判者はいない。絶対者は存在しない。非宗教的であるという由縁はここにもある。  
引き出された記憶は、奇妙にゆがんでいる。螺旋状に渦を巻きながら下降するかと思えば、錯綜して前後の見極めが困難になる。はたまた思い違いや錯覚が混入して、死者たちを混乱に陥れる。が、これらはいずれも本当の死へと人々を導いていく癒しの儀式なのである。彼らは皆おのれの行き先を知っている。知っていながら、反発し、驚懼し、呻吟し、今の仮死状態を精いっぱい充実させようとしている。  
一切は無駄で、無意味である。はかない抵抗である。このやりきれなさが死者たちを駆り立てるのである。それは「殯の宮」という生と死の間に存在する者にしか許されない特権である。彼らだけが正確に生の本質を言い当てられる。なぜか。死んでいながら、まだ生きているからである。神経は研ぎ澄まされ、目は一点にだけ向けられ、生者の仮面をことごとく剥ぎ取って得体の知れない人間の本性を露出させる。そこに顕れ出るものはぽっかりと口を開けた大きな穴――本物の「死」である。二重底の下の、虚無の絶対層。  
台詞は例によって流麗にして淀みがない。西洋文化に親炙した和田の面目躍如たるものがある。が、今回の劇では箴言や警句が影を潜めている。アフォリズムは認識である。世の中や人生を割り切る言葉である。この合理性を捨てて、心理や心情をナマのまま提示することで、観客に判断を委ねるという手法を採った。いわば、開かれた回路を観客との間に敷いたのである。これは和田のこれまでの戯曲には見られなかった新機軸である。初めに述べた「シンプル」という感想はここに由来する。  
暗転場面で響いてくる笙の調べは絶妙だった。「殯の宮」の聖なる雰囲気にぴったりだ。宗教以前の原始的ニヒリズムの奏でる幽明境とでも言ったらよいだろうか。『夜の中の五つの夜』の真骨頂はここにあるのだ、と笙の音色に聴き惚れながら思った。 
 そして今回は、役者一同の演技がみごとにこの&ldquo;実り多きニヒリズム&rdquo;を演じ切っていました。過剰なまでの&ldquo;どたばた&rdquo;あり、奇妙奇天烈な出会いあり、果ては臓腑を抉るような哀切なモノローグありで、何より演じている当人たちが生き生きと舞台を楽しんでいるのが印象的でした。観客というのは役者の心に最も敏感に反応するものです。物語に涙する時代はとうに終わり、役者の一挙手一投足に心奪われ、共感し、果ては胸中で自ら一人の役者となって生きるところに、現代の観客の楽しみは移ってきています。  
さて、ここに至って思うのは、これほどの&ldquo;究極作&rdquo;を創ってしまった作者が、これからどういう形で先に進んで行くのかということです。一縷の?&ldquo;危惧&rdquo;を抱きながら、今後を注目したいと思います。(2007.1.6)
 
  
「蓮の花」(2006年)パンフより
ヨーロッパへは行かない 露の世ながら、さりながら       
 演劇組織「夜の樹」の2006年公演『蓮の花』を大変おもしろく見せてもらいました。 あらかじめ台本を読んで&ldquo;活字が立ち上がってくる&rdquo;興奮を覚えましたが、これはいわば文学としての頭の中での架空のおもしろさでしたが、上演に接してその生々しさに度肝を抜かれました。 
 文学作品としての戯曲は、それ自体決して過渡的で前段階的なものではありません。言葉のみを唯一の表現手段としているという点で、独立した一個の芸術作品であり、読む者に想像的な刺激を送り続けます。戯曲が文学の一ジャンルとして立派に機能していることは近代文学史を眺めただけでもすぐにお分かりいただけるでしょう。『蓮の花』は、その意味で、まず文学作品として私の脳裡に刻まれました。そして、36場の変転極まりない連句的手法が、これまでの文学にはないシュールな印象を発散していることに驚嘆しました。これについては上演案内のパンフレットに寄稿したので、ここではこれ以上は触れません。問題は、これが劇として舞台で生身の人間によって上演された時に醸し出された効果です。 
 演劇としての『蓮の花』は、人生の裏表を、&ldquo;統括的に&rdquo;ではなく、あえて&ldquo;総花的に&rdquo;表現してみせてくれました。個々の場面は人生の一断面を切り取って提示してあるだけですが、作者による周到な一場一場の設定と言葉遊びを生かしたせりふの妙によって、鮮やかに人生そのものの&ldquo;総体&rdquo;を体現してみせてくれました。そこには、若者の充溢した生と性があるかと思うと、老境の諦観と覆されたユーモアがありました。さらに、人間同士の滑稽な繋がりや、それでも他者を求めずにはいられない悲しい生き物としての人間の業が炙り出されていました。観客は笑い、かつ悪酔いしながら、その不思議な異空間に引きずり込まれました。そして、見終わってつくづく感じるのは、日常は口に出したり表には見せない自らの内部に存在する無意識の欲望・願望と、その挫折の苦さです。この思いは究極的には死への誘惑と結びついています。全編を覆っている独特な&ldquo;場&rdquo;の味わいは、エロスの底に沈んだこのタナトスの美学からもたらされたものと言えます。老いも若きも&ldquo;人生は夢&rdquo;であることを知って、慄然としながらこの芝居を楽しむというわけです。 
 20世紀に入って、小説の世界では&ldquo;意識の流れ&rdquo;という手法が流行しました。不条理劇はこれに対する演劇的な反逆だったと私は思っていますが、その根底には意識は常に&ldquo;流れている&rdquo;わけではないという批判と告発があります。流れるどころか、むしろ絶えず淀み、渦を巻き、ぶつかり、あふれ出て、手に負えないほど暴虐的で、行方の見定まらぬものです。そこにこそ、人間存在の本質がある、言ってみれば&ldquo;混沌&rdquo;こそ生命の実態そのものだということでしょう。
そんな不条理極まりない人生を一編の芝居に封じ込めようとすれば、直線上の全力疾走が不可能であるのは当然です。行きつ、戻りつ、脇見し、道草を食いながら、精いっぱいおもしろおかしく演じていくしかありません。これはドラマツルギーの問題としてだけでなく、この種の芝居を演じる役者の必須の心構えでもあります。
  
  
(2006年11月)「蓮の花」パンフより
  今季の公演『蓮の花』の台本を見せられたとき、おやと思った。題名からして、今までの和田の作品とは違う。さらに目次を見て、私の驚きは決定的となった。俳諧の連歌を模した三六場の構成。――ああ、和田は日本の伝統へ回帰し始めたのだな、と。  彼のこれまでの作品に日本的な要素が皆無だったわけではない。昨年の『螺旋袋とじ』では浄瑠璃から借用した〈道行き〉の場面が強烈なメタファーを醸し出していたし、せりふのはしはしに古典を踏まえた名句が散りばめられていた。が、概して、和田のこれまでの戯曲は不条理劇から発した西洋の伝統的色彩が濃かった。古今東西にわたる該博な知識を手玉に取るアレゴリーと、言葉遊びを基本に据えたせりふ回しのおもしろさは和田作品の真骨頂だった。その一部として、日本の伝統文化も取り入れられていたのである。   しかし、今回の『蓮の花』では、連句の〈におい付け〉を思わせる場面転換の手法を駆使して、あっと驚くような斬新な演劇空間を構築している。興味深いのは、方法論だけでなく、内容面でも日本回帰と言ってもよい現象が随所に現れることである。一見とりとめもない筋立ての奥に「日本」が垣間見られて、歌仙をひもとくような興趣が充満している。例えば、「なし崩しの負け戦だからこそ、我慢しないでしみじみ泣けるんじゃないか」(二十三 痛み)という「父」の言葉。ここには人生の無常が息づいている。さらに、死にゆく者の脳裏をかすめる「許し」の一語には、倫理的な叙情さえ漂っている。  叙情は、これまでの和田の戯曲ではタブーだった。が、『蓮の花』に至って、新たな叙情の展開を見せる。しかも、〈濡れた叙情〉ではなく、あくまで不条理劇の根幹に見合った〈乾いた叙情〉という形で。演劇にも詩が必要である。不条理劇は叙情を廃したところに新機軸が生まれたが、さりとて詩と無縁に存在できるはずはない。何となれば、それはどんなに反抗と否定を繰り返しても、所詮、観客の前で演じるという行為によってしか人の心に訴えることはできないからだ。  せりふの流暢さにも触れておかねばならない。初めて和田の戯曲に接したとき、せりふの流麗さに舌を巻いた。文字どおり流れるような名調子の美文が噴出する。少し美しすぎるのではないかという疑念さえ持った。饒舌、必ずしも悪いことではない。不条理劇では場面や状況設定に特異性があり、せりふはむしろ後景に退き、寡黙の中から立ち上がったアフォリズムのような呟きに深い象徴性が潜むのだが、和田の作品はせりふが美しすぎて、逆に足をすくわれる危険性があった。それが、今回の『蓮の花』ではみごとに払拭されて、沈黙という間合いが絶 妙の効果をあげている。ここにも〈間合い〉と〈空白〉を大事にする日本文化の伝統が顔をのぞかせている。  『蓮の花』は、和田の演劇活動に一つの転機をもたらすことは間違いないだろう。
 
to TOP 

 
to HOME

岩淵達治氏(ドイツ文学者・演出家) 

 
氏の処女作の戯曲「夢現玄武門先駆(ゆめかうつつかげんぶもんのさきがけ)」が、僕の事実上の初舞台である。自分の体験した夢か現の「玄武門先駆け」という武勇を、芝居という虚構に仕立ててドサ廻りをする、世間にとっては少々迷惑で滑稽な、思い込みの強い小男、荒田隆吉という役だった。こういうのをいま流行りのトラウマと呼んでいいのか、それともただの因果なのか。気がついてみたら、個人的な夢と記憶ばかりにこだわって、思い込みの強いはた迷惑な芝居ばかり作っている。岩淵先生のお陰だ!(和田)
  
 「つたえてよフランケンシュタインに」(2002年)パンフより 
期待する 
  周ちゃんこと「夜の樹」の主宰者である和田周ちゃんは、「夜の樹」の上演をずっと支えているポンこと古山桂治氏、タベちゃんこと田部誠二氏とともに、私の昔の仲間、というより同志である。同じ釜の飯を食い、その飯場から石もて追わるるごとく追われた仲間なのだ。もう四十年も前の話だ。 「夜の樹」がスタートしてから何回目かの公演に、周ちゃんがセバ(瀬畑さん)同行で出演依頼に来てくれたことがある。私を役者と見込んでくれたのは大変感激したが、台本をもらったらパニックになり、とても覚えられそうもないと辞退した。一時期、周ちゃんの台本には、チャブ台と裸電球がある種の役割を果たしたことがあるが、その電球だか笠だかをめぐるセリフが全然覚えられない。つまり和田戯曲の正書法という厚い壁が、常識的ドラマのセリフしか覚えられない私には乗り越えられなかったのだ。あれにチャレンジしていれば私の演劇の地平ももっとひらけたかもしれないが、いかにせんその時点で私はもう年をとりすぎていた。 「夜の樹」の芝居は、「ラネフスカヤ隠し」あたりで一時注目を集めたこともあったが、これだけの積み重ねの仕事はもっと注目されて然るべきだと思う。 今度の芝居は、和田作品のなかでは全く様変わりで、ゾンビ風古典妖怪の百鬼夜行という趣向だが、経済的にスペクタクルにするのは不可能だと思うから、どのような簡素な美術でこの世界を現出させるのか、お手並を拝見するのが今から楽しみだ。
to TOP  
to HOME

小野沢 稔氏(映画作家) 

 小川伸介の「圧殺の森」製作以来の付き合いである。四十年前の話だ。氏はどこかの大学の新聞部のキャップかなにかで威張っていた。なぜ威張っていたかというと、「圧殺の森」は各大学の新聞部の隠し金やカンパを当てにして日々カメラを回していたのだ。当時の「学新」キャップがどれくらい威張っていたかというと、部室にお金をせびりに行くとキャップ(氏ではない)が机の向こうから「アジア・アフリカの情勢について、展望を述べてみろ!」と言う。こちらがフランツ・ファノンかなにかの孫引きで「展望」を述べると、「異議なし!」と言って、お金をくれる仕組みなのだ。氏がお目付け役の若年寄みたいな顔をして高崎のキャンバスに現れては映画演劇論をブッテいたのを覚えている。現在は映画作家(監督・作家)と役者の付き合いである。相変わらず威張られている。あい変らず貧乏なくせに金離れがいいから、最近ではファスビンダーの「ベルリン・アレクサンダー広場」14巻を日本に持ち込む公開委員会をまるごと請け負って実現し、大損をコイタ。(和田)
 
 
「微熱図鑑」(1999年)パンフより   
  微熱の世を凍らせる激辛のカレーを
 
 近代俳句のようには、決して完結しない連句―関係性の表出をテンに、あるいはメタ連句を軸に、自明の意味性を徹底的な無化を目指す和田周の力業。世界の意味性とは関係の制度化そのものに他ならない。この制度化された関係性を異化する試み。周の新作には、様々な仕掛けがちりばめられている。 周はこれまで、固定化された関係性、即ち、強ばった私たちの身体性をズラし、異化し、その関係性をまったく別の時空の中に解き放って見せてくれた。池袋から渋谷へと転戦を重ねながら、周たちは私たちが気づかずに取り込まれた完結した世界のグロテスクを、日常のどこにでもある言葉や所作を一寸ズラすことを通して垣間見せてくれた。周たちの方法には、真の喜劇があるのだ。 そして今回、『微熱図鑑』だ。戯曲を読んだにすぎないが、この快作がどんな舞台となって出現するか、私は今からワクワクしながら待っている。 一九九九年末―空虚な雄弁のみが横行する〈今〉にあって、周たちの舞台は、その雄弁に巻き込まれつつある私たちの言葉と振る舞いを白日の下に晒し、更に自明の如く語られる現在の雄弁を無化する困難な試みとしてあるだろう。そして、この試みに観客である私たちも加わることが出来るのか。このことは、ひとえに私たち自身に関わっている。周たちの舞台では、決して大声で語られることも、大言壮語が吐かれることもない。むしろどこにでもある風景と、どこにでもある関係性と日常の言葉があるだけだ。しかしそれらの一切が一瞬のうちに異化される時、この世界のグロテスクさは、決定的に私たちに突きつけられる。 「あの人」とは誰なのか。そして「あの人」をあの人たらしめる使徒たちとは誰か。私たちか、そして……。《お前の敵はお前だ》。ともあれ、意味のグロテスクな帝国を徹底的に異化する周たちの仕掛けを待ちたいと思う。 世界を凍らせる舞台を!
to TOP 

 
to HOME

小松範任氏(映画監督) 

 初めてお目に掛かったとき、なんて静かで優しい監督なのだと思った。次にお客様でいらしたとき、細やかで篤い励ましの言葉をいただき、嬉しくなって毎回公演後の飲み会に同席をおねだりすることになった。ところがつい先日、友人の無頼な映画作家小野沢稔から氏の六〇年代末の怪文章「東映京撮助監督声明にわたしは署名しない」を読まされて、目から鱗が落ちた! 「静か」「細やか」どころではない、恐ろしい人なのだ。その原稿紙三百枚を超える小冊子の筋の通った猛々しく小気味良い正論に接し、ああ、あの時代にこれを読んだら即座に仁義を切って弟分にしてもらったのにと胸が騒いだ。(和田)
 
「恋愛劇」(2012年)パンフより

夜の樹に

「初めて和田周さんにお会いしたのは雪深い山形の奥地だった。瀬畑奈津子さんとご一緒に『雪おんな』という短編映画に出てもらった。 貧乏所帯だったから何かとご迷惑をかけたとおもう。ヅラの用意もなく 衣装合わせもろくに無い万事ぶっつけの現場だったが熟達のご両人は見事に演じてくれた。
 その年の末、和田周さんから「夜の樹」公演の案内を頂いた。「作、演出、俳優・・・」。自分で書いて芝居をやってるんだ。へえ、スゴイ人なんだ!
 偶然、そこに田部誠二の名を見た。田舎の高校の同級生で新劇の俳優をやっていると聞き及び、この東京で、いい年こいて今もわたし同様やくざな稼業をしているその男に会いたかった。
 初体験は『微熱図鑑』だった。 四角い平舞台、・・・何もない。こちらは乏しい演劇的想像力を全開させて待ち受ける。人物が登場し生活庶民のさりげなく、こなれた台詞を聞くうちそこはもう異次元・夢の世界だ。次々と連歌さながら情景が変わり、虚を衝かれて脈絡をたどるまもなく、気付いたときはもう変幻の和田ワールドに取り込まれ、「あの人」の晩餐会に立ち会う羽目になり、
重い「現在」に直面する。
それにしても和田周の繰り出す台詞の何と面白いこと、しかも短い場面、短い台詞のなかにさえ「人間」の劇が鮮やかに仕組まれている。
耳に快い間とリズム、観念とは無縁の生活言語が日常のレベルで裏を 見せ、表を見せながら、いつしか無意識の暗部に踏み込んでそこから悪夢のような詩的ビジョンに結晶する。和田周は言葉の手品師だ。いやイメージの魔術師と言うべきか。彼の仕掛けた想像時空の自在さは演劇なればこそ、映画じゃとても無理だ。へえ、こんな芝居があったんだ! 二度びっくりだった。
点滴のチューブー本で危うくつながる父と子の場面・・・彼等が病者だと分かり・・・あ、おれだ! おかしさと無残さが背中合わせで、我が身につまされ今も忘れ難い。
 終演後、田部誠二と会った。面白かったよ。そう、よかった。乾杯! どこが? どんなふうに? なんて突っ込まれれば今もちゃんと答えられない。見当違いに面白がってるのかもしれない。だから面白い。 (俳優にとってはどうなの・・・?) ヤボはなし。話は田舎の高校時代に急転回した。
 以来、和田ワールドの虜だ。
 正しいことを言わない。高遠な目的、深遠な意義、効用を求めない。そのことに自覚的であることだけでも凄いことなのだ。
 この世の人の生業の空虚で猥雑でおかしく切なくて・・・人間存在そのものの全肯定にたって劇を仮構する。世界に対する洞察は冷徹、辛辣、炯眼の批評精神一杯だ。いや、自分の表現に対しても常に、語呂合わせ、ずらし、くすぐり、反転、・・・すこぶる自覚的な異化操作がある。彼の言語過程、作劇過程には独特の弁証法が働いている。台詞や作劇上のイメージなど自らの表現過程に否定、解体の契機を常に繰り込むすぐれて知的な作業だ。挙句、不可視の世界を劇空間に仮構して人間の、世界の、深淵を見せてくれる。
 序でながら、この静かな人の「イラク先制攻撃」に抗議を呼びかける演劇人たちへの対応 (戯曲集「吸血鬼祭」所収)を読んで、その立ち位置の見事さに感服したものだ。得難い人だ。三度びっくりだった。
 
to TOP 

 
to HOME

最首 悟氏(思想家) 

   
15年前に居なくなっては非常に困る人、池内史郎氏を亡くした。つい先日('13年6月)、居なくなっては非常に困る友人岩佐壽弥氏を亡くした。その岩佐氏と三人で「たなばた」と称して年に一回会うことを唯一の楽しみにしていた居なくなっては非常に困る最後の人が、最首悟氏である、いまや。
 先日、はたと気が付いたのだが、夜の樹の三三回の公演を一回も欠かさず三二年間見守ってくれているのはおそらく氏だだ一人なのだ。単なる贔屓、友人故の出来事ではない。これが氏の篤い他者との関わり方の流儀なのだと思う。
 第一回公演「キャベツ畑の遠い私の声」に餞の言葉をいただいたあと、一九九七年に「公演のパンフに毎年「劇賛」書いて上げよう」ともらった約束も、だからいまだに続いているのだ。(和田)
 
 
「岸辺の鉱石ラジオ」(2016年)パンフより
元の木阿弥                     
 だいたいが笑いが止まらない。クスクスとかクシクシとかクセクセとかクソクソとかクサクサとか。 
ニヤニヤとかニウニウとかニヨニヨとか。ハハハくらいで止めたいのにフフフとかヘヘヘとかホホホとかヒヒヒとなると悲鳴なんだか品性下劣なんだか。北斎の蛸なんてすごいもんだからなあ。寺田農がタコツボのなかで全裸の大谷直子の後ろ姿を頭で追っかけている(『肉弾』)とか。骨ツボの中のわたしってだいぶ落ち着いているかね。といったって、私の波長で発した問いは私の波長に変換された答えとして届いてくるから、始末に負えない。
 
 融即って、きだみのるコト山田吉彦の造語なんだ。ちぎってもちぎっても餅なんだが、そのちぎれ方が曲者で、ちぎれてないんだ。ちぎれたと思うと分有なんだが、実はちぎれてないことに気づくと融即になってしまう。融けて流れて元の木阿弥。その木阿弥が万有の変換装置でね、波長なんぞはお手のもの、その装置をいのちなんていう輩もいる。輩って誰よ。いやいや、かくいうわたしなんだが、わたしっていってももあまり意味がなくてねえ。私の一挙一動発語一切が元の木阿弥装置を通して変換されているから、なにがなんだか。わたしはいのちである、なんていっても重味のつけようがない。まあ、味にもいろいろあるけど。淫味ってどんな味だろうねえ。 
「岸辺の鉱石ラジオ」観て、今日笑い止まらないだろうねえ、誰の、わたしの、木阿弥の。
 
  
「僕はクルミの中の迷路の話をしているのだ」 (2015年)パンフより
ウロッと一歩踏み出す           
  『「痞」という病いからの』のあとがきに、「おろおろのままでいることにもエネルギーはいる」と書いた。オロオロウロウロ。漂(さ)れき歩く。ウロって漢字で書くと、さしあたり洞。空、虚も迂路・有漏もある。有が漏れてしまうんだか漏らしてしまうんだか。壁の前でちゃんとウロウロしていれば希望が見つかると玄田有史『希望のつくり方』。ウロウロにも作法がありそう。そうじゃないんだなあ。ウロッと一歩を踏み出せば、壁は自分でつくったハリコだとわかるんだ。で、壁が消えて。ただね、始末に負えないのは、そこが相変わらずはざまだってこと。虚実皮膜の間にウロウロして、虚にウロッと入り込んでも実にウロッと入り込んでも、あいかわらず皮膜のはざまなんだな。じゃあ、ウロウロを止めるには。――それがねえ。
「最首先生の文章は難解。話に一貫性があるようで、無いようで、困る」(高村夏輝、バートランド・ラッセル研究者)。先生は余分だが、困っているのは私で、七九歳にもなって困り続けるのはどうかと思うし、体力も問題だし。 
熊本のどういうケツだか、ケツ物の柳田耕一という男がいて、このたび、まだ話していなかったかとオハコをひとつ。「あるばあちゃん、危篤で見舞ったら、おお来たかと、孫の名前をいう、そこへ北海道から孫が駆け込んできて(その道中が大変でボーナスを使い果たすのだが)、――ばあちゃん来たぞ、――おお脈取れ。脈を取って、――ばあちゃん、脈なかばい。――おお死んどったか」。なんだかなあ、やっぱり死んでもはざまなんだね。
 
「指のあと冷たく」(2014年)パンフより
かはたれたそかれ              
 何もない「うつろ」から何かが飛び出してきて、形ある「うつつ」となる。その来歴が尾を引いて、「うつつ」の形に触れても「ゆめかうつか」と思う。「ゆめ」は「うつろ」と「うつつ」の間にあることが知られる。「ゆめ」の方向が「うつろ」であるとき、「ゆめ」は「うすくらがり」に縁取られ、「ゆめ」が「うつつ」に向かうとき、「ゆめ」は「うすあかり」に包まれる。
「うすあかり」は明け方の「かはたれ」で、「うすくらがり」は夕暮れの「たそかれ」である。「かはたれ」は、浮かび上がって近づいてくるあなたは誰だろう、と期待している。「たそかれ」は去ってゆく後姿を見て、あの人は誰だろうと訝しんでいる。自分のこととなれば、薄明薄暮の「あわい」で、自他未分のわれが結我独存の吾として浮上し、はたまた名づかない存在に還ろうとしているかのようである。
 位置のみで大きさのない点と人の自由は近代ヨーロッパの出発にとって重要な概念であるが、極東の日本列島人にとっては、点は目が点になったような大きさを持つ。ちなみに光をあてても瞳が4ミリ以下に収縮しないことは従来の死の三兆候の一つである。しかし点目にしろ位置点にしろ、それらは「うつろ」に充満している。ただ位置点は向こう側に突き抜け広がる余地を有する。向こう側が何であるかはどう取ろうと勝手な自由である。
【最首 悟氏】  もう一八回もこうしてパンフにお言葉を頂いている。お付き合いはもっと昔、三六年前、岩佐壽弥監督の「叛軍NO4」以来である。氏にとって僕は月いちの「最首塾」の可愛い塾生であり、僕にとって氏はなくてはならぬ兄貴である。

 
  「自転(反転)砂時計」(2013年)パンフより
 場間
 数少ない間友の一人、岩佐寿弥を失った。大事な間友に和田周がいる。間友とは、間に興味津々、分け入ってゆく同好だか同狂の、おたがいいい加減にしたらと思っているような友である。間と言えばまず人間である。これ以上おかしな名付けはない。どうしてそんな名づけが行なわれたかというと、場間とか場面間があるからだ。 
 質量保存の法則とかエネルギー保存の法則とかは発見されたが、まだ場保存とか場面保存の法則は定式化されていない。それは多次元時空間とのリンクを記号表現できていないことによる。場面保存の法則とは、カードをシャッフルして任意の単複数のカードを抜き出したとき、そのセットが一場面を構成する。シャッフルと抜き出しは絶えず行われているので、場面は増大する一方であるが、その総量全ては保存される。それゆえ一場面、各場面ということは意味を持つが、それがどんな場面のどれくらいの重ね合わせなのか、融合したものかは分からないので、その分からなさを表すために、場保存の法則というのである。 
 ザスーラでは、しょうもないガキと惚れっぽい姉が居て、その番茶も出花の姉が相変わらず弟を叱りつけながら、そこに現れた青年となったその弟に一目惚れ、という場面があるが、まあ、単純なシャッフルの例である。 
 問題は場面と場面がいかに切り離されるものか、という点にあって、場面転換する場と場の間が要めの正念場なのだ。間友とは、そのあたりどうするねん、と互いに意地悪く見ているような、そもそも互いにと言ってもその間が判然としないような友なのである。
 
 
「恋愛劇」パンフより(2012年)
イレーザー付き  
「壮大なゼロ」(全共闘運動について)とか「忘却の穴」(アウシュビッツについて)とか言われる。前者はその事象の意味について、後者はその事象の証言者がいないということを主として指すのだが、記憶ということで一段拡張すると、被害加害を含めて当事者が記憶を消したい事象ということができる。どうして消したいのか。当事者がやったことやられたことについての意味がはっきりしないことが挙げられる。動機とか発端はまだはっきりしているのだが、推移や結末となるとどうしてそうなってしまったか当惑するということがある。その結果として記憶は保持したくなく、意識は記憶を消す方に働くか深奥に押し込めるように作用する。押しこめるといつかは出てきてしまう可能性は残る。
 しかしやっかいなことがある。事象そのものがみずからを消す装置を持っている、名前だけ残るあるいはスケルトンだけの事象の場合である。イレーザー(消しゴム)付き事象と言う。このE事象についての想起は、ほとんど記憶の創出と言ってよい。ほとんどと言ったのはイレーザーにはまだわかっていない隠された機能があるからである。この機能がE事象を振り返る時の記憶の創出に関わり、記憶を単なる創作とはさせないのであり、他の事象の残存する記憶の変容、それは往々にしてご都合的な変容なのであるが、そのような変容とも異なる記憶を現出させるのである。E事象はほんのパーソナルな規模から歴史の大変動を用意する規模にまでわたる。

 
 「夜の中の五つの夜」(2011年)パンフより 
引きおろせば即ち反故なり
 反故は「ほうご」と読む。紙屑である。連俳の席で発句に付句を重ねた記録を巻いて文台から引き下ろしたら、それはもう紙屑同然、4畳半のふすまの下張か、鼻紙か、燃やして暖をとる使用価値しかないというのである。つまり気が合って、あるいは気合いを入れて飛び交った情-報(イン-フォーム、内包された形)の醸し出した感慨はまさしく一期一会であって、記録できる筋合いではないというのである。
  えっ、なにかありそなキラキラするような一期一会があったかのようにしたいから、反故だなどと言い張りたいんじゃないの。大体が、ああそうですか、じゃ捨てましょうと言ったら、あわてて抱え込むんじゃないの。
  臨死の自分を見ている自分がいて、あっ、いま医者がご臨終だと言った、などと思う自分が臨死になって、それを見ている自分というような三重ぼかしの人間が何人か、つまり何人かの三倍の人間が集まって、ああだこうだと思いを述べあうのだが、付けるつもりが合わせるつもりが引き取るつもりが、まったくのすれ違いでトンチンカンで、情-報は空-報、誤-報、虚-報満載で、それにしてもこすれあって渦を巻いたり熱を持ったりして、ああ、その記録はそのまんま反故なのだ。
 文台にのっているときも反故、引き下ろしても即ちそのまま反故、しかし反故であることにうそ偽りはない反故である。反故が反故であることに拍手ッ。
 
 
「まうしろの今」(2010年)パンフより
禅ドーナツ  
 駅で「禅ドーナツ」を売っていた。手に取ってみると袋に、「考えない、思わないのは至難のことです。座禅はけっこうな料金がかかりますし、自力ではむずかしい。このドーナツは画期的です。秘密は穴にあります。どうぞお試しあれ」と書いてある。透かしてみると、ふつうのドーナツのリングと変わらない。なんだかなあ。河合隼雄の「中空構造日本の深層」を思い出す。あれは穴に飛び込むと、おんなじ処にいる自分を見出すというのだったかなあ。その間に時間が経ったのか経たないのか、経ったとしてもどれくらいの時間が経ったのか。その間、自分はなんにも考えなかったのだなあ。落語で、さくらんぼを食いすぎて、自分の頭に桜の木が生えてきて、大木になって池ができて、よんどころなくそこに身投げするというのがあったなあ。あれも穴だ。ドーナツは食べてしまうんだし、穴も食べてしまって、自分が穴になってしまうのかな。穴はきっと開いているのだな。すると経過も位置もおかしくなって意味がなくなるのかもしれない。あーあ。で。「禅ドーナツ」買うか?
 
 
「悪童伝説」( 2009年)パンフより
折り返しはやばいぞ 
 折り返して来るとは、もちろん、ニュートラルであるわけがない。行く先としての折り返し地点に何かあると期待し、その期待がなにがしか叶えられて、やっぱりと頷き、よかったと思って、還ってくるのである。「満員の夜行列車に押こめられて、じっと忍耐して、朝早く東京駅に着いた。やれやれ、ここが折り返し地点だと思う間もなく、下り列車のベルが鳴っている。大急ぎでその列車に乗り移り、今度はゆっくり席について車窓の風景をたのしむ。さて、列車を乗りかえた東京駅に何があったか。何もありはしないのである。ホームはがらんどう、風が吹いていただけなのである」(岩田慶治)。 なんだこれは。ケロッとして楽しむだと。いたしかたがない。自分が変わってしまったのだ。そのことに気付くはずもなく、ただ折り返し地点に何もなかったという意識は残った。プラトンいわく、正義の人は、正義を行っていると他も気づかず、自分も毛頭思わない人を言う。「悟りとは悟らず悟る悟りにて悟る悟りは夢の悟りぞ」。やばい。滅多に折り返したりしてはいけない。

 
「ドンキホーテ狂い」(2008年)パンフより 
空の彼方の貴方の彼方の
 素うどんならぬ素生活は「食って寝て子どもをつくってひまを見つけて遊ぶ」である。「遊ぶ」とは「遊べ」と言われて遊べるものでなく、「笑い」とともにある。「笑い」は笑えと言われて笑えるものではない。「遊び」を男が囲い込み、真剣な修養・修業にしたとき、活力の大いなる源泉の狂気は変容され閉じ込められ、噴出口を定められてしまった。男が囲い込んだ遊びとしての学問・冒険・スポーツ・料理・裁縫など、すべて笑いが排除された定狂気の遊びである。かろうじて芸術が笑いを保存したが、笑いを取るための涙ぐましい精進とやらで、開チンするのはおよそ定狂気の笑いである。 
 アリストテレスが子を産むのは自然で、したがって女は人間ではないとしたときから定狂気の遊びすなわち文化は露骨化した。骨を曝すとはいかにも貧寒である。とうぜんにも狂気の解放は狂気の囲い込みとともにある。しかしその解放はこの数千年至難の営みであって、解放の努力こそが定狂気の二乗化、三乗化、n乗化させてゆく。しかし―しかし、空しかろうが徒労だろうがn+1乗に何が起こるかに賭けるしかないのである。n+1乗に賭けてn乗の定狂気の笑いをここに開チンする。いざ参上。 
 
 
 「吸血鬼祭」(2007年)パンフより
目的もないぼくだけど 
 ブラインシュリンプという熱帯魚の繁殖に欠かせないエビがいる。この卵は乾燥してビンに詰められて売られている。海水を二八度くらいにして卵を入れると二四時間くらいでふ化してくる。種子はもともと乾燥に耐えるが、胞子もそうだし、卵だって長期の乾燥に耐えるものがあるのだ。だからミイラを温水に浸けたら生き返るのではないかと考えてもおかしくはない。現代的にはマイナス一八〇度の液体窒素に浸けて瞬間冷凍させる。いつか技術が進めば、解凍して心臓を動かせるかも知れない。その時まで冷凍状態で暮らそう。でも蘇生したら浦島太郎、では困るので、みんなで蘇生して一緒に暮らそうというのが、アメリカの蘇生協会のメンバーたちである。彼らがいちばん怖れているのが停電である。冷凍庫がダメになる。
 
 一生にいっぺん血液を吸って卵を産んで死んでゆく。カやダニがそうである。じっと木の枝にしがみついて下を温血動物が通ると落下して血を吸うヤツもいる。じっとしている間は生きていると言えるのか。準生なのか準死なのか、準死だとすると、血を吸って生き返り、あっという間に死んでゆく、そのあっという間に「続ける」という「いのち」本来の仕事を遂行する。下を温血動物が通らなければ、ずっとずっと準死のままだ。「続ける」という意志だけが準死を支える。まさに「目的もないぼくだけど、希望は胸に高鳴っていた」(中原中也)のである。
 
 
「蓮の花」(2006年)パンフより
犀の角  
 犀の角のように、独り歩む、と死ぬほど退屈で、死んだらどのくらい退屈か考えた。死んだ世界はよほど広いだろうから、誰にも何にも出会わない。だから物音がしない。自分の息の音もしない。息の音が止るのは死ぬ条件だから、これは仕方がない。歩く足音もしない。足があってもたぶん何にも触れていないので音がしないのだろう。圧倒的な無音の静けさの中を独り歩く。疾く歩く必要もゆっくりあるく事情もないから、おのずから一定の速度で単調に歩き続ける。 
 犀の角のように、ただ独り歩め。 
 ひたすら歩き続ける。終着駅のない銀河鉄道。誰も乗り降りしない宇宙鉄道。犀の角のように独存が鋭ぎ澄まされてくる。独り歩くという意識しかないのだから、独存はどんどんとんがってゆくしかない。と、何が起こる? それが言えたら。いやさ、言えたとして。そんな無理な。あれっ、心外な。えっ、理も心内も無理も心外もとっくに過ぎ去って。ありとあらゆることの只中だよ。
 
  
「螺旋袋とじ」 (2005年)パンフより
あわいのあわや 
 死にそうで死なない、生きていそうで生きてない場をあわいという。死んでいるんだか生きているんだかわからないという宙ぶらりん状態とはちがう。宙ぶらりんは途方に暮れる状態であるが、あわいは切ない切実である。切ないとは打開する道がないことで、切実はまさに差し迫っている事態である。言い替えると、あわいは切々とした一切の場である。つまり、死は特殊場であり、生も特殊場であるのに対し、あわいは一般場であることが知られる。 
 あわいはあわい。光ろうとして光らず、闇になろうとしてなれない。薄墨なのか、乳白色のパステルカラーなのか、透明になろうとしているのか、不透明になろうとしているのか、そこには切迫した淡さがうかがわれる。生まれ出るのか、死に絶えるのか、死出なのか生滅なのか。淡い(ルビあわい)間合い(ルビあわい)は、未生であり未死の場であるのだ。いや不生であり不死の場であるといったほうがいいか。 
 こうしてみると、切々とした一切場であるあわいには、あわやが満ちていることが分かる。あわやとは、寸前の事態である。あわや、間一髪寸前で電車は止まった。あわや、あわ喰うところだったよ。はかない泡々。安房の粟飯。生も寸後、死も寸後、光も闇も、ほんとうもにせも寸後の事態である。あわや、シャボン玉は風前のともしび。あわいは静でも動でもなく、あわやに満ちているのである。 
 あわいには住めない。あわや笑うところで、笑ってしまう。笑ってはいけないのに笑ってしまう。つい笑ってしまう。生きてはいけないのに生きてしまう。死んではいけないのについ死んでしまう。そしてあわいのあわやを思うのである。思ったってもうおそい。
 
 
「やぶにらみのアリス」(2004年)パンフより
旅するカラカラの立ち寄り先 
 煩悩は一〇八だと思っていたら八万四千あるという。どういう数え方をするのだろう。一〇八の煩悩一つ一つがその否定も煩悩とすると二一六に増える。「食べたい」というのも煩悩なら「食べたくない」というのも煩悩である。ただ「牛肉を食べたい」という具体的な特定の欲も煩悩に入れてゆくと、はたして八万四千で収まるのか心配になってくる。もちろん心配も煩悩である。 それで、一〇八の煩悩を単位として、この単位自体もちゃんと数え上げられないのだが、どれだけの倍数になったら八万四千になるかしらと電卓をたたいてみる。 なななななんと、七七七七七……と果てしなく続く。意味があるのかないのか、なんとなくなやましくなまなましく、ながながしく、果てしなくだけが残る。八万四千は、煩悩は果てしなく続くというシンボルなのかもしれない。 それでも銀河鉄道に乗って、果てしなくどこまでも旅を続けると、いつしか一人ぽっちになって、すると比較する他者がいなくなって、つまり価値がはかれなくなって、つまり無量価値になって、天上天下唯我独ヽ存状態をずっとつづけると、いつしかカラカラの意識になってしまう。 そうなったら、一滴の水のごとき生の身がほしくなるかしらん。いや、そんな煩悩はもはやあるべくもない。でもとつぜんそのカラカラの意識がこの世に立ち寄ってしまったら、どうしよう。どんなに小さい出来事も、どんなにおぞましい事柄も慈雨のごとく降り注いで、カラカラの意識は生身にふくれてゆくのかしらん。さて、わたしが生身なのかどうかが問題である。
 
 
「テーブルの上の暗闇」(2003年)パンフより
ふいをうつ、ふいをうたれる 
 テレビで井桁崩しを見た。甲野善紀が古(いにしえ)の武術や鹿島神流から編み出した戦法である。戦法と言っても、ふいをつかれたときのせっぱ詰まった応対が主で、そしてまともに勝負となったとき、相手に全く覚られない身体の動きである。井桁は平行四辺形で、崩しとはそれを押しつぶすことだ。平行四辺形は平行な二つの両辺を持つ。この二つの両辺は押しつぶされるとき逆に動く。4つの支点もそうである。このバラバラに、逆に、動くことが相手のふいを打つ。相手が襲ってきたとき、構えて力をためて、力を放とうとしたら、相手にわかって備えられてしまう。身体は非中枢的に動かねばならない(内田樹「私の身体は頭がいい」)。つまりワニ的身体でなければいけない。いやさらに体の各所はそれぞれに円満的に完結して動かねばならないのだ。道元的身体はまさに至るところ円満する身体なのだ(梅原賢一郎「カミの現象学」)。 
すぐに、当然のことながら、井桁崩しの達人が「相対」したらどうなるだろう、ということである。そして事態はすぐにわかる。何も起こらないのだ。というより、「相対」する事態が起こらない。つまり井桁崩しの達人は、それとして知られないのだ。プラトンの正義の人と似ている。正義の人は徹頭徹尾、正義の人と知られてはならない人である。ちょっとでも知られたら、それは正義の人ではない。つまるところ、達人も正義の人も「ただの人」で、そして「ただの人」でないところがいやらしい。 
 いやらしくないためには、ふいをうたれる達人は、ふいをうつ達人でなければならない。徹頭徹尾受けて立つ自衛の憲法(拳法)でなく、やはり何するかわからない攻撃的なふいの達人が真の魅力ある人である。しかし、くどいようだが、それが覚られてはいけないというところに、いまだネックは存する。 
 そのようなネック達人が相対すると、これは見物である。ふいに打ちかかる。もちろん柳に風と受け流す。と思うと反転してふいを打つ。はじめに打ちかかった方はもちろん、非中枢的に受け止め、瞬転、反撃する。永久に続く試合の幕開けである。そのうち双方とも達人度は冴えわたって、ついに実体を覚られない影になる。歌謡曲「旅の夜風」(昭和13年)は「風に揺れるは影ばかり」と謳う。実体はヒソと動かぬ。いやもう、実体はないのだ。
 で、影どうしのふい打ちを見に行こうか。どうやってみるのかな。
 
 
 「つたえてよフランケンシュタインに」(2002年)パンフより
薄れかけた霧に浮屠 
 霧の中を修羅が行く。青黒い修羅が眦を決して憤霧を吐きながら行く。「もし芸術といふものが/蒸し返したりごまかしたり/いつまでたってもいつまで経っても/やくざ卑怯の逃げ場所なら/そんなものこそ叩きつぶせ」(宮沢賢治「詩への愛憎」、『春と修羅』第三集より)。
 「無畏無畏、断じて進め」と修羅は自分を鞭打つ。修羅は霧をつくり霧を食べながら霧を行く。「濃い霧のジェリー」をのんだり食べたり、「霧のあめ」をなめたりするのである。霧は「いっそう繁くなり」、こちらを修羅は見ることができないし、こちらからも修羅は見えない。修羅は大きな塊の自閉空間をつくりだし、生きている限り自閉空間を行く。しかしブラックホールからも光が滲み出してくるように、霧もまた滲み出し流れ、ゆがんで段差をなし、裂け目をつくる。
 そこに混沌と野蛮の世界があらわれ、揺れ動く迷路の中に亡霊や妖怪や悪魔が登場する。霧はまた流れ、「穏やかで、ふんわりして、柔らかく、綿のように」(アラン。コルバン『風景と人間』)に広がり、乳色に光る。修羅はそのことを知らない。そして修羅が死んだとき、世界は暑く乾いてしまう。それを晴れ上がりだと待ち望む人間もいるそうだ。しかし、まだ修羅は生きている。「老いの屠者」として、「浮屠」として、半分人間になりかかって。しかし、まあ、宮沢賢治は「老いの屠者」とか「浮屠」とか、よくも心象したものだ。修羅は半人間になって、それとも人間が半修羅になって、どちらにしても「浮屠」に変わりなく、霧が薄れかけて……。
 「なんて物悲しい朝なんだろう」。
 
「真後への帰郷」(2001年)パンフより
半喪失  
 記憶喪失とは、記憶を失ったということをわかっていることである。どうしても自分の名前が思い出せない、ということを自分が知っていることである。そうすると記憶を喪失したことを喪失するとどうなるだろうか。 精神神経科医のオリバー・サックスのカルテ、すなわち患者一人一人の物語のなかに、1957年で記憶が途切れている朗らかな青年の症例が出てくる。彼は1957年を生きている。今は2001年なんですよと縷縷(るる)説明すると、青年はだんだん不機嫌になってくる。でもだいじょうぶ。診察が終わると、彼は説明されたことをすぐ忘れて朗らかになるからだ。 この青年は、記憶喪失を喪失している。まことに奇妙だが、私たちがふつう経験していることからほんのちょっとずれただけの状態かも知れない。私たちはごくふつうに、喪失の半喪失というような状態を経験する。 例えば眠ろうとする。眠れない。まだ寝ていないなあと思っているうちに眼が覚める。眠れなかったとぼやくと、うそっ、いびきかいてたわよ、などと言われる。時計を見ると、たしかに思ったより時間は経っている。しかし眠ったさわやかさはない。眠りを目覚め状態の喪失とすると、私たちは眠り込むと、目覚めを失ったことを意識して安らぐ。自分は眠っているんだということを意識して、これで疲れはなおる。さわやかな目覚めが待っている、と意識しながら眠っているのである。この意識を完全に失うと、つまり、目覚めの喪失の喪失は、たぶん永遠の眠りと呼ばれるのだと思う。 眠っていながら眠れていないと意識するのは、目覚めの喪失を半分失ってしまっている状態である。目覚めの喪失をきちんと意識できないのでいらいらして、いつまで喪失できないんだろうと途方にくれる。 それが高じて、目覚めの喪失を半分より以上に喪失しはじめると、死が頭をよぎりはじめる。つまり、眠りが生に置き換わって、生の喪失の喪失の予感が起こってくるのだ。 その果てに、ちっとも死んだ気がしないという状態が展望される。これはそうとうひどい状態である。そしてそうとうに笑える。
 
 
「な・・・七つの大罪」(2000年)パンフより
八つ目の大罪
 ヤー、八つの大罪。大罪は実は八つあるのであり、大罪中の大罪は八つ目におかれているのだ。事の次第としてそういうことになっている。神の名をみだりに呼んではいけないように、大罪中の大罪は、大罪の中の別格官弊社で、ふつうはカッコでくくられていて、数え上げてもいけないくらいなのだ。別の言い方をすると、この大罪を犯すとどんな罪に問われるのか、罪というものは犯すとどんな報いがあり、どんな罰が科せられるか、人々が直観的に把握しなければ罪として定着しないのだが、この大罪の大罪たる所以は、人々がそれとして直観できないという特質を持っている。それは実に大罪中の大罪と言えないだろうか。 
 大罪を束ねているのが原罪である。原罪とは人間が自然を離れて自立しようとした罪で、それはすなわち自意識を抱いたことだ。七つの大罪とは、いずれも自意識と本能的欲求とのせめぎあいを意味する。自意識とは自分(主体)が自分(客体)を意識し、分析し、評価することだから、絶対に明晰に達することがない。人間は透明な楽園を自意識を持つことで不透明にしてしまった。本能的欲求との格闘なんて、まさに世界をどろどろにしてしまったのである。 
 しかしながら自意識こそ人間の証である。意識をいつも意識して生きる、原罪を常に自覚して生きることが人間である。ところが意識は途切れる。それには、人間の都合で途切れてしまうのと、世界の必然で途切れるのと二つある。後者の途切れに対する人間の態度が問題で、意識は人間以外にも広がっているのに、意識の途切れも、それに対する態度も人間にしか表れないので、大罪の中でも、別格の位置が与えられたのである。 
 もうおわかりだろうか。八つ目の大罪中の大罪とは「笑う大罪」である。和田周は、そもそも、この大罪中の大罪の贖罪を目指してきた。集まってきた衆に笑う大罪を犯させ、もってその罪深さを自覚させようとする。 
 すこし注釈が必要である。ベルグソン先生は笑いは無関心によるとおっしゃった。無関心は罪に当たる、でも先生の関心はそこにはない。人は何かに熱中しているとき笑わない。人は食べながらセックスしながら、泣いたり怒ったりなどすることはできるが、笑うことだけはできない。だから笑いは無関心からと先生は論理づけた。でも人は無関心なことに対して笑うだろうか。笑わないな。無関心ということをもう少し追究しないといけない。 
 稲垣足穂は、世界は斜めに見ないと見えないと言った。道の両側に斜めに板がドミノ倒しみたいに置かれている。真っ直ぐ見つめて歩いたのでは何も見えない。斜め前方、あるいは斜め後方を見て歩くと、板と板との隙間から世界が見えるのだ。それで、人は正しく斜めに見る作法を身につける。すると、反転が起こって世界はスリットによって不連続化されていると意識される。このスリットにはまりこむとき人は放心する。放心から抜け出すと、つまりスリットから抜け出すと再び世界は続く。どのようにか。順接か逆接か飛躍か。前の場面と次の場面が連続するとき人は平静である。まったくつながらなくなると離人症と言われる。つながりながらつながらないとき、何らかのずれが生じたとき、人は笑うのである。無関心即ち放心は対象を失った意識であるが、それでも自意識は残る。次の場面が連続する保証は世界のあり方からして、一切ないのに、自意識が前の場面の残像の影響を受けながら、スリットと格闘して次の場面の予見をはらませる。次の場面とその予見のずれが笑いとなる。実に大きな罪ではないか。自意識と世界のスリット(放心)との格闘こそ別格の大罪なのだ。和田周の芝居を見る今日、私はまた大罪中の大罪を幾度となく犯す。きっと。
 
 
「微熱図鑑」(1999年)パンフより
モチモチする  
 「モチモチするって?」「いや、そのう、もうやってくるでしょう」「ああ、なるほどね、雑煮とか」「あ、関係あります。でも、その前に……」「クリスマスとか」「いやあ、そうではなくて、あの有名な、毎年やってくる」「えっ、わかりません」「ほら、夜の樹お芝居」「なんです?」「モチモチするんですよ」「何が?」 
 クスクスとか、ムズムズとか、ワラワラとか、説明すると長くなるし、土台、引きずる感じなので、二回続けるのである。「モチモチする」もそうである。ただモチは、「モチがいい」から始まって、餅を第一に連想させる。この餅が奇怪至極、曲者である。カチカチからムチムチ、スベスベからズルズルまで変容する。一般的には「ねばり気があって歯ざわりがよいさま」かと思えば、「粘っこく、歯切れの悪いさま」になるし、「液体の濃くてどろどろしているさま」でもある。 
 ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、その勇壮なるさま、というのもあるが、出来立ての餅を、際限なく呑み込むさまもある。手で細く、しごきながら呑み込むのである。祭事である。口元から喉、食道を通って胃につながったままトグロを巻く。だから逆に手繰り出せば、サナダ虫のごとく餅が出てくるだろう。 
 「モチモチする」とは、切れないことである。「モヤモヤする」、「モウモウ(蒙々)する」は親戚筋だが、粘りに欠ける。餅を引っ張る。際限なく引っ張る。切れない。肉眼で見えなくなってもつながっている。しかもそのテンションが時々刻々、環境のあり方によって変わる。餅は凧。「いかのぼりきのうの空のありどころ」。その心は。まず切れないさまを思わなければなりません。糸の切れた凧、それは思い違い。切れたと思ってつながっているところが餅凧なのです。糸の持ち手はサブジェクトで、凧はオブジェクトであるか。否。それは「二元的一元性をもつものであって、二つのテンションは不可分であり、意識とはインテンションであり、空間とはイクステンションである。力としてのテンションが内に向かうとき、そこにインテンションと意識の観念が成立し、外に向かうときイクステンションと物質の概念が生じると考えたい」。日本で初めて医学概論を講じて、医術と哲学を結びつけようとした澤瀉久敬(おもだかひさゆきと読む。歌舞伎に澤瀉屋があるでしょう)の言で、ホールデーンにつながる。ホールデーンにあっては、生物と環境の間に判然としたけじめがない。 
 餅を引っ張る。ゴムのようでゴムでない。引っ張って離れた二つのかたまりは片方はモノで片方はココロ。いやココロとココロ。あなたとわたし。私と私のからだ。私の身体とあなたの心。私の心とあなたの身体。斥力と引力が艶っぽく張りつめて、切れたと思ったらつながっている。人はそれを思い出というが、とんでもない。そんなたやすいものではないのです。粘り気があってツヤツヤしていて、ネバネバとまとわりついて、ムチムチとはねかえされて、モチモチする。 
 「切ないねえ」「そうですとも。そんな当たり前のことを言ってはいけません」「でも親切ってそう当たり前ではないでしょう」「本当にそうですとも。子どもの縁を切るならまだしも、親の縁を切ってはいけません。それはもう大切というものです」「えっ?」 
 切るとはたいへんなこと。だから切らないままで、グズグズ、ズルズル、グツグツ、ブツブツ、ドロドロ、形をなくしてアモルフでアマルガムで、昔も今も、あなたもわたしも、時間も空間も、区別がつかなくて、ああ、命だなあ、とモチモチする。 
 「でも命には作法が」「やあ、そのとおりです。切なさも寂しさも底なしですからな。キチッとけじめをつけて生きましょう」「いや、その、命にはおのずからのキマリ、法則があると」「なんと、そういうおこがましいことを言ってはいけません。意味も法則も、果てなき彼方ですぞ。だから作法を守るのです」 
 どっちもどっちだ。なにが果てなきだ。なにがだからだ。ピシッと決めようぜ。ピシッと。 
 うあー、モチモチする。
 
 
「夜の隣人たち」 (1998年)パンフより
ゼロ割り体操の季節 
 学校で絶対してはいけないと習ったモノゴトがあるだろうか。絶対人を殺してはいけません。絶対嘘をついてはいけません。絶対盗んではいけません。絶対姦淫してはいけません。絶対・・・。 
 こうして振り返ってみると、私たちの通った学校では「絶対」は触れないことになっていることに気付く。でも「絶対」がないと示しがつかないのではないだろうか。開国にあたって、西欧の「絶対」に触れて、伊藤博文たちは頭をしぼって、ドイツの「絶対」制を輸入し、日本的「絶対」制を造り上げたのだが、そう簡単に「絶対」が身に付くわけはなく、あちこち綻びて、敗戦を迎えた。1946年1月1目の年頭所感は、明治を遠くするどころか消してしまった。そんなに大げさに言うことではないですよ。ぱっくり開いた傷口をバンドエイドでフタをしただけなので、そのバンドエイドが剥がれただけ。 
 かくのごとき次第で、学校から「絶対」が消えたのだが、しかし考えてみると、やっぱり「絶対してはいけない」と教わったことはあった。あったどころでなく、私が大学に入ったのも、高校では足りなくて、予備校で手を変え品を変え口を酸っぱくして注入された教えを、やっと身につけたお陰なのである。 
 ゼロで割っては絶対にいけない。
 私たちは明らかなゼロが出てくれば、理由はともかく、そのゼロで数字を割ってはいけないことはわきまえる。ところが隠れたゼロとなると、ついうっかり割ってしまう。受験数学とは、いかに巧妙にゼロを隠して受験生にそのゼロで割らせるように仕向けるかという、人の悪さの見本のごときモノである。 
 ゼロで割るなは至上命令である。 
 どうしてか。答えが不定になるからである。不定とは決まらないことである。どうして不定なんですかと質問すると、はや険悪の気配が漂い出す。まだ早い、そんなこと知らなくていいんだ、つべこべ言うな、果てはふてぶてしい不邊の輩扱いされて、不貞くされる。悲しいかな、「絶対」とは文句なく引き受けることだということが質問者にはわかっていないのである。しかし、算数といえど、数学のウチで、数学は学問で、学問は厳密で、厳密は論理的で、それなのに、ただそのまま呑み込めと言われたって承服できない、と思うような子は算数嫌いになるか、算数を単なる実用的算盤の一種と見なすようになる。
 「絶対」は引き受けてしまわないと、「絶対」の問題に入れないのだよ、それはちょうど「死」を引き受けないと「死」の問題を扱えないのと同じなのだよ。
 小学校の中学年で、わり算を教えるのなら、絶対にこのような教育が必要である。
 ゼロで割るなというキマリを文句なく引き受けること。そんな理不尽な。私は子どもたちにそんなこと言えません。ゼロで割ってみて、そしてゼロで割っちゃいけないってこと納得させます。 
 さあ、みんな、5割るゼロはいくつですか。 
 5だと思います。お父さん、水割りやお湯割り毎晩呑むけど、割るって薄めることだから、それでゼロって何もないことだから、何もないので薄めても薄まらないから、もとのままだから、5だと思います。
 ちがうと思います。ゼロはすごく小さいことだと思います。ガリバーが巨人の国に行ったらすごく小さくなったのだから、ゼロから見たら5はどんどん大きくなるので、5よりもうんと大きいと思います。
  5が大きくなると言ってはいけないと思います。ぼくはハンバーガーを一度に五つ食べられるけど、巨人の国ではガリバーにとってハンバーガー5つは何食分にもなると考えて、ガリバーが小さくなればなるほど、何食分が増えていくのだと思います。 
 うそです。ガリバーが小さくなればハンバーガーも小さくなるので、それをぼくが見ていたら、両方とも見えなくなってしまうので、答えはゼロです。 
 なんだかわからないけど、割るって分けることで、ケーキを切って分けるって言うけど、最初食べる人の数を数えて、その分だけ切って分けるのだから、食べる人の数が決まらないといけないと思います。ゼロってまだ決まらないのだから、とにかく切ろうとか言って切り始めたら、食べる人がどんどん増えたら、それに合わせて切って行くので、それでどこかで止めなくちゃいけないのだけど、止まらなくなって、それでわかりません。 
 いまのは、食べる人数を考えるからおかしくなったのだと思います。ただ切るってことだけにしておけばいいと思います。ゼロで割るって、ただ割るだけなのだと思います。いくつになるかとは別のことだと思います。
 そんな、5割るゼロはいくつですかって言われて、はい、割りましたなんて、恥ずかしくて言えないよ。先生だってオチョクルなって怒るよ。そうでしょう、先生。 
 うん、まあ、とにかく、つまり、この問題はなかったことにしましよう。
 はなはださえない結末になつたが、先生は生徒に触発されて、内心、なるほどなあ、割るという営みねえ、ケーキの切り口かあ、宇宙の切り口は宇宙じやないのだなあ、宇宙じゃないって、じゃあ、何なんだ、してみると宇宙は割ってはいけないのだなあ、しかし、割るなあ、などと思って、やや、しあわせ。 
 一義的に決まるとは何と不自由で窮屈だろう。しかしその対極としての不定は自由なのだろうか。住所不定はただ困っているだけか、何ものからか逃げ続けているだけだ。 
 やっぱり縛られなくてはいけない。しがらみにからめ取られる。そしてそのしがらみを拒否する。私は教師だ。否。私は日本人だ。否。私は父親だ。否。私は頼られている。否。私は生まれた。否・・・。否。・・・。否。私を一義的に規定しようとして、私は『・・・である』とすると、たぶんその答えに私が満足せず、私は別の「・・・である」定義を試みようとするだろう。しかしそれは切り取られた部分である限り、私は満足せず果てしなく、定義を続けてゆくだろう。思うだに疲れる。 
 それに比べると、イナはなんと軽やかであろう。私は教師だ。イナ。ここで止めてしまっていい。私は教師であることについて、十分具体的にその要件を言うことができるし、私はいやいやながらだけで教師をしているわけではない。率先して縛られている向きもある。そしてイナ。カをこめて言ってもいいし、眩いたっていい。それだけで、私は教師からリークしてゆく自分を感じることができる。沁み出して拡がって行く自分。容器から溢れる。容器に詰められない、詰まらない自分。
 もう少しぜいたくをしよう。私は日本人だ。イナ。ああ、また泌み出してゆく。まかりまちがっても、無国籍だ、コスモポリタンだなどと口走ってはならない。快楽が消えてしまう。 
 しかし、ときどきは大盤振舞をしたくなる。豪勢にやろうや。私は生徒だ。ゼロで割れ。火花が散るぞ。無限小、無限大、ワープして多重世界、光速なんてクソくらえ。高速、拘束、校則、梗塞、えっ、なんのこと、小さい小さい。いや、いや、自分が微塵になって、すりぬける。私を掬おうたって、そうはいかない、あんたの網の目は大きすぎるよ。なんせ、今、際間に居るんですから。切り口に居るですよ。切り口って、ほんとうに退っ引きならないんですよ。不条理ってそうだと思いません? 私は生まれた。ゼロで割れ。ああ、私は居る。私は溶けているのに、私が居る。不条理ではないですか。痛切ではないですか。笑えるではないですか。 
 ときに豪勢は捨てがたいものの、やはり息がきれたり、立ち眩みがしたりするから、日ごろの訓練が必要である。毎朝起きたらゼロ割体操をしよう。人生80年、朝は3万回弱、なんて数えるといかにも少ないイジマシイ回数だが、万華鏡×3万回だと思って我慢する。作法はまず、私は・・・だと名乗らなくてはいけない。胸を張って大きく息を吸って「・・・である」ことを引き受ける。そしてゼロで割る、実無限やら可能無限やら、超限数やら、そういう名付けがされているような中味がゴチャゴチャ飛び交って、何が何だかわからない。身体はやわらくクニャクニャになる。 
 とはいえ、三日坊主の私は、せめて10月に入ったら、いや、15日過ぎたら、ちゃんとやろうと毎年思うのである。なんせ、10月末から11月にかけて「夜の樹」公演があるからだ。 
 はやばやと出かけで、1番前の席に座って、さて、これは芝居だ。イナ。ゼロで割れ。オレは観客だ。イナ。ゼロで割れ。何が何だかわからない。溶きほぐされて、笑いがこみ上げて、悲痛で、突如としてトラウマの傷口がヒリヒリして、トラウマと傷口の関係がわからなくて、1時間アッという間に経って、なにしろ体力が要るのだ。「時間とは一瞬間の中に閉じこめられ、2つの虚無の間に吊された現実である」(バシュラール)などと言う人がいる。なんだかわからない。でもそうだよねえ。時間を芝居に変え、現実をわが生活に変えよう。 
 芝居とは瞬間の中に閉じこめられ、二つの虚無の聞に吊されたわが生活である。 
 瞬間のわが生活をいくら足しても、わが生活になりそうもなくて、しかし足すまでもなく、そこに確固としてあって、そしてその重さをどう受け止めようというのか。夏がギクシャクと過ぎて、私も体操に励んで、もはや公演の当目である。
 
 
「今朝の雪」(1997年) パンフより
 わたしは…(今朝の雪によせて) 
 もの忘れが進んできて、嘘ということが気になりだした。 
 もの忘れがはじまる頃はイライラすることが多い。心が安まらず絶えず忘れてはいけないと気にかける。そのために、忘れているとハッと気付いたときのショックは大きく、もっと緊張して時を過ごさねぱと思う。しかも容赦なく忘れる度合いは進んで行くので、それに抵抗しようなどと構えているかぎりイライラはつのってゆくのである。 
 今はどうやら次のステージに入ったらしい。忘れまいとする抵抗は無益だと感じはじめて、かつ忘れっぼいのは昔からで、例えば酔っぱらったときなど完全に記憶をなくしていたし、たぶん都合の悪いことはみんな忘れているはずだ、生理的に忘れてしまうことと心理的に忘れてしまうことの罪の重さを比較すれば、今の方がよほど人問的には害がないではないか、というふうな回路に入ってゆく。すると嘘が気になり出すのである。 
 椅子から立ち上がって二、三歩進んで、エッ、なんで歩いている? と思う。そんなことは、重大な嘘をついたのを忘でこれまで安穏と暮らしてきたことに比へれば、ほんとうに何でもないことなのだ。もちろん人並みなのだからそう安穏としてきたわけではない。忘れられない嘘があるし、思い出して居ても立ってもいられない嘘がある。しかしそれはひょっとして煙幕なのではないだろうか。思い出せる嘘は軽い虚で、重大な嘘を掘り起こさないための安全弁として働いているのではないだろうか。そして無意識は別として、意識的には重大な嘘が永久に忘れられているとすれば、私はそんな嘘はついたことにはならないことになる。 
 嘘は事実、真実、ほんとうのことを前提にして成り立っている。だから、ああ、嘘をついてるなあ、と自分で思うとき、わたしは主観的には正直者である。嘘をつき続けていると思い続け、実際に嘘を覚えている間、私は正直者でいられる。 
 というよりは、「私は……である」という自己把握が出来ているという真っ直ぐさをもっている。片方にほんとうのことがあり、片方でそれを隠す、その理由はわかっているという事態は、人生の目的にしても価値観にしても一応あって、その下で整合的に生きていることを意味する。単純に言って、何が事実で、何がほんとうというふうに仕訳が出来ることがすばらしい。それに自分の記憶カに疑いをもっていない。 
 しかし、そのようなストレートさの上で、「私は……であるか」とか、「これは事実であるか」とか、「ほんとうは知られるか」などを問題にして、あれこれ考え、場合によってそれを仕事として暮らすことができる。大学では「哲学」学をおよそ「哲学」と関係のない者がやっていると喝破して哲学教授を辞めた人もいる。 
 「いったい私は何者であるか」とか「真は知られるか」というような問題を追求する私の、「私は……である」という真っ直ぐさは、「私」や「真に」ついて疑問をもっているがゆえに、しかもその疑問は、実は嘘によって反照されるほんとう、あるいは嘘をつく私によって反照される、すなわちそこにあるかのように浮かび上がるほんとうの私があるからこそ生じるのであって、だから、私の真っ直くさは、嘘をつくことによって、嘘をついたという自覚によって、そしてそれを記憶するということによって成立しているのである。 
 それを、嘘をついたことを忘れているのではないか、しかも重大な嘘ほど忘れているのではないかという気持ちが、もの忘れの事態にすこしなじんできたときに起こるとなると大間題である。 
 はじめて「私は」は絶句する事態に至ったのである。あるいは「私は」と「……である」のあいだに空白が入り込み、その空白を排除して「私は」と「……である」をつなぎ直したと思ったら、接続法はいくらでもあるのではないかという思いに駆られ、そうなると「私は何であるか」を真っ直ぐ問題にできた自分が、前世の私であるかのような断絶感が起こってくることになる。 
 「それだけですか」 
 ああ、何と優しいしい言葉遣いだろう。 
 もの忘れが進んで、私がたった一つの嘘の記憶しか持てなくなったとき、事態はまた反転しているのであって、それは「たった一つ」ということによって、その嘘に格別の意味が生じてしまっていることによるのである。忘れなかった「たった一つの嘘」、忘れられなかった「たった一つの嘘」は、反照的に格別のほんとう、事実を浮かび上がらせてしまう。私はここにおいて、使いい込まれた貧寒な「私は……である」。「私はそも何者?」と問いながら、私は「私は……である」と自己把握していた、そのゲーム性からせっかく私は、「私は」・「……である」になりかけたのに、今度はゲームも何もなしに、「私は……であらされて」しまうのか。そんなはずはないのよ、あなたそんなことあってたまるものですか、あなた。 
 「それだけですか」 
 しかしその言葉の優しさはまだ予感としてある。言葉は「たった一つの嘘」という貧しさでなく、「たった一つの嘘」がどうしてそんなものであるかという内容を問題にする詰問としてそこにある。しかしすでに優しさは止めようのない霧のように発生しているらしくも思える。 
 それにしても、霧は霧としていつ知られるのであるか。考えてみれば、私は何であるかを訊ねた「私は……である」私にとって、最終的答えは二つの対極にあるらしく思えるだろう。一つは「私は私である」という超越である。私は意味を越えて存在するのである。一つは「私は私である」ことの不快である。自同律の不快である。どちらにしてもその先はない。しかしハイデガーにしても、埴谷雄高にしても、これらのことを問題にした菅谷規矩雄にしても、もの忘れに悩んだ形跡はない。もの忘れによるモラトリアム、すなわち「私は」・・・「……である」という間延びの滑稽さ、奇怪さを取り上げたようには思えない。 
 嘘をついたことを忘れてしまう私の不確定性というテーマは論説にはならない。悲痛すぎて深刻な小説にならない。悲痛すぎると人は笑うしかないからである。 
 全くの空白の記憶のなかにポカリと一つ嘘の記帳が浮がぶ。何の意味もなく浮がぶ。いやいやそういうわけにはゆかないのですよ。いくら抗弁したってダメです。「一つ」ということに意味があるのですからね。意味がないというからには、とりあえずその他大勢でなくちゃ。
 せっかく「私は」・・・「……である」になったのだから、「……である」を箱の中にいれてかき混ぜて取り出せるはず。昨日の私は今日の私というストレートさをあなたは失ったのだ。つまり時空的順序配列についてキマリを失ったのだから、それっ、もう少しがんばって接ぎ直して見ろや。「いかのぼり、きのうの空のありどころ」ってか。 
 いやいや、あなた、シェークスピア劇場に行きましたらですね、今日は全作品が期待される日だというのですわ、そりや、一つしか上演しませんけげと幕が上がるまでどれが上演されるのかわからないというのですわ。いや、それは聞き違いです。幕が上がったとたん、全作品が上演されとるのです、ただ、あんたはその内の一つしか見られないという劇場に行ったのです。この多重世界もどこかに書いてあったなあ。 
 そうですか、若いときは嘘をついたとばかり思っていましたが、それは違う世界が接続されただけで、べつに嘘ではなかったことになりますか、接続にキマリがあれば嘘は嘘ではなくなるわけですね。しかし接続法が知られないとなると、嘘もほんとうもなくなってしまって、しかし起こったことは起こったことだから、それは事実でしょうが、多重世界のどれかから見ている限りは、それは憤慨するというよりは荒唐無稽でありましょうね。いや悲劇ですか。すると笑うしかありませんか。しかし、『鳥(バード)』の赤ん坊をとりあげた院長のように、子どもじみたくすくす笑いはしたくないですねえ。いや、笑いは選り好みできませんでねえ。お里が知れるのです。エッ、ひょっとして思わず笑ったりすると、今までの議論はすっ飛ぶことになりますね。そんなことはありません。笑うことは本人の継続性をなんら保証しません。ほら、一番前で観ているあの人実に多重世界的笑いをしているではないですか。人格統一はとうに失っているのです。いや、一瞬前に笑ったことを忘れているのです。その都度、新しい笑い、ですか。そうです、離人症的笑いです。
 「それだけですか」
 ついに私は接続法も忘れて、絶句するだろう。「私は」・・・。「それだけですか」にうながされて、ついに私は旅立った、のか、退行したのか。ラカン的笑いの瞬間のその前へ。赤ん坊は鏡を見て笑う。その瞬間、分離の不幸が始まったのだ。 
 「「私は」…」である私は、今「たった一つ」の記臆も失った。この芝居はまだ人が言葉をもたなかった頃のお話ですが、なぜか登場人物は言葉をしゃべります。そこは深く考えないで見て下さい。そんなナレーションで始るまる芝居。 
 私は意味もなく、ただ「「私は」・・・」である。私は「それだけですか」に抱かれる。無限の優しさがまとまりのつかない無意味を抱いている。どこにも行きませんからね。どこにも突き抜けませんからね。 
 私は「「私は」・・・」
 
  
「キャベツ畑の中の遠い私の声」パ(1981年)ンフより
漂私は漂私をもとめるということ
 あぶないなと思う。
  1980年夏、乙骨淑子がガンで斃れて、追悼の席上で、グングツの響きが、という挨拶を聞いた。表現にたずさわる者が、乙骨さん待っていて下さい、わたしもすぐに行きますから、などと話すのを聞いて居たたまれないところへ、グングツが出てきた。なるほどグンカの響きといったのでは誤解されるとも限らないので、グングツというのだなと考えた。
 そういう反応しかおこさないことを、あぶないと思う。軍靴の響きというアジテーションをうけつけないのではない。そういう事態はおこらないと思っているのでもない。ただ感性的に波立たないのである。そして芯みたいなところで、実際にそういう事態になったらオレはどうするという問いが凝っていて、それは年来的な凝りなので、別に答えようという気にもならない、というような状態をあぶないなと思うのである。 
 あぶないなあと思う。 
 「自分の個としてのアイデンティティーと、自分がそのなかで自由に解放されて生きる共同体のアイデンティティー、そのふたつの自己同一性の一致(アイデンティティズ・アイデンティティ)をどのようにして実現するか? 「・・・××君よ、きみがひとりの市民としてのきみの個を確立し、かつそのような自分が自由に解放されて、しかも望んで属してゆくべき共同体をしっかりと把握して、きみの青年のアイデンティティーの危機を乗りこえることを希望する」 
 こういう文章(大江健三郎、核シェルターの障害児、世界、1981. 6月)を書くにはどのような素養を積めばいいのだろうか、とじっとみつめている、というような反応しかおこさない自分をあぶないなあと思う。 
 ほんとにあぶないのは、まだ個の確立がないところで戦争がおこる、というような思い入れに、未練たらしく反応していることだろうに。
  あるとき、苦しくて、私は自己表現のなかにいないと考えると精神衛生的にたいへんよろしいのではないかと思った。
 けっきょくは、滅私と個の確立のはざまで、わたしの私性は漂ってしまって、それも個の確立のほうに色目をつかいながらなのだが、しかしどうにも始末に終えなくて、中間的存在とは、ひっきょう漂私であろうと定めた。 
 場があって、そこに自分がいて、思いもかけなかったことを、感じたり、いったり、したりしてしまう。実に、なんというか、情けない思いがあとでする。一人閉じこもって、考えぬこうと姿勢を正しても何もでてこなくて、そして、そこに他人がしいるとなると、こういってはなんなのだが、自分で自分に感心するようなことがおこるのだ。 
 ただ、それは同時進行的な惚れ込みであって、他人がそこにいて、わたしがそこにいてという場がきえると、すべて無というようになってしまうのだ。 
 だから孤独には耐えられない。 
 いや、耐えるも耐えられないも、どうでもよくて、要するに自分で自分を発見することが一人ではできなくて、退屈だというくらいの意味である。ちょうどミザントロープの反対みたいな受身的存在なのだろう。独力で何かを生み出すという剛毅なありようではないのだ。 
 それで、アドリブ派というようなレッテノレもつくことになるのだが、たとえば酒の上の席でいったことを、あとで思いかえそうとして全くの空白であることに、がくぜんとしてしまう、といったことが、酒をのまなくてもおこってくると、行動的ラディカリズムの一員ということにもなるのである。 
  文台をひきおろせばすなわち反故(ほうご)なり
 終ってしまって、あとで反芻してみても、全く索莫としているのは、何もセックスだけにかぎらない。その索莫としているときに、わたしは私性を保持していることができない。わたしの私だる光輝のかけらもないようである。面白うてやがてかなしき、とはちがう。卒然と無なのだ。しかし、わたしが私であり得る場を、わたしは私の力でつくるこが私であると認め得る場は、なんらかの準位の共同性を媒介にしなければ成立しないのだから、そこでわたしが認め得た私は、ほんとは私ではない。だからといって、ごく小さな萌芽をひめているにしても、類ではない。わたしは、その意味でも、漂私である。みわたすと漂私はそこここに見出だせるのであるが、少なくとも、漂私には字義通りの意外性だけは期待できるのである。新しい出発のために。
 to TOP 
 
to HOME


志娥慶香氏

 
熊本には大切な友人が何人もいる。なかでも僕が公私混同して憧れ敬愛している作曲家・ピアニストである。バークリー音楽院・映画音楽作曲科を首席卒業。公私の「公」では夜の樹の芝居に二度も作曲で関わっていただいた。「私」では慶香嬢の色香に陶然としながらの会話が最高なのと、何時の日かグレイフル・デッドの「ダーク・スター」を弾いて聞かせて下さるという彼女のさりげない口約束を反芻するたびにワクワクしているのだ。(和田)
 
僕はクルミの中の迷路の話をしているのだ (2015年) 
  演劇組織「夜の樹」の舞台は音楽に似ている  志娥 慶香
 脱稿したてホヤホヤの湯気の出ている「僕はクルミのなかの迷路の話をしているのだ」台本をいただいた。四ページ目にはカタツムリの痕にぐるぐるに包囲されて、いつの間にかふちに立たされて覗き込むような感じで登場人物が繰り広げる現象をじーっと眺めていた。ちょっとでも体を押されたらスルーと落ちてゆきそうな感じ。所詮は演劇ド素人の自分、ひとりで読むのと完成された舞台を観るのとは大違い、役者さんの口調とか目線とか空間の使い方とかまったく想定外でびっくりさせられるし、やっぱり凄く感動する。
 和田周さんは戯曲家で俳優で、私は作曲家で演奏家であるから似ている。と、思う。というか、和田さんから寄稿をお願いされて、私には光栄で身に余る大役で、一体何を書けばいいのかと懸命になって「似ているところ」を探しているわけです。作曲家がオーケストラの楽譜を作って、演奏者が楽譜をもらって、それぞれの演奏者はそれぞれの音を出しオーケストラの個性となって、指揮者はそれら個性をまとめつつ、楽譜に忠実に、作曲家が存命なら作品の解釈も尋ねられるだろうが、そうでない場合が多いので指揮者の解釈を混ぜて音楽を完成させていく。楽譜を読める人が楽譜を見たって、どういう風に仕上がるかはコンサートで聞くまでわからない。このスタンスも似ているような気がする。
 音楽は目には見えないもの。まずは耳で聴くものである。音楽は、空間を漂う波動のイリュージョンである。と、私は感じる。演劇組織「夜の樹」の舞台は音楽に似ている。でも、まるで音楽を奏でているかのよう!とは言わない。
 和田さんとの出会いは二〇一〇年頃、竹内友彦さん(今や「夜の樹」文芸演出部のお一人)が監督した短編映画である。和田さんは出演し、私は映画音楽を作った。二〇一〇年頃、と書いたのは出来上がった映像を何百回と見ながら作曲するので画面に映る和田さんとは何百回と一方的にお会いしたような気になっていたからである。直接お会いしたのは二〇一一年。 カメラにたまにギラっと光る湿った瞳が印象的な方だと思った。それから立て続けに和田さんが出演する二本の長編映画の映画音楽を作曲させてもらっている。今年7月、和田さんが主演のひとりである来年公開予定の映画「マジックユートピア」スタッフ試写会で久しぶりに再会して古い映画の話をたくさんした。「第三の男、あの映画の最初から流れるツィターの曲、有名な曲だよねぇ〜。」と和田さん。私なりの映画音楽的解釈を述べると「あぁ!そうなの!? 気付かなかったなぁ〜、おもしろいねぇ! 今度は音楽を意識して見直してみよう!」とすごく興奮したご様子。劇中音楽にこんなに興味を持ってもらえるとは嬉しかった。
 演劇組織「夜の樹」は劇中音楽を使わない。(役者が口ずさむ歌や効果音的な音楽は別として。)使ったとしても劇中ではなく、過去に二回だけ、幕間に短い音楽を使う工夫しかしていないという。これまでに使った幕間の音楽はマルセル・モイーズのフルート練習曲と第二八回公演「夜の中の五つの夜」での志娥慶香作曲の笙の独奏曲のみ。不思議な偶然と言うべきか、フルートと笙、どちらも人間の息を直接吹き込み鳴らす、息継ぎの音も聞こえる、そういう意味では人間の声に近い楽器である。今日にいたるまで劇中音楽による演出に頼らなかったのには、どんな理由があるんだろう。それは舞台を見れば一目瞭然である。演劇組織「夜の樹」の舞台はほとんど言葉で構成され、声が鳴り響いて、そして沈黙がある。これは耳で聴ける舞台なんだ。目をつむって舞台を聴くと、こっちに向かって対話したり、あっちに向かって対話したり、空間を言霊が行き来している。空中で自立した言霊たちが押し合ったり絡み合ったり肩すかしをくらったりしている。かと思えば、一瞬で何十年前のある日へと時間を行き来している。その時空ゾーンにうっかり入ってしまったら戻って来られなくなるかも・・・「怖い」と思う瞬間すらある。いやちょっと待ってよ、一瞬で時間と空間を自在に操ることが出来るのは映像編集や音楽演出があってこそ可能な「映画」の魔術じゃなかったっけ?それをなんの道具も音楽も使わず目の前の舞台で、言葉と声と沈黙でやってしまうなんて、これはもはや「夜の樹超常現象」と言うべきか・・・。恐るべき、和田周マジック・・・。まったくもって音楽が入る隙がない舞台なのである。演劇組織「夜の樹」の舞台は、空間を彷徨う言霊のイリュージョンである。と、私は感じる。
 
 
to TOP

 
to HOME

 


 

 

佐々木幹郎氏

 
 
佐々木幹郎氏とは、ぼくが芝居を書き始める前、つくづく新劇内政治に嫌気がさして(と言うより、その一潮流に乗り、何人かの仲間を巻き込んで踊ってしまったことの責任を感じて)3年ほど芝居から足を洗ってトラックの運転をしていた頃に、岩佐氏の紹介で付き合い始めた。ある日、彼は僕を連れ出して高尾の山に登り、「和田さん、このままじゃあんた駄目になるよ」と山頂でぼくに説教をした。丸腰でうろたえたのを憶えている。
そんなわけで、第一作から三作までは彼に教えを請いながら手探りで作った芝居である。(和田)
 
「ラネーフスカヤ隠し」(1987年)「新劇」1987年12月号劇評より
 劇がそよいでいる
 チェーホフの『桜の園』の第一幕、ラネーフスカヤ夫人登場の場面。その場面の直前に こんなト書 きがある。
「二台の馬車の乗りつける音がする。ロパーヒンとドウニャーシャが、急ぎ足に出て行 く。舞台はがらんとなる。近くの部屋部屋で、ざわめきが起きる。リュボーフィ・アンドレーエヴナ(ラネーフス カヤ夫人)を馬車で迎えに行ってきたフィールスが、杖にすがりながら、あたふたと舞台を横ぎって 行く。古めかしい仕着せを着て、高い帽子をかぶり、なにやら独りごとを言っているが、ひとことも 聞きとれない。舞台うらの音がいちだんと騷がしくなる。『ねえ、ここを通って行きましょうよ・…・』 という声。」
 「ねえ、ここを通って行きましようよ」という声は楽屋の方から問こえてくる。それからラネーフス カヤ夫人たちの一行が、どやどやと舞台に出てきて、もう一度同じ台詞。
アーニヤ  ここを通って行きましようよ。ねえ、ママ、おぼえてる? ここ何のお部屋か。
リュボーフィ・アンドレーエプナ  (嬉しそうに、涙ごえで)子ども部屋だわ!(松下裕訳)
  何度読んでも、みご とな劇のはじまりだと思う。舞台にはそれまでロパーヒンやドウニャーシャた ちがいて、この劇のヒロイン、ラネーフスカヤ夫人が五年間外国暮らしをしていて、もうすぐ戻って くることが告げられている。それから彼らは退出し、「舞台はがらんとなる」。「近くの部屋部屋で、 ざわめきが起きる」。 一瞬の静寂があり、「ざわめき」があり、それが高まり、やがてヒロインが登場すると いうこのシス テムは、あざやかに切り取られた古典的な「劇」のはじまりの姿を示している。観客は次のシーンか ら物語がはじまることを待ち構えるよう、自然に仕向けられる。
 九月二十二日に夜の樹+文芸坐ル・ビリエ提携公演『ラネーフスカヤ隠し』をみた。こ の劇はラネー フスカヤ夫人登場直前のチェーホフのト書き、「近くの部屋部屋でざわめきが起きる」という、その 「ざわめき」だけを二時間かけて描こうとしていて、舞台にはラネーフスカヤ夫人は最後まで登場し ない。いったい『桜の園』の第一幕にある、「近くの部屋部屋」からの「ざわめき」、舞台うらから の「ざわめき」というのは何であろうか。以前にわたしは、現在の劇はすべてどのように劇をはじめ たらよいのか迷っている、と書いたことがあるが(それは同時に、劇をどのように終えたらよいのか、 迷っているということでもある)、『ラネーフスカヤ隠し』はまさしく、では「劇のはじまり」とは 何であるのか、あったのかを真正面から問いかけた作品だ。ヒロインが登場するまでの、物語のはじ まりを予兆させる「ざわめき」は、「劇的なるもの」(あるいは「物語」)が疑われ、解体させられ ている演劇の現在にとって、その疑いの根を晒し開いてゆく格好の入口である。ここに和田周が目を つけたとき、そのアイディアによってこの劇は演劇の現在を象徴しうるものとして、すでに半ば以上 成功したと言ってよい。
 劇冒頭で、加藤忠夫(実に新鮮な演技をする!)が三輪車に乗ってル・ピリエの柱の奥 からあらわれ、 妙な方言でワラビ採りの話をする。少年なのか老人なのかわからない奇妙な味わいを持つ一人語りで、 これが終わると、ビー玉遊びをしながら維田修二が『桜の園』のラネーフスカヤ夫人登場までの、ロ バーヒンやドウニャーシャの台詞や、先に引用したト書きの部分を、いかにも新劇風といった声色で 喋る。このへんがチェーホフからの導入部分であり、あとはこの劇の幕切れに、下手の楽屋目から舞 台上に強い光りが投げかけられ、「ここを通って行きましようよ。ねえ、ママ、おぼえてる? ここ何 のお部屋か。」という声が間こえてくるまで、『桜の園』の全てのシーンとは切れてしまう。いや、 完全に切れているのてはない。この劇のどのシーンも、「劇のはじまり」を探る手つきをみせたまま、 その「はじまり」の一歩手前で止まってしまうことが積み重ねられていて、いわばこれがラネーフス カヤ夫人登場までの「ざわめき」の正体ということになる。
 劇の全体構造が実にうまく仕組まれていて、特に中半から後半にかけてのスリリングな 展開スピード は「はじまり」へ向かって急傾斜してゆく勢いを見せて息をつかせない。
 わたしが最も感心したのは、俳優達の一人一人に台詞を喋る演技のレベルを、何層にも 与えていると いうことである。一人の俳優がいわゆる新劇風のくさみを持った台詞を喋っているかと思えば、いき なりそれが他の人物から遮断され(その遮断された瞬間の、田部誠二や維田修二のあわれな自信なげ な表情が面自い)、今度は突然一人だけの呟きに入ったりして、表現するレベルをさまざまに変容さ せる。次のようなシーンも同じである。
 疾風怒清の劇をやりたいのなら、と言って田部、維田、そして瀬畑奈津子の三人が卓袱 台をはさんで、 さまざまな物語を作ってみせる。最後に少年のような男(加藤)に、「怪人二十一面相」の毒人りチ ョコレート作りの手順を教え、こういうことをやってみるかい、とすすめる。「くそ面自くもないよ!」 と加藤が言えば、そうだろう、疾風怒清の大立ち回りのかわりに、いっそ左官屋にでもなったらどうだろう、と女(瀬畑)が言う。「え!ちょ、ちよっと待ってよ」と加藤があわてるシーンで、突然、 暗転。そして次のシーンでこの劇を象徴する魅力的な場面がはじまる。
 男三人、女一人が暗闇でストーブに火を人れ、その火を見ながら、まったくとりとめも ない会話が進 められる。この会話は幾つかのパターンで構成されていて、横に並んだ二人同士の会話。あるいは二 人ずつが他の二人と交差しながらの会話、そして男一人をストーブの後ろに立たせて、残りの三人が 口々に喋りはじめる。さらに四人は竹馬や子供の遊び道具を持って、舞台上手の柱の隅に集まり、観客席の方を向いてそれぞれが同時に別個の話を喋り続ける。これら全て、「劇」がはじまる前の「部 屋部屋で、ざわめきが起きる」、その「ざわめき」の正体である。その正体が舞台上に露出させられ ることによって、この劇は反「劇的なるもの」の姿を、くっきりと浮きたたせるのだ。特に、ストー ブの前の男女の会話は、火の光りに照らされて、とりとめもないながらそれそれの関係が強く生きて いて、キャンプ・ファイアー・トーク独得の、はかなげであわれなイメージがかもし出されていた。 劇から遠く、限りなく遠く、と作者が追い求めていった結果、古典的な「劇のはじまり 」を予兆させ る「ざわめき」にぶつかり、その声の中から「劇」のはじまりと終わりの姿が、ドップラー現象のようにすれ違う。この劇の幕切れは、そういう意味て大変切れ味がよい。
 舞台上手の柱の隅で四人が同時に喋るシーンの後で、突然、舞台上手の扉からフロック コートと山高 帽をかぶった男(常松伸一が、ゆっくりと下手の楽屋口の方へ歩いて消え去る。これは『桜の園』第 一幕のト書きにあった、ラネーフスカヤ夫人を迎えに行ってきたフィールスの、「あたふたと舞台を 横切って行く」姿の幻である。いや、そんなこと(『桜の園』のストーリイ)を知っていても知らな くても、この山高帽の男の登場は意味不明の衝撃力に満ちていて、観客の視線はこの男の右から左へ 動き、また下手楽屋目からこのとき同時にもれてくる強い光りの投げかけられた先を追って、左から 右へ、いっせいに戻ったりする。右へ視線を戻すと、それまで上手の柱の隅でざわめいていた四人は、 ピタリと喋るのをやめ「子供郡屋」での遊び道具を放り出して、大急ぎで下手楽屋口へ走り込む。観 客の視線はここてまた右から左へ、いっせいに動かされる。そして、下手楽屋目の光りの中から、次 のような台詞を間かされることになる。「ここを通って行きましようよ。ねえ、ママ、……」。劇は ここで終わる。
 まさしく舞台へ向ける視線が右から左へ、左から右へ、行ったり来たりしている内に、わたしはそれ が劇の終わりであるにもかかわらず、「劇」のはじまりであるというシーンの提示の面自さにひきこ まれ、現在において劇のはじまりも終わりもどちらも不可能になっているということを、実にたくみ に教えられたのである。
 加藤忠夫の大変自然な演技と、瀬細奈津子の解き放たれたような自由な演技が特に印象 に残った。借 しむらくは劇前半のモノローグ部分の台詞が長すぎ、この劇の攻撃性(反・物語、反・劇的なるもの、 反・劇のはじまり)を弱めているということだ。ここをもっと刈り込めば、この劇は前半後半ともリ ズミックな「ざわめき」に満ちたことだろう。ル・ピリエの何の舞台装置もない黒一色の空間が、こ の夜硬質な劇の輝きに満ちた。
 
「上演台本」(1987年)「新劇」1987年1月号より 
「少年の死体は歩く」より)
  十一月十四日に夜の樹の『上演台本』をみた。よく練り込まれた戯曲で、久しぶりに大 人の成熟した息づかいの聞こえるような芝居に出逢えたと思った。登場人物は四人。ルピリエの天井の高い、縦長 の空間に、舞台装置は食卓とその上に乗る食器やコーヒー・メーカー、それに椅子だけ。男女の三角 関係を、主に男の側からの嫉妬を中心に描いた家庭心理劇だが、田部誠二と瀬畑奈津子が元夫婦、そ して現在の夫を維田修二が演ずる。
 この劇で特徴的なのは、男女ともに共通の文体で台詞が喋られることだ。何かを回想す るとき、人は誰もこのように静かに(感情を沈めて)言葉を吐くか、と再認識させられたのだが、劇の最終シーン で一瞬登場する和田周も含めて、男三人女一人がこの場にいながらこの場にいない、どこか遠くの方 を眺めているような眼差しで台詞を喋る。「…したことを憶えている」「……を憶えているわ」とい う会話の連続で、観客席に届いてくるのはある種の幾何学的な精神構造。
 俳優達の動きは限りなく少ない。最初に黒板に書かれた杜市の詩を、回想の中の父親が 息子に説明するシーンがある。この詩の読みとり方が劇の伏線となっているのだが、このことでもわかるように、 イメージはあくまでも言葉を中心に動く。わたしはこの劇の会話の運びに聞き入ったのだが、それは どこかで回想の袋を打ち破るような、破裂音を聞きたかったからだ。つまり、男の嫉妬は自省の感情 の中でのみ揺れ動くものではないから。しかしそれは最後まで間こえず、わずかに現在の夫婦二人が食卓をはさんで向きあっているシーンで、食卓の下から登場した元夫が、突然、コーヒー・メーカー のスイツチを入れる、そのモーター音が破裂音に近かったと言えば言えるだろうか。真面目に演じれ ば演じるほど、そこはかとなく笑いが生じる劇(この感触は、小津安二郎の映画が持つ味わいに似て いる)というふうにわたしはみたが、実際に劇の後半部で元夫の田部誠二が、天井からステージに落 ちてきた三角形の照明の光りをインド大陸に見たて、そこから連なる白いテーブル・クロスのかかった食卓をヒマラヤ山脈、白いコーヒー・メーカーをシムラという村のある高台、というふうに説明す るくだりは、そのイメージが箱庭的な壮大さを持つだけに、男という動物のこっけいさを浮かび上が らせた。成熟した大人の嫉妬の感情が、ここでもモノマニアックな少年のひたむきさに転化していた からである。
 
to TOP

to HOME


 

鈴木 衛氏 

 
1995年第12回公演「吸血鬼の咀嚼について」以来、チラシのデザインを担当していただいている。半年かけて台本をWordで書き上げると、まず深夜、そのままの氏に添付する。その意味で僕にとって芝居づくりのいちばん近い存在なのだ。     (和田)
 
指のあと冷たく 2015年
  「身投げ」           
 
 和田周氏の芝居から感じることは、「妙に色っぽい」である。但し、便宜上そうしただけで上手い言葉は見つかっていない。「色気」NO。「エロチック」NO。私の貧しいボキャブラリーからは探し当てることが出来ないで居る。私が捕まれている、夜の樹の「何か」なのだ。
 舞台の上で女と男が尋常ならざる振る舞いを繰り広げるのだから、それだけで充分色っぽいじゃないか。なんて当たり前の解釈では身も蓋もない。
 夜の樹に登場する男女は、肉体派ではないし、情熱的な愛語もない。男と女の出会いにも再会にも、親和的なものが感じられない。二人の間にはいつも暗くて大きな隔てがある。今にも飛びかからんとする男も、まずは見えない何かに跳ね返され滑稽な格闘を繰り返す。女も届かぬ言葉を見送りながら、からからに乾いた喉から塩辛い濁点だらけの言葉がもれて、それはあらぬ方向に滑り落ちていく。不毛である。煩悩まみれ(?)の不毛の愛。愁嘆場。うん色っぽい。……でも違う。
 和田氏は、格闘に疲れ、行き場を失った二人に彼岸行きの美しい小舟は用意しない。徹底的に向き合わせるのだ。向き合った二人が相手の暗闇に身を投げる事を求めるのだ。飛び込んだ先に何があるのか、虚しくすれ違うのか、また再会できるのか保証付きではない。だが、勇気を持って飛び込めば、そこは茫漠とした無明の闇ではないだろう。その闇の中でまた生き直そうよ。小さな明かりを灯そうよと。
 和田氏は優しいのだ。その勇気が高まるまで静かに待っている。「さあ、みんな、この暗がりに飛び込もうじゃないか。せ~の~」などと無粋なかけ声は一切言わず、斜め3度ぐらい視線をずらして穏やかに無音のまま口を動かしている姿が見える。俳優達も全身で飛び込んでしまう。その姿には恍惚感さえ感じる。
 ああ、これが夜の樹の「何か=色気」なのかな? ずるいな。私を置き去りじゃ無いか。さっきまで傍観者として他人の暗闇をのぞき見していたのに、いつの間にか同伴者気分になっていた自分に気がつく。いつも、夜の樹だけがあっちの世界に消えていく。
 今年も夜の樹の季節だ。和田氏も俳優達も身投げ覚悟で出を待っている。
 人が生きると言うことは、暗闇に日々身を投げ出し続ける事かも知れない。身勝手、的外れの無明な72億の身投げ。私もその一員だ。今度こそはその海から飛び出して絶対彼らについて行こう。
 ふと友人の言葉を思い出した。
 「あの世がそんなにいいのなら、も少しここに居てもいいや」
 
to TOP

 
to HOME

 

清水邦夫氏

 
吉行和子氏の紹介で「キャベツ畑」のナマ原を読んでもらい、渋谷のジャンジャンの前の喫茶店で初対面の氏に優しく励ませれた。〈成功の予感の甘い香り〉に眼の眩む心地の一晩だった。盟友・照明の日高勝彦氏を紹介してもらったのもその晩だった。(和田)
 
「キャベツ畑の中の遠い私の声」(1981年)
逆照射としての離人症パンフより
  演劇というものは、一面人と人との“あいだ'”の感覚をとらえる表現形式ともいえます。
 この人と人との“あいだ”の感覚がなくなる離人症は、それ自体の臨床学的な興味もさることながら、演劇を逆の方角から検証する、とらえなおすといった刺激的なモチーフともいえるわけです。
 そういう演劇的な構造に興味をもつと同時に、やはりこの作者の<語りたい><語りつづけたい><語りつづけなければ>といったエネルギー、そして魂の火照りに圧倒されしました。吉行和子さんの紹介で和田さんと知り合い、生原稿でこの作品を読んだ時、深い感動をおぼえ、激しい嫉妬さえ感じました。
 舞台化はそれなりに難しい問題をいくつかかかえていると思いますが、作者及び表現者をかねる和田さんの情熱がそれをひとつひとつ打破し、多弁でありながら、激しく燃えた無言が舞台を圧したらと期待しています。 
to TOP

to HOME


 

杉山正樹氏

 
 
杉山正樹氏には、いただいたお言葉どおり、十二年まえの「長靴三銃士」から見守って頂いている。そのたびにどれほどつよい励ましのお言葉を頂いたことか。「寺山修司論を書こうと思っているのだけど」と、小さな声で言われたのは四年ほど前の文芸坐の喫茶店だったろうか。僕はその時まで迂闊にも、寺山や岡井隆・塚本邦雄らとともに「前衛短歌運動」を推進した名編集者が目の前の杉山氏であることに、気がついていなかった。約束の寺山修司論「寺山修司・遊戯の人」は昨年の秋、新潮社より上梓され、AICT(国際演劇評論家協会)の演劇評論賞と新田次郎賞を受賞。一気呵成に知的興奮を伴って読み下せるスリリングな修司論る。 (和田)

 
「真後への帰郷」(2001年)パンフより 
「夜の樹」の下で 
  この奇妙なおもしろさを、いったい何にたとえたらいいのだろう。「夜の樹」の公演を観るたびにそうおもいながら、いまだに、適切な答えが見つけられないでいます。 池袋の文芸坐ル・ピリエで『長靴三銃士』(一九八九)を観たのが最初で、地下の六本の柱を活用した舞台は素のまま、しかも照明が暗かっただけに、なんだか胎内めぐりでもしているみたいな、不思議な体験をしたのでした。時間もなければ空間もない、宙づりになって闇にただよいながら、とてもあたたかな波につつまれてる感じ。このまま、もうすこしここに座っていたいな。ハネたあとそんな気のする芝居は、めったにあるものではなく、まるで、自分がみたのは夢で、夢が跡かたなく消えたとき、自分もまた一緒に消失してしまったような感じ、とでもいえばいいのか。 それが和田周の作劇法のせいだと知ったのは、戯曲集で『蠅取り紙』を読んだときでした。このドラマは歌仙とまったくおなじ三十六景の構成で、前場で残った人物が、そのままの姿で次の場の別人に変身するというくりかえしを原則に、およそ予測もつかぬ世界がつぎつぎと展開してゆく。観客はジェットコースターに乗せられたように、切り変わる風景をただ茫然と体験する仕掛けで、なるほど、夢のかたちに似ているわけですね。 しかも、情景が一変するたびに、人物は前後でズレを引き起こすから、笑いがこみあげてくる。ブレヒト流の異化効果というよりは脱臼、こちらが思い入れをしようと身がまえるたびにつんのめって、おのが無様さを笑うほかない。これって、なんだか「生」そのものの滑稽さにも通じるじゃないか、という印象があとあとまで残るのです。 いやいや、そんな単純な構造ではないのだぞ、これは解体の劇であり、物語を喪失した現代人の実像を、分裂した形態それ自体によって提示する不条理劇だ、世にも切実な自意識のドラマなのだ、という声が耳の中から聴こえてくるし、そうにちがいはないのだけど、この際むしろ、むやみに逸脱してゆくおもしろさや、予定調和や因果律を軽く足蹴にする反骨の連想ゲームのおかしさを、あえて強調したい気がする。アクロイド殺しも、『桜の園』も、小栗判官も宮澤賢治も吸血鬼も長靴三銃士も、あるいは多重世界も最後の晩餐も七つの大罪も蕩児の帰還も、ひとたび和田周の劇中に引用されたが最後、とんでもない放物線をえがいて飛んでゆくからです。 もっとも、こっちがいくら能天気でも、どの作品にも共通する、一種沈痛な基調低音に気づかぬわけではありません。それこそ、作者が「生」の深みから発した声であり、私的な告白ではなく、劇的表現へと昇華してゆく苦心が推察できぬでもない。現に作者は、父親の生涯を要約してこう書いているのです。 《思うに、人は、あらゆる状況のなかで、あらゆる他者のまえで、結局は彼らしくなくふるまい、彼らしくない言葉をはき、そして、彼らしくないエピソードを残して、ある日、それまで密かに脈々とつづいた見かけとは裏腹の思考をふと中断して、息を引きとるのではないだろうか。常にそのものらしさに迫ろうとして、土壇場でとほうもなくはぐれてしまう、そういった救いようのない生きざまの坐りのわるい感覚に生涯つきまとわれた末に》(『大坪砂男全集 』月報より抜粋) 父の大坪砂男は、敗戦直後、推理小説の世界で颯爽とデビューし、山田風太郎と比べられるほどにも奇想と才筆で鳴らした作家でした。『天狗』『私刑』『零人』をはじめ、後世に伝えられる秀作をいくつも書きながら、疾風のように駈けぬけ、やがて市井に身をひそめることになります。《新宿周辺の水商売アパートで》十八歳から二五歳までの七年間を《すでに社会的に葬られた》父と暮らしていた若い和田周が、どんな眼と風貌をもち、現世をいかに見据えるようになったか。この回想文の一節は、あるいは和田周の戯曲のどの台詞にもまさって、かれ自身の本音がこぼれ出ているような気がします。《常にそのものらしさに迫ろうと》しながら《土壇場でとほうもなくはぐれて》しまう《坐りのわるい感覚》。否応なしに背負わされてしまったそんな厄介な「生」の感覚を、跳ねかえし、睨み据え、やがてにやりと微笑みながら、歌仙を巻いてゆく。そして、多年にわたる遊戯をくりかえした挙句、あの軽みの佳作『引き潮の時間』や、現実を深部でとらえてみせた秀作『微熱図鑑』が結実したのでしょう。 さながら、自分の姿を前後左右から同時に眺め、死の側から現世をふりかえり、此岸と彼岸とが入れ子構造になって錯綜し、過去と未来と現在とが渾然一体となって進行する世にも奇妙な連歌興行は、じつは、その気になれば、いつでもだれでも参加できる、開かれた「座」なのです。ひとつ、一座に加わって、遠い未知の場所まで遊びに行ってみましょうか。ほら、こんどの『真後への帰郷』冒頭の、水野さんの台詞が聴こえてくる。
 
水野さん そのとき、ふと、〈ああ、これは夢なん だ。ぼくはいま夢のなかで、あなたに会っている んだな〉って、はっきり気がつくことって、ある でしょう。 
奥さん  夢のなかで? 
水野さん ええ、夢のなかで。
  
 池袋のル・ピリエから渋谷のジァンジァンへ、そして東京芸術劇場の小劇場へと、場所を変えるたびに「夜の樹」が高く(でも本質的にはちっとも変わることなく)育ってゆくのを、ひとりの観客として楽しませていただきました。さて、ことしはいつもの面々が、どんなお芝居を見せてくれるか。田部誠二は、古山桂治は、大谷草平は、香川美和は、寺田裕二は、そして瀬畑奈津子は……と、俳優たちの懐かしい顔を順々におもいうかべながら、阿佐ヶ谷のザムザでの「変身」が、今から待たれてなりません
to TOP

to HOME


 

竹内友彦氏

 
何故か三年前あたりから僕の息子より一世代も若い友人が出来た(遠山昇司氏、三浦剛氏、竹内友彦氏等)。しかも妙な言い方だがまっとうな友達付き合いをさせてもらっている。つまり自惚れではなくモロ対等に触発し合い、対等に馬鹿を言い合う付合いなのだ。竹内氏は大学院できっちり映画の勉強をした作家ですでに二本短編映画を監督している。縁あってその二本に出演させてもらっている。この翌年、夜の樹第28回公演「夜の中の五つの夜」で僕と共同演出をしてくれて、そのまま夜の樹の文芸演出部に加わってもらった。    (和田)
 
 「まうしろの今」 (2010年)パンフより 
私家版:夜の樹のスルメ
  「夜の樹」の和田周さんとは、3年前に拙作の劇映画に出演していただいた時からのお付き合いになる。以来、連続して出演していただいているのは、もちろん俳優としての和田さんに魅力があるからに違いないのだが、どうも「和田周」という個人と一緒に語り合い物を作っていくという作業に魅せられているようである。
 互いに文学や映画が好きであり、話を始めたら全くもって際限なく広がっていく。作品について話しあう時も同様である。実際のところ、和田さんほど作品の輪郭をややこしく宇宙に向かって押し広げていく人は、僕の周りにいない。それが愉しくて仕方ない。見つけたペンキ缶を片っぱしからぶちまけるように痛快である。きっと、そんなやりとりが可能なのは、和田さんがいつだってフェアであるからだと思う。半世紀ほどの年齢差があるのに、年齢その他、何一つとして差を設けないのだ。そうして出来上がる無重力状態のおかげで、時空の限りはどこまでも、脱線してはまた線路を敷いて、我々の対話は誇大の銀河をめぐるのである。
 さて、今回はそんな和田さんにパンフレットに掲載する文章を依頼され、光栄で身に余る思いなのだが、果たしてどうしたものか悩んでいる。僕は演劇に関してはハ長調のド素人だし、そもそも批評家でもない。本当なら「夜の樹のスゝメ」と名打った立派な文章でも書ければ良いのだが、それは望みようもない。ならばいっそ開き直って、まがいものなりに自らの「夜の樹」体験を用いて、「夜の樹のスルメ」をこしらえて、暇潰しに皆さまにご賞味いただけたらと思う。元より単なる「スルメ」なので、教訓は何一つなく、味わいしかありません。もちろん幕が開いたら吐き出していただいて結構。できれば「アタリメ」となれば幸いという次第でもって、始めます。
 『まうしろの今』は、今までの「夜の樹」の台本の中で一番読むのに時間がかかった。何故だろう?どうもいわゆる難解さとは別のファクターがあって時間が掛かっているようである。気づくと別のところ、それが思考の道筋であれ、記憶のフィールドであれ、はずれたところにポンと投げられている。しばらくぼーっとしていて、おお、いかんいかんと読み直すのだが、またどこかに飛ばされてしまう。コーヒーはいつの間にか空になっている。これはもう完全に「夜のスイッチ」が付いてしまったと思う。
 「夜のスイッチ」とは何か?―レイ・ブラッドベリの絵本『夜のスイッチ(Switch on the night)』に描かれたあれです。暗いところが嫌いな男の子の元に「ダーク」という名の女の子がやってきて、「夜のスイッチ」をつけて、星や月を点灯させたりして男の子を夜に馴染ませていくという、何とも胸のすく発想の転換を提示したお話です。
 「夜の樹」の演劇、和田周の世界は、さながらこの「夜のスイッチ」おとな版である。それも子供時代に真昼間から乱用していたヘビーユーザー用である。そこに盛り込まれたアイディアたるや、転換どころか幾重にもねじれを引き起こす厄介なものばかりである。例えば、夜が余りにも輝きを増すために、昼よりも明るくなったりする。そして、疲れて眠っている太陽や犬猫や蝶々なんかの密かな寝顔を、星たちが明かすことになる…。しかも、今回の『まうしろの今』ではさらに一歩、崩壊すれすれのところまで踏み進んでいるように思える。
 これは、一体何なのだろうと思っている内に、一つの囁きが聞こえた―丁度、『夜の樹』を書いたトルーマン・カポーティが自身の『遠い声 遠い部屋』に引用した有名な旧約聖書の一節である。
「心は万物より偽るものにして甚だ悪し。誰がこれを知るをえんや。」(エレミア書十七:九)
 甚だ悪しなのかという判断は保留しておくとして―実際、心ほど厄介な存在はない。夢に対しては目覚めがあり、心理には階層という関係性が設けられているのに対し、心には境も位置関係もなく、ふしもなければ、くさびもささらないからだ。かつてフョードル・ドストエフスキーは神とがっぷり四つになって壮絶に格闘し、結果、全面的にではないにせよ、「格闘し得えた」ということを示すことで、神を変えることができた。しかし果たして彼を以てしても、心に勝利することができるだろうか?いや、そもそも四つになって格闘することができるだろうか?―できはしない。何故なら心は勝利敗北もを偽れるからである。そして、その偽りの最中にあっては、目の前にある世界が現実である。つまり、心は世界すら作ることが出来る。そんなもの相手に戦うことなどできない。水の中で空気を吸い、走ろうともがくようなものだ。「惑星ソラリス」に降りたクリスの絶望を見よ。意味も目的もなく、我々の心の中のものを複製し続ける星の営みが我々に与える、究極の無力感も心ゆえにである。
 しかし、世の中にはそれでも心に向かっていくのが好きな人間がいる。不吉な予言の鳥の住む森の中へ、原色と影たちの踊る歓楽街へ、影一つない赤い砂漠へ、性懲りもなく、果敢にも、無謀にも、やむを得ず、向かっていく人間がいる。彼らは、人類史にとって遅すぎた勇者なのかもしれないし、単なる銭湯帰りのほろ酔いの物好きなのかもしれない。あるいは友達を求めてさ迷う孤児なのかもしれない。いずれにせよ、彼はみな孤独である。
 他者の目にはどう映るだろう? ―陸で溺れる狂人に見えるかもしれないし、お菓子をねだる駄々っ子に見えるかもしれない。―それだって悪くない。彼らの必死さは、物悲しくも滑稽で、クスリとさせることもある。ただし受け手に余裕が必要だが。
 またある場合には、ゴルフのスイングの練習をしている休日の係長や、遠いブロードウェイの舞台にあこがれる貧乏青年に見えることもあるかもしれない。―これはこれで結構。彼らの意志は、理解に難くないし、誰かの参考になることもある。退屈ではあるが、T・P・Oさえ適切であれば文句はない。
 けれど、欲を言うならそれでは足りない。どうなれたらいいのか?そうだ。パントマイムをやっている大道芸人に映るなら、それは上出来。立派なものである。作り手としては、できることならそういう地点を目指したいものである。
 彼ら心へと向かう人間を見送る上で、その向かう先を望もうとすると、ひょっとすると肩すかしを食らうかもしれない。そんな時、僕はむしろ彼らが何を携えて出掛けていくのかということを目を凝らして見るようにする。そういうイメージを持って改めて見ると、彼らがどこへ向かっているのかが炙り出されて見えてくることがあるからだ。
 僕の考えでは、和田さんがいつも携えていくのは「論理と成り行き」または「ござと本」である。選ばれた本は、一昨年は『ドンキホーテ』、昨年は『ピノキオ』であった。して曲者なのが、このござである。和田さんはいつも生活感たっぷりのござの上に胡坐をかいて本を読みはじめ、彼らを招く。ところどころほつれているし、それ以上に醤油のしみも目立つ。ちっとも来客用じゃない。寛いだ雰囲気に油断して座ったが最後。やにわに、よしよしちょっと話を聞こうじゃないかと言われ、いつの間にかまるで彼らも話があるようなつもりになって、あることないこと吐いてしまうのだ。こう言うと、何だか鬼の業のようだが、終始にこやかなものだから一層怖い。
 それでは、今回の和田さんは何を携えて何処に向かうのだろう。目を凝らして見てみると、いつもながらの使い慣れたござを一枚、左の脇に抱えて歩いて行く背中がみえる。足取りは買い物にでも行くようである。それで、今回の本はというと……おや、見たことも聞いたこともない本だ。タイトルがどこにもない。…それは、どうやら日記のようだ。しかも、何も記されていない日記である。何だか危なっかしい匂いがぷんぷんしてきた。こうなると、何が出てくるか検討もつかない。そして、さらに本番の舞台上では、その世界を夜の樹の面々が自身の肉体と人格を通して表現してくるのだから、これはもう、これはもう…帰りが怖いですね。ご注意ください。
 
to TOP

to HOME


 

遠山昇司氏

 
氏は熊本の人である。ぼくは鹿児島の高校を出た。鹿児島では田原坂の恨みがあるので、県外の話をするときにはかならず熊本を飛ばして宮崎や福岡・博多の話をする。だから今年、氏の作・監督の映画「NOT LONG AT NIGHT」(今年夏完成)の天草ロケに一週間参加して、初めて熊本の風土と味と情けにふれて、魂が消えるほど震えた。高校を卒業して以来の新しい認識を人と場所と物から得るとは、なんとも贅沢な体験である。(和田)
  
 「夜の中の五つの夜」(2011年)パンフより) 
和田周のことを考えている 
 「和田周」のことを考えながら文章を書くという行為は僕の中でかなりてこずる作業である。
 数ヶ月前から、何か言葉がほしいと言って頂き、ギリギリまで書かないで催促のメールを何度も送って頂き、それでも書かずに状態を維持し続けていた。 
まいったなぁ、と思いながら「和田周」のことを考えている
  
 5月28日 
 和田周:いまツイッター始めました。 
 5月30日 
和田周:Twitterって何? 今日まで僕という内部でつぶやき続け来た孤独な行為にいきなり風穴を空けて、娑婆 の風に晒せと言うのか? それはいい、面白そうだ。ただこれだけは(相変わらず外に向かってではなく内に  向って)手離してはならないような気がする。単独者の姿勢。  
 6月1日 
 和田周:Twitterを始めるにあたって「単独者の姿勢」なんてキザな形に拘ったのは、自分の死後に読むであろ う読者の目だけを意識して日記をつける作家や詩人 と同じ欺瞞を犯したくないからだ。でもそれってけっこう むつかしい。これまでニュートラルに呟やいていた呟きを意識せずに公開しようと意識する?
 6月4日
 和田周:言説を咀嚼、理解することで真の思想を手に入れることはで来ない。私の内部の狩り場で生け捕りする しかないのだ。そのことをつくづく教えてくれたのは、佐々木中であり福原泰平であり、佐々木を教えてくれた のは竹内友彦と遠山昇司。佐々木は30代、二人の友人は20代。なんという時代だ!  
 6月17日 
 和田周→遠山昇司:日常では「メロドラマは嫌いです」と呟くと本音でしょう。しかし舞台で登場人物が「メロ ドラマは嫌いです」と呟やいても本音かどうかは謎です。舞台上のクレタ人は嘘をついてもいいのです。 
 6月30日 
 和田周:戯曲を書き上げた自分のご褒美に、今年はノルウェー製のバランスチェアを購入。例の膝と腰で支えて 座るやつ。今まで「新しい物好き」と笑われるのが嫌で我慢していたけど、考えたら70年代に発売されたのだ から、今や「古い物好き」だよね。
  
  iPadを早速購入し、ツイッターとフェイスブックに興味を抱き、独り言を世界につぶやいている和田さんを見ていると、時代に助けられなかった物悲しさが伝わってくる。 
 しかしながら、そのぞっとするほどの滑稽さが和田さんの魅力であり、誰にも真似できない無邪気な意地が作品を作り上げている。
 和田さんのことを書いているとついつい難しい言葉を使いたくなってくるが、一言で言うと僕はいつも和田さんにうっとりしてしまう。 
 そして、和田さんとお話しするたびに学ぶ。 
 自分や自分の作品を退屈だと感じさせる勇気を持たないものは、藝術家であれ学者であれ、ともかく一流の人物ではない。 
 動くな、死ね、甦れ!
 
 11月4日 
 遠山昇司:いま和田周のことを考えています
to TOP

to HOME


 

福冨哲雄氏

 
氏の岩佐壽弥の「眠れ蜜」の助監督時代からの付き合いである。最近は制作会社の陣頭指揮の多忙ゆえめったに会ってもらえない。それでも芝居には毎年来てもらっている。会うと照れ性ゆえの軽い饒舌で申し訳ないくらいの心遣いをして貰うのだが、その心遣いの奥には確実に真摯でやさしい他者理解(容認と批評)がひそんでいる。有り難い友である。(和田)
 
 
「砂時計」(2013年)パンフより 
はた迷惑な芝居  
和田周の芝居は、はた迷惑なのである。切角現実だと思い込んで成立している私の日々の暮らしをあらぬ不思議で掻き乱し、仕事や生活に何の役にも立たない不安で切ない情緒が付き纏う、実に困った後遺症に悩まされる。それでも年に一回の通知が来ると、まるで麻薬入荷のお知らせでも届いたかのように危険を承知の後遺症を他所にそわそわし始めるのだ。 
しかも加えて和田周は空き巣狙いの巧妙な窃盗常習犯だ。 
留守中の<隙間>に忍び込み、他人の貴重な平衡感覚を盗むという困った男。  
さて、今年も何の飾り気も無い封書に潜ませたお知らせが舞い込んだ。  
その後送られてきた台本を読むとまた、これがヤバイ! 
今年も隙間狙いの悪巧みが満載じゃないか! 
胸元を閉め用心してかからないと、何とか保っている平衡感覚を盗まれてしまう。 
・・・と同じく、白い粉末のごとき魔の魅力が脳裏に浮かぶのだ。 
被害を覚悟の和田ジャンキー、益々ヤバイじゃないか!  
現実と虚構、生と死、現在と過去、記憶と忘却、観客と役者、肉体と言葉、舞台と客席、ありとあらゆる隙間に巧妙なレトリックを用いて忍び込み、盗んではそよっと切なくも心地のいい風を残すのだ。  
今回の悪巧みには<あの世>が殊の外多い。別に<あの世>を表現してくれる訳では無さそうだ。  
父や母、夫と妻、恋人たち亡き者が<記憶の隙間>に忍び込むための装置のように現れては、淡い記憶の綾が隙間風のように言葉をのせて脳味噌を撫でる。現実だと思い込んでいた芝居小屋の外の世界を儚い夢か虚構にすり替えられてしまうのだ。  
実はただひとつ、客の<私>が逆襲可能なポイントがある。それは演者(役者)が見せる演技の虚実皮膜という隙間にある。言葉を肉体化してもしても埋めがたい深い溝。何処までその溝を楽しむのかはこちら、見る者の特権なのだ。演者が予期せぬその妙なる隙間に忍び笑いを含ませる。これが実に快感なのである。しかしその隙間をも夜の樹はまた目論みのひとつにしているのだから何をか況んや、ならばガチンコ勝負。とくと観察させて頂くほか無い。  
結局またもや、芝居小屋をあとに池袋の雑踏にまぎれ、ぐらつく地べたを歩きながら隙間から現実感を盗まれた私は、儚い夢心地の風景を見るハメに陥入るのだ。 
誠にはた迷惑な芝居である。
to TOP

to HOME


 

別役 実氏

 
ジョイス、ベケット、ピンターの系譜と、別役実氏から学んで、僕は芝居を書き始めたつもりでいる。「学んで」ったって、「寒々として独学」のただの勝手読みをしましたというだけの話だが・・・。で、「ぼくは別役氏の弟子だ」と吹聴しているのだが、本人からお墨付きを貰っているわけではない。詐称である。「キャベツ畑」と「赤いツェッペリン号」は差し向いで懇切な指導を受けた。ただ、作った芝居はまだ一本も観てもらっていない。そのへんが「詐称弟子」の悲しいところだ。(和田)
 
 「キャベツ畑の中の遠い私の声」(1981年)パンフより 
新しい出発のために 
  60年代以後、「新劇」におけるそれぞれの集団は、それぞれに細分化されていった。60年代から今日に至る「新劇」の歴史は、細分化の歴史だと言ってもいい。しかもそれは、組織論の面においても、創造方法論の面においても、興業システムの面においても行われたのであり、更に言えぱそれらは、一度細分化されたものがそのままひとつの分流として今日に至っているのではなく.そのそれぞれの分流が、更に幾重にも重層的な細分化をくり返しつつ、今日に至っているのである。 
 現在、それぞれの集団の組織論や創造方法論の全体の見取図における位置づけが困難なのは、そのためであるが、しかしその代りに「新劇」は、数多くの独立した創造主体を生み出すことになった。和田周もそのひとりである。彼がどのような演劇的経路を経て今日に至っているのか、私はその詳細は知らないが、少くとも彼が今、その過程を通じて確かめてきた独自の演劇性に身を委ねようとしていることは事実である。 
 彼は演技者である。そして今回の作品は、演技者としての彼が、彼の内側よりつむぎ出したものであり、このモノローグ文体の強さは、すべてここに起因する。恐らくこれは彼の処女作であろうと思われるが、処女作というものが往々にしてそうであるように、自己開示への苛立たしい衝動が、ここにも激しく波打っているのであり、それが強力な説得力となっているのである。 
 この作品が、舞台でどのような空間を形造るか、まだ私にはわからない。そしてそれは恐らく、彼自身も同様であろうと思われる。しかし、それが必ずや独自のものであろうことは、ほぼ推察出来る。このモノローグ文体の内に秘められた多様な感受性が、その可能性を予感させてくれるからである。
 彼のこの試みが、冒険に充ちたものであり、ナイーブな感受性を通じて、独自の衝激的な空間を切り開かれんことを、期待する。
to TOP

to HOME


 

林あまり氏

 
長靴三銃士」の素敵な劇評を「テアトロ」に書いて下さって、嬉しさのあまり、あつかましくも直にお目に掛かりたいむねお願いして。それ以来の、ご飯を食べたり、稽古場に来てもらったりの、お付き合いである。だからパンフに嬉しいお言葉をいただいても、なんとなく贔屓の引き倒し(ではない!モロ引き立て)を強制したみたいで気が咎めるが、林さんに贔屓になって貰えるなんて、それだけでもなりふりかまわず嬉しくて、有頂天に自慢なのだ。
《以上は「微熱図鑑」のパンフに言葉を頂いた林氏の紹介文だが、それ以外にも新聞や雑誌に有難い言葉を頂いている。そして嬉しいことには2017年の「テアトロ」2月号の昨年度総括劇評座談会で「夜の樹」そ芝居をベスト5に挙げていただいた。感謝!
(和田)
 
 「微熱図鑑」(1999年)パンフより 
ぴかぴかの劇場で  
 私は「夜の樹」の、そして和田周さんの戯曲の大ファンである。冬の初めの芝居をたのしみに待つのが習慣となってから、もう何年が過ぎただろうか。初めて和田周さんの作品を観たときの驚きは今も忘れない。そして毎年、新たな衝撃をうけつづけている。 
 和田周さんの芝居の面白さのひとつに、せりふのリズム感が挙げられる。ほんの少し古めかしいそのせりふは新派か何かを思わせる心地良さ。ところどころ七五調が効いていて、日本語ならではのリズムが耳にたまらなく気持ちがいい。 
 今回の舞台「微熱図鑑」でも、いきなり第一場から気持ちのいいせりふがたっぷり浴びられる。死んだ父親が、生前の肉体の痛みについてしやべりまくるそのせりふ、もうここから私は客席でうっとりするはず。台本を読んでいるだけで今からたやすく想像がつく。きっとこんなせりふは、ほかの誰にも書けないだろうな、と思わずにいられない独特のせりふ。でも驚くことに、この独特のせりふのリズム感でさえ、和田周さんの創世界全体の魅力から見たらほんの一部にしか過ぎないのである。 
 和田周さんの芝居の最大の魅力。それはいつも〈新しい〉ことだ、せりふの古めかしさを華々しく裏切って顕ちあらわれる世界、それはとんでもなく新しく、いつだって〈いま〉をつかまえて見せる。 
 取り上げる話題がタイムリーな時事ネタであるとか、そういったことの新しさを言っているのではない。人と人とのコミュニケーションのズレ、記憶と現実の折り合いのつかなさ加減、そしてそれらすべてを持った人問というもののおかしさ。そんな一切が、まさに〈いま〉の私白身の問題であり、どうにもならなさ、であるのだ。 
 だから私は毎年「夜の樹」の舞台を観に行く。和田周さんの描く〈いま〉が、ほかの人と同じくらいに生きにくい私の〈いま〉をあぶり出してくれる、それを期待して。 
 この冬は東京芸術劇場小ホールでの公演だ。思えばかつて「夜の樹」がホームグラウンドとして利用していた池袋文芸坐ル・ピリェが休館となり、公演場所を渋谷ジアンジアンに移したのだったが、ジアンジアンが閉鎖になるという。「夜の樹」はここで思い切った選択をした。なつかしい池袋に建ったとびきり新しい劇場を選びとったのだ。今までと全く違う近代的な空間を和田周さんかどう使うのか、これも注目のポイントである。
 芸術劇場前の広場でスケートボードに興じている十代の人たちや、所在なげに腰かけている年配の人たちが、ふらりとホールをのぞいてくれないものか和田周さんの芝居にたくさんの力をもらってきたひとりとして、心からそう願っている。
  
大人の芝居 自然体(1994)LIBERTY HALL(自由時間)より
  小劇場演劇は若い人のものというイメージがある。けれどつくり手の側も観客も、確実に年齢をとる。25歳の演出家は5年たてば30歳になり(大人の目にも耐え得る芝居がつくりたい)と思うようになる。観客の方も年齢をとればとるだけ、それに見合う内容の芝居が見たくなる。そこで「大人の芝居」を志す劇団が増えるわけだが、これがなかなか難しい。小技ばかりが鼻につく舞台になってしまいがちだ。 
 ここで紹介する劇団は、そういう臭味がまったくない。自分たちのやりたいことをやっていたら、自然に「大人の芝居」になっていたという感じなのだ。 
 演劇組織「夜の樹」の主宰であり、作・演出を手がける和田周は五十代半ばである。この十年間、年に一本の芝居をつくってきた。和田がこつこつと掘り起こすのは、大人の男なら誰もが持つ記憶の痛みだ。新作『食卓の輝き』では、現実の家族、記憶の家族、幻の家族が食卓を囲む。現実の痛みよりも記憶の痛みの方が耐え難い……そう告げているような舞台だ。和田の初めての戯曲集『蠅取り紙』(テアトロ社)も刊行され、これまでの地道な仕事があらためて評価されている。(抜粋)
 
×月×日 (1993年)「ANIMA&ANIMUS」週刊朝日1993・11月12日号より
   待ちに待った本が出版された! 和田周戯曲集『蝿取り紙』(テアトロ、3000円)だ。小劇場の大ファンである私だが、大人の男性におすすめできる芝居はやはり限られてくる。そんな中で、五十代半ばの和田周が作・演出を手がける演劇集団「夜の樹」の芝居は、まさに大人のためのもの。本書は和田がこの十年間に発表した戯曲の傑作選だ。 
 特に家族の絆という幻に苦しむ人にぜひ読んでいただきたい。年齢を重ねるに従って現実のつらさよりも記憶の痛みの方が耐え難くなってくるーそんな思いを抱える人にも。 
 本書収録の新作戯曲「食卓の輝き」は、11月18日~23日、池袋文芸座ル・ピリエで上演される。 
  
自分で背負う人生 (1991年)時評’91(朝日新聞)
   『夜の樹』という劇団がある。主宰者であり、作・演出の和田さんは五十代の男性だ。若いころからずっと芝居に関わっり続けてきた。年に一回の公演ではワンステージ五十人程しか客が入らない。それでも芝居がはねたあとの和田さんは、にこにこと嬉しそうで、客の入りなど気にかけていない。満足そうな微笑みを浮かべて素敵な話を聞かせてくれる。 
 「三十代や四十代のころは、同窓会で友人に会っても、『アイツは芝居なんかやって、いい気なもんだ』って相手にされなかったんです。みんなお互いがどこまで出世したかってことしか興味がなかったから。それが最近、変わったんです。みんな望み通り部長や重役の地位を手に入れて、やれやれとホッとしたら急に空しくなったって言うんです。『この年齢まで芝居をやりぬいたお前が、もしかしたら一番いい人生を選んだのかな』って言ってくれて」 
 芝居が好きであちこち通っている私は、終演後に演出家や役者の人たちが次のように言うのを何度か耳にした。 
 「最近、客の質が落ちてさ」 
 自分が評価されないのは、時代のせいだ言う。または世間のせいだと言う。私自身も振り返れば、そんなふうに思ってしまうことがある。何かのせいにすることは、自分で背負っていくより楽だからだ。 
 和田さんは違う。客の入りが悪かろうと、生活が大変だろうと、自分でしょっている。だからこそ満ち足りているのだろう。 
 毎年、冬が近づくたび「あ、『夜の樹』の芝居の季節だ」と思う。二十代の役者と五十代の役者が一緒になって、人間の記憶の傷をたどる。「死ぬまでにあと何回、芝居ができるかなって数えちゃうんですよね」と和田さんは笑う。その芝居には「決して人のせいにはしない」生き方をしてきた人だけが持つすがすがしさがある。
to TOP

to HOME


 

三橋 修氏(和光大学元学部長)

 
盟友古山桂治の紹介で氏の制作したスライドにナレーションのお手伝いをしたのが、二十歳代だった。それ以来、硬派の兄貴分として付き合ってもらっている。むろん、夜の樹の公演はずっと見守ってくれている。硬派の兄貴だから、叱るときも褒めるときも、ビシッと直球でくる。小気味良く腑に落ちる。和光大学の学長というクソ忙しい役職なのに、たった三日や五日間のぼく等の公演を、しかもいちばん忙しい年末に、毎年来てくれるのだ。よほど目を掛けてもらっている弟分なのだ。むかし、息子が和光に入学したので挨拶に行ったら、「事前ではなく事後に挨拶に来たのは、良い心がけだ」と、このときも褒めてくれた。(和田)
 
 「テーブルの上の暗闇」 (2003年)パンフより 
見えないドア 
  周さんの造る舞台には、たくさんの目に見えないドアがある。穴と言ってもいいが、イメージとしてはドアである。舞台の上にしつらえられたちゃんとしたドアや窓枠などにごまかされてはならない。見えないドアは、四方八方、いや、八方どころか全空間のここかしこに、自由に存在する。ドアの向こうの空間は、空蝉の時間とは違う時間が流れていたり、ずっと遠い過去やはたまた遥かかなたの時間に属していたりする。異次元の空間かもしれない。登場人物本人が自分のくぐってきたドアの存在に気づかずにいることだってある。だから、大真面目に登場人物たちが会話を始めても、ズレが生じてくる。そこが可笑しい。 今はドアの向こう側と書いたが、そもそも、舞台がそのドアのあちら側なのかも知れない。これが癖ものだ。 「ホイ、来たな」と、こちらはドアのありかを想像する。そんな訳だから、突然、日常の中に潜む些細なことが、言葉となって過剰に舞台の中に充満することもある。そしてズレっぱなしの会話に笑いつつ、結構これがリアリスティックなのだと気づく。 空間の中に自在に存在するドアがある以上、「ご覧のみなさまに、高い舞台からお見せしちゃあ失礼だ。ご覧のみなさまには、ズズーっとすべてお見通しになるように、誰一人隠れようのない、谷底に舞台は設けさせていただいてやす」なんて台詞を周さんから聞いたことはないが、やむなき理由での一度を除き、周さんの作品は、常に観客が舞台を俯瞰できる小屋で上演されてきた。  さて、今回のお題はテーブルである。時にそれは、ちゃぶ台であってもいい。誰でも家庭を持ったとき、ともあれテーブルの一つは手に入れることであろう。子どもも、やれテーブルよりも背が高くなったとか、角に頭をぶつけたなどと、テーブルにまつわるエピソードをさまざまもって、成長する。いわば、テーブルは家族団欒の象徴だ。ダ・ヴィンチ描く「最期の晩餐」にテーブルがないと、そうとう間抜けなものになる。 自在に存在するドアを開けたてしたらば、テーブルはどのようなものを映し出すのか。ズレた台詞のかもしだす舞台が、上の方から俯瞰しているつもりの観客に思わず自分の心の中を観察させてしまう時、どちらが観ている方なのか分からなくなる。こうなると見えないドアは、舞台と観客の間にもあったこととなる。ヤレヤレ。僕には周さんの芝居には、そんな仕掛けが巧まれていると思う。問題は、こんな周さんの芝居にどんな身体の動きが、仕草さ、まあ一口で言えば「演技」が最適なのか。これだけはまだ、模索のうちと僕は見ている。 今回の舞台には、青年、若い女、男、老人と、世代を大きく跨った人々が一一人も登場する。たった二人で始めた「夜の樹」が、二〇回の公演を積み重ねて、これだけ多彩な人々を惹きつけてきたのだ。目出度いことである。すごいことである。
to TOP

to HOME


 

宮武侚史氏日本大学芸術学部演劇学科 講師

 
 
まだお目に掛かってご挨拶もしていない。仲間の姫遊里の恩師である。これまで姫が夜の樹作品出演のたびに篤い励ましのお言葉をいただいているのを、背中越しに覗き読みさせてもらって、今回厚かましくも姫をとおして原稿をお願いした次第である。有り難うございます。(和田)
 
 「吸血鬼祭」 (2007年)パンフより 
和田周の世界 
 それは、透徹された闇と真実(まこと)の光にある。 闇とは人の心である。光も人の心である。 「まがうことなく心は言葉か!」、その虚妄の闇に演劇人は苦悩する。 迷宮に疲弊し、〔生かされる〕をままで、舞台の闇に立つ。 あまりに無防備に丸裸で虚構にたたずむ姿は、かの殉教者のよう・・・  嗚呼、皆、息をのむ。 技も捨て寸鉄の外連(けれん)もなく真実(まこと)がある。イデアに隷属しない生命(いのち)の光がある。 「我ここに在りや。真実(まこと)を育む虚妄たる言語と虚構の闇にこそかく在らむ」 それが和田周の世界である。 和田周氏の演劇観は、誤解釈され上演される危険の高い『わが町』の作家ソートン・ワイルダーの真意に近いだろう。ワイルダーは言う、「世の中には二つの真実がある。ささやかな個人の日常とその存在に関わるであろう広大な宇宙、それらが歴然とある真実、それらが淡々と繰り返される真実。演劇はこの二つの真実を唯一表現できる芸実である。」(1957劇作集の序文より抜粋要約) 演劇に関わる誰しもが、真実(まこと)を望みながら、果たせない。ささやかな〔生きる〕に迎合し、現世(うつしよ)の仮衣(かりぎぬ)でお茶を濁しつつ、日々に追われる。そのうちに、「真実はない」ゆえに「真実探しも愚かなる人間の本性」と自得して、「演劇は虚構(うそ)である」の深長さに身も心も鎮めてしまう。 だが、和田周氏は決然と断ち、見つめ続けている。   
       第22回公演『螺旋袋とじ』、第23『蓮の花』を拝見して。
to TOP

to HOME


 

吉行和子氏

 
たぶん吉行さんは忘れちゃったと思うが、一九七〇年の始めのある晩、望月瞬と三人で「遊撃的拠点」という俳優集団を結成した。あちこちの演劇集団に客演を装って潜入し「しんそこ悔い改めさせよう」という超弩級戦闘的な俳優集団を目指したのだ。血走っているぶん、心情的に「濃い」集団だった。どれくらい「濃い」かというと、いらい僕は彼女の演劇的「弟」になり、姉はなり振りかまわず徹底的に僕を庇護してくれた。合評会などで僕がマズイ発言(演劇界内政治的に)をすると、怒気を含んで罵倒しながら僕の口を封じ、ほうほうのていで修羅場から助け出してくれたりするのだ。日頃の彼女の菩薩型のイメージをどれくらい損なうかなんて考えもせずにだ。僕の方はそんな彼女に思いっきり甘えて、すいぶん無頼な物言いと振る舞いをして回った。だから今回も、彼女のなり振りかまわぬ優しい言葉に(あ、また迷惑をかけてるな)と、すこし気が咎める。でも甘えることにする。(和田)
 
「つたえてよフランケンシュタインに」(2002年)パンフより
和田周の頭の中 
和田周さんと一緒に仕事をする事は何度かあるのだが、一番強く心に残っているのは、映画「眠れ蜜」だ。詩人の佐々木幹朗さんがシナリオを書き、岩佐寿彌さんが監督した、不思議な映画だった。三十年にはならないだろうけれど、ずい分前だ。あの時の出来事は、いまだに私の体の中に感覚の一部として残っている。 そう、出来事のような映画だった。小樽の町で出会った、かつて夫婦だった二人、和田周と私、水族館で彼は、別れた後にどのような時間があったか、という事を延々と話す。それはフィクションである事は間違いないのだが、本当の話に違いない、とすら確信してしまいたくなるくらい、真実の声音が伝わって来た。彼の声には、いつも真実がつまっている─。あの声で語られると、つい深く頷いてしまうな、と今思い出す。 鰊御殿は、これ以上の寒さはないだろう、と思えるくらい冷え切っていた。外は雪が積もっていた。その雪の中へ飛び出して行った和田周は、何かを叫んだ。今そのフイルムを観る事が出来ないので、ぼーっとしか思い出せないのだけれど、とび散る雪と、和田周の声だけは、鮮やかに蘇ってくる。 あの映画は、和田周さんに、友情という柔らかなものとは違う、壊してはいけない約束をさせられた貴重な作品となった。それ以来、彼の創り出す舞台から目が放せない。「夜の樹」が十九回目の公演を迎えた、というこの事実も、嬉しさと重さが混じり合った深い喜びを感じている。和田周は凄い! そして、彼と結びついて一緒に演劇を創っている人達も凄い! と思う。 ここにはまだ、舞台でしか味わえない「演劇」が息づいている。 私も一応舞台に携わっているので、襟を正して客席に座る。それなのに、すぐ観客になり切ってしまい、ただ笑って観ている。和田周って、とんでもなく可笑しい男なのだ。あんな真面目な顔をして、あんな真面目な声をして、頭の中はどうなっているのだろう。 「夜の樹」の公演を観ている時、私はサーカスの綱渡りを見ている時のハラハラ、ワクワクした感じと似ている気分になる。大きく違うのは、サーカスは落ちたら、それはだだの失敗だけれど、この「夜の樹」の綱渡りは、落ちたらまた新しい世界が広がる、と信じさせる。渡り切ってもいいし、落ちてもいい、和田周は、何をやったっていいんだ、と私は絶大な信頼をしてしまっているのだ。それもこれも、あの映画で出会った和田周の真実を見てしまったからだと言い切れる
to TOP

to HOME


 

山下智子氏

 
女優・京都弁で語る「源氏物語」の朗読者である。二月に一度の彼女の公演に僕は三年間通い詰めている。彼女を 目当てに光源氏を気取って。すこぶる付きの談話の名手でもある。公演後の鈴木衛氏(デザイナー・夜の樹宣材担当)を交えた密会 (蕎麦屋での)は至福の時間である。(和田) 
 
岸辺の鉱石ラジオ 2016年  
  欠落感こそ愛なのだ                         
 明るくなった舞台に唐突にひらかれた世界で交わされる言葉のいくつ目くらいからだろうか、わたしは宙づり状態の中に足音をさせない男のくるぶしや過去から声をたぐり寄せる女の息の色を間近に見ながら、「今」を結び目にしてリボンのように広がる来し方行く先を俯瞰しはじめる。ことばの綾糸に掬いとられ、あっちをひっぱられこっちをくすぐられ、浮かびながらつる草のように広がってどんなヨギにもできないかたちになりかけた時、唐突に世界がこときれて暗転するとストンと私は器に戻される。膝の上の荷物の重み、足裏はちゃんと床についている。暫くののち舞台にまた灯りがつくと、次元が移行した世界のはじまり。   わたしはまた伸びたり縮んだりして・・・これを繰り返して蜘蛛の巣の上にある多次元を渡り歩くのだけれど­ー 。困ったことに真っ暗になる度に 「身体」を感覚して、底知れない不確かさに支配されてしまうのだ。真っ暗な中で「私は誰。」もの凄い速さで自分の中に駆け下りてゆく。名前はあてにならない、自分だと信じていたものはどこなんだ・・・。けれどこの闇のまさぐりは長く続かない。転換を終えて明るくなった舞台上にはじまる新しい世界にまたすぐ中身を持っていかれる。舞台上の人たちは言葉をほどいて「ここ」から「どこか」へゆこうとしている。彼らは あはひの旅人、此方にいながら彼方に属している。その世界のあいまあいまの闇に、確かに生身を感覚しているはずの自分が一番不確かであることが恐ろしくなる。和田周さんは転換と称してこの暗闇を終幕までの間何度も同時多発幽玄と交互に下さる御方だ。 
 かつて一度だけ経験した幽体離脱で横たわっている自分の姿を俯瞰したとき、本人としては死んでいるのと生きているのと大きく違いがないと思った。身体が自分なのではないと思った最初だった。魔術師とかペテン師とか様々いる師の中で、和田周さんは解離師なのかもしれない。  
 インド音楽は混沌とした世界の始まりから段階的に速度を増して粒子が細かく振動し内圧の高まりとともに上昇してゆき、ついに輪の始点が終点音で繋がると無音の爆発を起こして内包していたものを花びらのように天から降らせる。その時はじめて自分が浸っていた世界が「時」となって自分の「リアル」となって、言葉にできない懐かしみと甘やかな喪失感を味わうのだけれど、まさしくこれを「夜の樹」は体感させてくれる。そして和田周さんの紡ぐことば達は和歌のように、今ある一点と結するもう一つの次元を扇のように広げてゆく。一見難解な紫式部の長文みたいにめぐりめぐらされる和田周さんのやまとことばが、柔らかい含みをもってこちらにかさねられどこか遠くと響きあう。読む者を有形無形の多層世界の軸にしてしまう長大な源氏物語もまた、あれほどまでにことばを尽くして世代を跨いだ物語でありながら紆余曲折のストーリーそのものは読後無化されて、茫漠として白黒の境無い海に押し出された小舟で何万年も変わらない月の光を浴びている意識だけをふと感覚すると、天から惜しみなく降りつもる塵がやがて私の形をつくってゆく。( ここからどこへどうゆこうか )
 「夜の樹」の芝居の幕が降りると まもなく客席は明るくなってしまう。手もある足もある。でもまだ追いついてこないものがある。 
 暁時に和田周さんが、あちらからほのかにやって来る信号を受け取って、まだやわらかい音がうつろう先をことばにかえているー あくがれさまよう魂がとんでいってしまわないように 、しっかと下交いの褄を結び留めて戯曲を書いている姿を思う。立ち入ることが許されないあちらの領域に対し、いにしえの人は壁ではなくあえて御簾で仕切ることをした。息も匂ひもかよいあう半ば透き通った隔たりでもって限りない憧れをやわらかく残酷に隔てたように、和田周さんは夜の樹の言の葉ごしに、生身には痛みを伴うまほら場を透かして見せてくれる。日々の中で知らず知らずに作り出してはすがりついていた証拠みたいなものを失って、真に渇望しているものを遠いけれども嗅ぎとる幕切れ。今回も、容れものをなくすあはひの旅に誘われることを心待ちにしているのよ。 
to TOP

to HOME