これが「夜の樹」

●ある時、一人の女優と一人の男優が、二人で女と男の芝居を創ろうと思い立って、二人だけの集団を作りました。そしてそのうちの一人が《ル・ピリエで上演されるテネシー・ウイリアムズ作「話してくれ雨のように・・・」に俳優たちがつけ加えた二つの場》というながたらしい副題のついた戯曲を書きました。それが「夜の樹」第一回旗揚げ公演「キャベツ畑の中の遠い私の声」です。
 

●そしてその「夜の樹」に、「こんな芝居を創りたいね」「あんな芝居には参加したくないね」という、なんとなくおなじ好みの、というか、おなじ志の俳優が三々五々集まってきて、年一回の定期公演スタイルを持続して、今年で34回を迎えます。

 

 

 

 

 

●バラバラに集まって来たので、年齢層も20代から70代まで、バラバラです。34本の戯曲も、演出も、ずっと「キャベツ畑」の書き手の俳優が受け持ってきました。
 
●それでも専門の作家や演出家に頼らないで来たのは、「舞台で響くセリフの語感や自分の立ち位置についての空間感覚に現場で責任を持つのは役者なのだから、とりあえず、役者だけで試行錯誤をくりかえした芝居を作ってみようと、わりと頑固に決心したからです。
 
●「一人の個性とセンスで作るより、出演俳優の数だけの個性とセンスで作ったほうが贅沢だヨ」というのも暗黙のコンセプトです。
実際にこの頃ではすこし理想に近づいて、その場その場、演る側と観る側のパートを取り替えてながら全員で「ワイワイ」いいながら芝居が作れるようになりました。


(俳優って、自分のことは目が点になってほとんど見えないくせに、相手役のアラは人一倍見えてしまいます。だからそんな相手役にダメを出されると、つい「オメェーには言われたくネーヨ」状態に稽古場が荒みがちです。
ですからそれを乗り越えて芝居を作れるようになったということは、そうとうエライことなのですヨ)

どんな芝居を?

●「世直し芝居」よりは、「世迷い芝居」を! 「お墨付きの名演技」よりは、「札付きの迷演技」を!
●真っ当な思想にもとずいて無知蒙昧な大衆を宣伝教化しようと思い上がった「テーマ芝居」は、死んでも作りたくない。世の中や、自分の中の暗がりを息を呑んで覗き込むような芝居こそを作りたい。
だから「死」とか「夢」とか「記憶」といったような、答えのない、輪郭のあやふやな、暗がりの濃い対象をあつかう芝居、あの世とこの世を脈絡もなく行き来するような芝居を作りたい。
●でも、そういう不確かなテーマを、ただ誠実だけを売り物に難解の追求するようなクソ真面目な芝居は絶対作りたくない!(誠実とか真面目さは、柔らかな生命や感性の敵だから!) 
●近代的な権威主義や、「いざとなったら人をも殺しかねない硬直した生真面目さ」を目の敵にして、観客と一緒に劇場で(すこしばかり自堕落に)ケラケラ笑いたい!
●しなやかな感性で「暗がり」を覗き込みたい!そのためには、情緒・情念どっぷりの「悲劇」よりは、こわばりを笑い飛ばす、覚めたた「喜劇」を!