病床のT・S女史へ

 

高校の同級生十四名でインターネットに共有サイトを持っている。その一人、T・A女史が末期癌で病床に就いた。自分では書き込みが出来なくなったが、仲間の書き込みを病床で楽しみに読んでいる、ということを知り、彼女が戦っているあいだは、連日、彼女と共有した高校の日々の記憶を、サイトに書き込むことにした。(二〇一二年七月二十二日)
 
七月二二日
一 ピテカン
 三年の夏休みに世界史研班のメンバー五・六名がピテカンに引率されて一泊キャンプをした。たぶん吹上浜だと思う。美術部、演劇部の二股をかけていた僕が(しかも全科目赤点すれすれの僕が)なぜ世界史研究部なるものに首を突っ込んだかというと、フランス「革命」を「研究」したかったからだ。研究と称して図書館の本を二三冊読んだだけだったけど。僕よりはマシだがそれほど成績の冴えない造免君もぼくの唆かしに乗って部員に加わった。驚いたことに女子の秀才の双璧、Tさんと東郷さんも参加してくれた。今思うと結局部員は八組だけで顧問はクラス担任のピテカンというただの内輪集団だったわけだ。
 で、文化祭に向けての研究成果がどんなだったかはまるで憶えていない。僕個人としては恐縮な話で申し訳ないが、マリー・アントワネットが幽閉されていた部屋の壁板の裏から、彼女が隠した生理用品? が処刑後に発見されたという無惨な、知らなくてもいいエピソーを仕入れ、いまだにそれだけを憶えているという、申し訳ない研究成果だった。
 もう一つそのキャンプの狭いテントの中で、ピテカンがステテコ一枚の裸型をぼく等の前に晒した瞬間を憶えている。思春期ならではの残酷な感性で「なんて醜悪なんだ。許せない!」とその姿をいまだに脳裏に焼き付けている。そんな記憶は一刻も早く忘れたかったはずなのに。もちろんTさん、東郷さん、造免君は憶えていないだろうな。
 
七月三日
二 声
 昔、40人ほどの劇団にいたころ、一人、やたらに劇団内の女の子にモテる若手俳優がいた。「なんであんなにモテるんだ?」と親しい女性団員に聞いて、訳を教えてもらった。ぼく等が大声でワアワア喋っている時に、彼だけは静かに低い声で傍にいる女の子に自分の意見をみじかく述べるのだと言う。「まるで私だけに自分の大切な意見を明かしてくれているみたいに。」(ああ、この人は私だけを大切にしてくれる人かもしれない。)そんな気になるのだそうだ。なるほど、これは負けるな、と思った。
 話は違うが、今度の芝居にも書いたのだが、記憶・思い出って、映像だけがはっきりありありと甦るのに、その場で聞いたはずの音の記憶はほどんど消えてしまっていないだろうか? 僕の中にかろうじて刻まれている音の記憶は、戦時中のラジオから聞こえて来た「関東東部ぶん情報、関東東部ぶん情報」のリフレインで始まる空襲警報のアナウンサーの切迫した声と、ある夏、橋口先生のお宅を訪れた時に、手前の家から生け垣超しに聞こえて来たペレスプラード楽団の「マンボNO9」のトランペトの音だけだ。
 それともう一つ、以外にもTさんの声だ。彼女の声は驚くほど今と五十五年前と変わらない。低い、静かな、いつもその場でただ一人背筋を伸ばして事柄に正確に対処しようと心に決めているような、そのように自分を戒めながら生きているような・・・そんな声が、8組の教室から甦ってくる。もちろん(まるで僕だけに)と、勘違いして記憶しているわけではない。それは、ない。
 
七月二四日
三 ルパン
 高校一年の時、祖母が死んで、ぼくの手もとに彼女の壊れた老眼鏡が残された。その眼鏡から度の強いレンズを一個はずして、右の眼窩にはめて「ルパンだ」といって遊んだ。従兄弟に撮ってもらった勉強机のまえで得意になって反っくり返っているルパンの写真を、今も持っている。
 ポケットに入れて持ち歩き、ボッコンの授業の階段教室でそれを嵌め、振り向いて後ろの席を見あげたら、鮫島美保子嬢とバッチリ目が合い、彼女が意表をつかれて吹き出してくれた。きっと彼女は憶えていないだろう。他にも、おそらくクラス全員の前で、ルパンを披露したと思う。
 きっと誰も憶えてくれていないだろうな。2学年からそのお陰で右目〇、一の近眼になるという犠牲を払ったというのに。
 
七月二五日
四 戀
 甲南を卒業し、上京の日取りも決まっているぎりぎりの時期に、恋をした。それもどう考えても諦めなくてはならない戀だったので、造免君を家に訪ね、さいわい彼以外の家族が不在だったので、ぼそぼそと打ち明けた。打ち明けているうちに思いがけずドッと涙があふれ、嗚咽が止まらなくなった。そのまま武町の自分の家まで泣きながら帰った。彼の家から武町まで、左側の純心高校のある丘の稜線が涙でぼやけつづけていたのをおぼえている。
 それより半年まえ、そのころ名山堀に住んでいたぼくを永山君が訪ねてくれて、近くのラーメン屋で向かい合ってラーメンを啜った。ふと箸をとめて、「おい、本当の恋がしたいな。」そうぼくは言うと、「そうだね」と、彼が居ずまいを正して答えてくれた。
 名山堀といえば、当時あそこは市内唯一の色町で、母がそのど真ん中で「マリー・ルイーズ美容室」というパーマ屋を開いていた。図書館の帰り、市役所前のフェニックスの立ち並んでいる暗い通りを通ると、「お兄さん、お兄さん、マリーの坊ちゃん、おいで・・・」と暗い軒下から声がかかる。
 「おいで・・・」、そう、ぼくの知らない、至高の、めくるめく場所が、呼び掛けている彼女の背後にまぎれもなく在るのだ。軒下からの声は、うつむいて歩くぼくにそう発信しつづけるのだった。
 二○十二年の東京から五十六年前の鹿児島を思うと、なんと愛おしい街でぼくは十七歳を過ごしたことだろう。   
 
七月二六日
五  落ちこぼれ
 一学年の学期末に社会科に何を二つ専攻するかで二年、三年のクラス編成が決められてしまうのだが、ぼくはただの好奇心で日本史と世界史を選んでしまった。日本史には源平盛衰記や吉川英治の世界が、世界史にはアラビアンナイトもどきの物語がいっぱい詰まっているような気がして。ところが、世界史と日本史を専攻するクラスは一流大学を狙う生徒が集まるクラスなのだと、後で知った。ぼくや内山はそのことを知らなかったのだ。そのうえテスト期間中の授業が午前で終わる日こそこれ幸いと芝居を書いたり成人映画をはしごで観たりして過ごしたので、三年間、じつに几帳面にテスト結果の席次が前のテストより下がらなかったことは一度もなかった。じりじりと目で追える速度で落下したのである。おかげで、席次が発表される度にぼくの前後の成績の生徒が親しく声を掛けてくれたおかげで、胸襟をひらいた友達付合いをほぼクラス全員の男子と実現出来た。最後は内山の一つ上のビリから二番で卒業した。悔いはない。
 ただ、一つだけ無念なのは、入学当時、ぼくは英語が得意だった。そう自惚れていた。落とし穴は一年一学期の英文法の授業だった。名前は忘れたが年寄りのおよそ心の通わない退屈な先生が退屈な短い例文の丸暗記を強要するだけの、お座なりの授業をしたのだ。隣りに座っている松窪君が馬鹿正直にその丸暗記をこつこつ実践している姿を、ぼくは理由のない優越感を抱きながら横目で見ながら一学期を過ごした。結果、二学期にその退屈な老教師のBクラスに振り分けられた。Aクラスはぼくが三年間大切に教えを請おうと心に決めていた片平先生の受け持ちだったのにだ! その悔いはいまでも夢に見るくらいだ。つくづく松窪君の勤勉を軽んじた報いだと思う。夏期講習だけBクラスのぼくも参加を認められたその片平先生の"The Happy Prince"やモーム講読の講義のなんと魅力的だったことか! ぼくの人生における挫折のプロローグある。      
 
七月二七日
六 覚醒
 入学してすぐに美術部に入った。どの部でもそうだったのだろうか、上級生部員だけでなくほぼ連日訪れる卒業した先輩が新入部員を実に伸びやかに篤く迎え入れてくれた。ぼくの社会に接する初めての姿勢とアイデンティティーはほぼこの生まれて初めての美術部での大らかな葛藤の中で形作られたような気がする。
 ただ今思うと少しばかりコモンセンスからは外れ価値観の洗礼を受けたことは確かだ。モジリアニ、ゴッホ、村山槐多、長谷川利行を知った。社会から追放され、おのれの信念に殉じて野垂れ死にする美の殉教者の姿に心酔した。バルビゾン派に通低するルソーの反社会的メッセージ「自然へ帰れ」を知って(これしかない!)と思った。プチブル意識を心底嫌悪した。日が暮れて石膏デッサンが出来なくなると、「青年歌集」のロシア民謡を皆で熱唱した。そうなのだ、あの美術部の部室で培われた意識を飲み込んだまま、今思うと、六十年代、七十年代の情況にぼくは向き合ったのだと思う。
 ただ一つだけ大切なことは、その美術部の部室でぼく達が獲得した反社会・反権力意識は、ただ美しいものをたとえ社会から落ちこぼれてでも大切にしたいという、あくまでも美しい物を幻視してしまった一庶民としての、日常生活者の地平での否認だった。六十年・七十年代に反権力の旗の元で権力を奪取しようという党派やエリート学生の前衛的野心とは無縁のものだった。
 その美術部で三年間、ぼくは男子便所の小便のしみ込んだ壁の色に魅せられて、三十号の便所の絵を三枚描いた。そして三年の卒業間際のある日、城山の中腹から手前に灌木を入れ込んだ市内を眺望する構図の下絵を描きながら「何だ、これは! 市の観光案内のポスター写真と同じ構図じゃないか!」と愕然とし、己の画才のあまりにも凡庸なセンスに覚醒して、絵描きになることを諦めた。諦めてよかった!              
 
七月二八日
七  天文館の不良
 当時、天文館に洋画の封切館は六軒あったと思う。それと名画座の走りのような中央公民館と。高校二年から三年にかけてそれ等の映画館にかかる総ての洋画を観た。嘘ではない。今思うと自分でも異常な高校生だったと思う。夜の天文館をある時は映画館のはしごをしながら目の色を変えて徘徊する十六・七歳なのだから。(日本映画は眼中になかった。おかげで日本映画の名作に目覚めたのは上京してからである。)
 しかし、当時の洋画界自身も異常だったと思う。フランス、イギリス。ドイツ、アメリカと全く違った作風ながらそれぞれに最隆盛期だったのだ。その恩恵を思春期のただ中で全身に浴びた。モンゴメリー・クリフト、マーロン・ブランド、バート・ランカスター、ジェニファー・ジョーンズ、ジェームス・ディーンの銀幕初登場にオンタイムで立ち会い、ゲイリー・クーパー、ハンフリー・ボガート、グレゴリー・ペック、ミッシェル・モルガン、ジェラール・フィリップ、ジャン・ギャバンの眼の眩むような円熟期を満喫した。「天井桟敷の人々」、「第三の男」、「探偵物語」「終着駅」の名作に痺れた。今でも憶えているが、「暗黒街の転落」を映画館の最終回で観て、感動のあまり弁護士役のハンフリー・ボガードに成り切って、"Knock on any doors!"と、最終場面のボガードの台詞を繰り返し呟きながら人気のない夜の天文館を肩を怒らせて帰った。
 身辺の世界、真昼間の鹿児島の日常生活とはまるで縁のない遠い国の、男と女の恋の駆け引き、友情と裏切り、誇りと挫折、国家と個人の葛藤、それ等一つ一つのスクリーンの光と陰の絵空事を見詰めながら、それ等を僕の行く手に待ち構えているはずの未知の世界に重ねて、目を見張り、戦慄し、陶酔していたのだ。
 当時は親の金を学費や参考書代と偽って入場料に当て、図書館通いと偽り、予習復習を完全にさぼり、心底「俺はろくでもない不良だ」と思い込んでいた。それが二年後、俳優学校に入り、観映が修行のひとつだとお墨付きをあたえられ、優等生になってしまった。
 映画としては不良のぼくに付き合ってくれた夜の天文館の映画のほうがいまだに輝いている。             
 
七月二九日
八  どう表現するか?
 一年の冬、美術部のクリスマス・パーティーの余興でチエホフの「熊」を演じたのが縁で、演劇部に誘い込まれた。入部した途端、誘い込んだ当の部長が退部し、気が付いたら男子は僕一人。その男一人の僕が二年間、部を背負い込むことになった。その日から甲南演劇部の伝統を受け継ぐ演劇修行が僕に課せられたのだ。引導役は学内の部顧問教師ではなく、部の先輩、当時鹿大生の赤崎郁郎氏と富永瑞穂氏だ(つまり、伝統は顧問抜きで生徒から生徒へと受け継がれていたのだ)。伝統伝統と大時代的なもの言いだが、ぼく等の世代まで甲南演劇部にはたしかな伝統があった。
 僕なりに言葉にすると、芝居を作る場合、「何を表現するか?」と「どう表現するか?」のどちらに軸足を置くかで、芝居に向かう心構えがはっきりと分かれるのだ。戦後の日本の演劇界の主流は「何を表現するか」派だった。社会の不正を暴き変革への道筋を示すドラマを舞台に乗せ、無知蒙昧な観客の蒙を啓き宣伝教化するのが目的だ。彼等にどう表現するかの迷いはない。どう演ずるかは、すでに完成された「社会主義リアリズム手法」で事足りるのだから。一方、「どう表現するか?」派は、迷いから出発する。人間ってなんだろう? 人間と人間の関係からどんな深い葛藤の暗がりが生まれるのだろう? 問えば問うほどきりがない。その上で、その細やかで正確な人間の営みを模倣する方法を自前で問わなくてはならない俳優にとって、観客は無知蒙昧な大衆などではない、教えを請うべき教師なのだ。だって人間の営みを身体を張って実践しているのは客席に座っている日常生活者なのだから。
 甲南演劇部の伝統は「どう表現するか?」派に根ざしていた。チエホフの戯曲を丁寧に読み込み、人の心の動き、内面心理と情念のかたちに対する観察と畏怖、そのような演劇の初心の心構えを両先輩から稽古の現場で丁寧に教わった。
 上京し、俳優座付属の俳優養成所で、事務職員上がりの初級クラス担当教師に最初に告げられたのは「君達の中から俳優座の俳優として生き残れるのは一人か二人名だ。だから修行に励め。」という貧相な言葉だった。幸いにも僕は俳優座の俳優として生き残れなかった。そして幸いにも十二人の仲間といまだに「迷いながら」現場で芝居を作っている。
 富永先輩は一昨年他界した。赤崎氏と赤崎夫人(旧甲南演劇部員で僕のかっての共演女優)のお宅には先日、熊本での一週間のロケで二日休日が出来たので九州新幹線で行き、一泊お世話になった。いまだに大切な師であり同志である。
 
七月三十日
九  恐喝
 たぶん三年の時、川君と天文館からイズロ通りに抜ける裏通りを歩いていたら、同じ甲南の同窓生に金を無心された。僕も川君も要求された金を持っていなかっただけでなく、なかば脅しに近い無心だったので腹が立ち、「甲南の生徒がこんな街中でなんということをするのか!」と、説教じみた応答をして、喧嘩腰の言いあいのすえ別れた。翌日、川君と二人で前日の不愉快な出来事を大声でクラスの仲間に報告した。それで終わったと思っていた。
 数日後の放課後、誰かがぼくに会いたいといって廊下に来ているという。廊下に出ると、先日の無心男がしょんぼりと立っていた。天文館での無心が恐喝行為として学校当局に伝わり、このままだと退校処分になるから助けてくれというのだ。「俺、恐喝なんかしなかったよな。あんた等に説教喰らったから口喧嘩になっただけだよな。」と涙声で訴える。「そうだ、恐喝じゃない。」そう答えながらぼくの方が狼狽えた。なによりも私的な喧嘩をこんな公にしてしまったのはこちらの落ち度だ。恐喝行為という犯罪まがいのおおげさな事態がまるでぼくと彼の双方の上に降り掛かった気分になって、いっぺんに彼との共犯意識が芽生えた。学校も恐喝だというのなら、被害者としてのぼくと川君からまず事情を聴取すべきではないか。「今日は川君が下校しているので、明日二人で教頭か校長に会って、ただの喧嘩だと言おうと思う。ただ俺と川以外に君を弁護する奴をもう一人同席させた方がいいんじゃないか。君のクラスに俺の知ってる奴はいないか?」そう言うと。彼がポツリと「俺、あんた等のような頭のいい奴と付合いないから。」と呟いた。「え?」と思った。「頭のいい」が成績のことなら、川君は別にして俺はあんたとドッコイドッコイだ。頭の回転がいいという意味なら先日の口喧嘩は俺と川君の向うを張って怯まずに堂々と毒づいたじゃないか。しかしおなじ校内でそのような形で棲み分けている彼の側の思い込みの現実に、初めて触れた気がした。
 その夜、川宅を訪ね、図書館へ行っているというので図書館へ行って受験勉強の邪魔をして打ち合わせをし、翌日校長に二人で面会して無事恐喝の疑いを解いた。
 彼の名前を憶えていない。在学中ていちばんスリリングな出来事だったし、過程で芽生えた共犯意識といい、一件落着したのだから、今思うとその後面白い(ひょっとしたら濃い)友達付合いが出来たはずだが、お説教をしたり、彼の涙声を聞いてしまったり、結末で一方的に恩まで売ってしまった成り行きで、縁がなかったのかも知れない。  
 
七月三十一日
十  戯曲
 演劇部に入った当初、戯曲を自分で書くつもりは全くなかった。発端の動機はある意味で不純なものだった。二年の春、玉竜で催された高校演劇連盟の放送劇コンクールに出演した折、甲南の脚本が受賞した。その表彰状を開場の壇に上ってぼくが受けとることになった。僕の書いた脚本ではない。作者は演劇部顧問の渕上先生だ。審査員をはじめ会場の大人達は皆その事を知っているにも関わらず、たてまえじょう生徒の僕が受賞者にされたのだ。壇上に上がり、受け取り、下がるまで、「こんなの嘘だ」と屈辱感と憤懣で耳が赤くなった。渕上先生の所為ではない。先生はただ成り行きに困惑してぼくに代行を頼んだのだ。賞を与える側の大人達の馴れ合いとケチな褒め合い行為が高校生のコンクールを汚していると思った。
 そこまでは純朴な高校生の反応として間違ってはいなかったと思うのだが、その義憤が頑な意地と思い込みになって、代行ではない本当の高校生作家になろうと独り決め込んだ。次は自分が壇上で受賞しようと思いあがったのではない。とにかく自分の書いた戯曲で秋のコンクールに参加して筋を通そうと思っただけだ。その証拠にはその秋のコンクールで甲南が優勝し、戯曲賞を貰ったとき、まるで実感がなかった。泥絵の具で汚れたトレパン姿のまま壇上に上がるのはみっともないし失礼だというので、会場(甲南の旧講堂)の片隅で仲間や先輩達に人垣を作って貰い、赤崎先輩のグレーのズボンに履き替えて(赤崎先輩は泥絵の具のぼくのトレパンを履き)、やはり耳を赤くして壇上に上った。         
 
八月一日
十一 無頼生活
 いま思い返すと、甲南を卒業して上京してからの一年間は、ぼくの人生のなかで何ともいえない奇妙な時間だ。まるでそこに居たのに居なかったような、その期間だけ東京の空気の密度が違っていたような。
 理由はすこし解る気がする。それまでのぼくは、郷土に、甲南の教室や部室内の人間関係に、家族に、囲まれ、依存して生きていた。それがいきなり東京という都市空間に放りだされたのだ。もちろん今の若者とは違って前途洋々の気概にあふれて、無邪気なくらい無頼だった。しかし、思いも掛けないところで自分の無知と、予想外の事態の成り行きを思い知らされ、戸惑い、つんのめりながら狼狽えた。
 半月ほど「同学舎」の二階の大広間に寄宿した。深夜、垢まみれに変色したぼろぼろの股引を窓から捨てると翌朝、隣りのどこかの女子大の寮とこちらの窓の間に張られた鉄条網にその股引が股を広げて張り付いていた。半月間そのままだった。亀戸まで友人を訪ね、行きはぐれ、文無しになって本郷まで歩いて帰った。山下義昭と鷺ノ宮に間借りし、彼の家から送ってきた干物を一膳飯屋に持ち込み、「これを焼いて、大盛りライスを二人前ください。」と注文して顰蹙をかった。義昭が帰省し、布団とシャツとズボンを質に入れ(嘘ではない、当時の質屋は学生からは布団どころか踵の減った靴まで質草として預かってくれたのだ)、それでもたちまち金と兵糧が尽き、やけになって松林の上を鶴が飛んでいる引き出物のチリメンの風呂敷を全裸の腰にまいて畳のうえに寝ている所を、二日目の夕方、偶然訪れた森山君と竹下君に救済された。
 その森山君で忘れられない事がある。二人で何もすることがなくなった。ぼくが何か大切な物を質入れして五百円ほど獲得し、彼に「この金で新宿に出て遊ぼう」と誘うと、当時から大人びていたあの目でぼくをじっと見て「そいは、いかんぞ。」と呟いたのだ。その瞬間、アアと思った。〈ぼくだけがこの東京に出てきて生きる術を学びそこね、少年のままはぐれている!〉                  
 
八月二日
十二  何をしてるんだ
 六十年代の後半、渡辺美佐子所属の四十名ほどの劇団に所属しながら、ぼくは自分の(大袈裟にいえば)生涯を賭けたはずの演劇的営為に、劇団の方針に、新劇そのもの存在価値に、確固とした信念を持てなくなっていた。細かい事情は省略するが、「いったい俺は何をしているんだ!」と目の前を暗くしていた。仲間と共にその劇団を脱退し小劇場運動に参加する二年ほど前のことだ。そんな時、俳優座劇場でのある公演の幕前、緞帳の隙間から客席を覗くと、東大を卒業し朝日の若手記者となった永山君が、婚約者の江夏嬢と並んで座っているのが目に入った。彼等二人の充実した日々の前でこれから俺が演じる芝居がどれほどの意味があるのだろうか、と思った。まっしぐらに芝居の世界に飛び込んで初めての衝撃だった。
 おなじ頃、鹿大医学部を卒業し、医師として独立した川君が、神戸から医学会に出席するため上京して虎ノ門でぼくに会ってくれる事になった。対座してコーヒーを飲みながら、ぼくが近況を説明すると、「なにをしてるんだ。そんなことでいいのか。」と言われた。在学中以来最も身近でぼくを理解してくれている川君にそう言われたのだ。彼の前で目が泳いだ。三十歳になった秋だった。
 それから十年ほど、常に彼の言葉がぼくの中で響いていた。(俺はなにをしてるんだ)
 で、その「なに」が見つかったわけではない。四十年後のいまでも仲間と一緒に「なにを」しようかと、稽古場で、劇場で、日々、迷いながら、芝居を作っている。親友の言葉が人間の生き方にこんな力を持つなんて。彼のお陰だ。きっと虎ノ門の事を川君は忘れている。
 
八月三日
十三  無口
 前にも触れたが、山下義昭と半年ほど一緒に下宿した。驚くほど無口で、しかし付合いは篤い男なので、一緒に暮らしたあいだほとんど僕だけが喋り、彼は「そうか。」「ああ、そうか。」と深くうなずくだけなのだ。楽しい日々だった。ある時など「俺は馬鹿だからなア」と長嘆息してみせたら、「ああ、そうか。」と力を込めてうなずく。「こういう時は心底相槌をうつな」と注文をつけたら「そうか。」とまたうなずく。
 まったく喋らないかというと、そうでもない。滑稽な話が好きで、なにかその手の話を仕入れると、聞き手に最後に種を明かしてドッと笑わすという工夫などはなしに、最初からエへ・エへと小刻みに笑いながら早口に、饒舌に話す。本人が一番楽しいのだ。僕が甲南卒業間際に片思いの女の子から貰った壺型の懐中汁粉をトランクの底に隠しているのを見つけ、エへ・エへと笑いながら毎日「早く食え」としつこくからかう。ある晩、指が滑ってその最中の壺の表皮に穴を開けてしまった。我ながら自分の未練に嫌気がさし、黙って窓から暗い庭に捨てると、「ハハ、怒った、怒った。」と嬉しそうにしつこく笑いながら僕を慰めた。
 山下は早稲田の第二の文学部に通っていて、押し入れの上段に机をおいて書斎にし、僕は畳の上でいつもゴロゴロしていた。ある晩、帰ってきてそのまま押し入れに入ると、「二文を辞めて来た。来年一文を受けるぞ」と言って、その日から押し入れに籠り、勉強を開始した。よほど口惜しい事があったのだ。滑稽な話ではないから、何があったかはひと言も喋らなかったし、訊かなかった。
 やがて僕は新宿のバーにバーテンで住み込むことになり、半年すぎたある日、閉店間際に彼が店にやって来て「今日、受かったぞ。」と短く報告する。滑稽な話ではないのでそれだけだ。終夜のジャズ喫茶に行って、黙って祝った。ぼくはしばらく水商売に身をおいて甲南の誰とも会っていなかったので、受かってすぐ僕に教えに来てくれたのが嬉しかった。僕も彼に付き合って明け方まで喋らずに、黙って二人でジャズを聞いた。               
 
八月四日
十四 「義を言うな!」
 長野から中学校三年の夏に重富中に転校して来た。秋には甲南中に移り、そこから甲南高に入った。だから鹿児島にいたのは四年間だけなのだが、自分で鹿児島出身だと思い込み、人にもそう言っているのは、甲南高校での三年間とその後、普通列車で三日かけて東京に出て来た体験の所為だと思う。自分の思い込みだけでなく級友の誰も僕をよそ者あつかいしないでくれた。とは言え、長野から来たことのカルチャー・ショックは実は少なからずあった。
 重富中に最初に登校した時、下駄箱のある場所を見つけられなかった。早く登校しすぎたので、誰かに聞こうと、入り口に立って校門の方を見ていると、七、八人急ぎ足で登校してくる。よく見ると全員裸足なのだ。僕のまえをスタスタ通り過ぎてそのまま教室へ入っていく。そのあとも続々裸足でやってくる。全校生が裸足で登校するので下駄箱がないのだ。冬はどうするのだろうと疑問に思っていたのだが、秋に甲南中に移ったので確かめられなかった。砂地で泥の少ない重富だけのことだったのだろうか?
 家の主人が帰宅するとまず無言で神棚に向かって居ずまいを正して礼をするのにも意表をつかれた。親戚の家で知らずに神棚の真下に座っていたら、主人がいきなり僕の前に正座するので、「あ、これはどうも・・・」と勝手に取り乱し、ぼくのような少年が取り乱したことさえ黙殺されて真上の網棚に柏手をうたれ、目から火がでるほど恥ずかしかった。
 長野県人は議論好きだ。理屈で相手をやり込める所謂ディベート好きだ。雪に閉じ込められた長い日々を「お呼ばれ」という隣家に招かれての炬燵にあたりながらの世間話で、誰もが「物言う術」をみがくせいだと思う(テレビの無い時代の話だが)。ぼくもそこで鍛えられて、鹿児島へ来て驚いた。うっかり理に訴えて喋ると「義を言うな!」と嗜められる。二年の時、美術部の責任者を任され、予算会議の折、一年先輩の生徒会長の坂本さんと、美術部を背負っているという思い込みに爪先立って夢中で言い合いをしているうちに、坂本さんが薄らと涙ぐまれた。涙といっても女々しい悔し涙などではない、後輩の僕が嗜みもなく小賢しい「義を言う」ことの不埒に悲しくも呆れられたのだ。昔から薩摩武士は頻繁に男涙を流すのだ。『あっ』と気が付いて立ちすくみ、恐れ入ったが、後の祭りだった。  
 
八月五日
十五  贅沢
 たぶん黒沢の「野良犬」のワン・シーンだったと思う、木村功が警官に追われて金持の庭に逃げ込むと屋敷の一角のカーテンが揺れ、その奥からピアノの音が聞こえてくる。印象的なカットだった。つまり当時、ピアノは貧乏人にとって憧れの象徴、高嶺の花だったのだ。今と違って、およそ音楽的素養そのものが文化的、経済的にゆとりのある家庭の団欒の中で培われるものだったと思う。貧しさゆえに僕等は音楽から遠ざけられていた。その反動で、いじらしいほど映画音楽、音楽映画に敏感に反応し、憧れた。「大砂塵」のスターリング・ヘイドンが弾き語る"Johnny Guitar"のメロディーとギターに憧れ、「グレンミラー物語」のトロンボーン、劇中のセッションに出てくるサッチモのトランペット、ジーン・クーパーのドラム、「ベニー・グッドマン物語」のクラリネット等に熱狂した。ヴォーカルでは「My Foolish Heart」「Love is a many splendor thing」。なぜ自分の身の回りにそれ等の演奏を生で聴き、それ等の楽器を手に触れることが出来るような環境がないのか、口惜しくて仕方がなかった。
 天文館通りから郵便局の方へ向かう路地に不思議な店があった。不思議なのはその店のショウウインドウで、二十五センチほどのガソリンを入れて走るらしい模型の赤いレーシング・カーと、四十センチほどの西洋の古楽器らしい木製の縦笛がそこに飾られていた。何の脈絡もなく並べられたその二つの商品を、当時僕はこの世でたった二つの宝物と思い定め、暇さえあれば、ついでさえあれば、その前に十分ほど立った。どちらも僕にとっては目が飛び出るほどの贅沢品だ。とくにその縦笛は「十字屋」に置いてあるどの楽器も二束三文に思えるほど、おごそかで美しかった。自分が、憧れの音楽を、その古楽器を手に取りゆったりと奏でる様を夢想するショウウインドウの前の時間が、その頃の僕の最高に贅沢な時間の無駄使い、蕩尽だった。
 
八月六日
十六  九想図
 名山堀の曖昧宿(今でいうラブホテル)の一階を借り切って母親は「マリー・ルイーズ美容室」を開いていた。そして二階の四部屋の内の一室を我々親子は住居として借りていた。つまり三方を男女の密会部屋に囲まれて僕は思春期のど真ん中のほぼ一年間を過ごしたのだ。戦後のにわか造りの安普請だ。廊下にある三部屋共用の押し入れ(これも不思議な造りだが、共用の布団部屋だったのだろう)は節穴だらけの薄い板でその三部屋に接し、その任意の節穴からそれぞれの部屋に籠った男女の営みを覗き見ることが可能なのだ。こんな無茶苦茶な環境を誰が想像できるだろうか? ぼくは一時期、乱歩の「屋根裏の散歩者」を地でいっていたのだ。
 ただこれは言い訳でも虚偽の告白でもない、いまだに自分でも不思議なのだが、男女の性の現場を覗き見しながら、僕は劣情に溺れなかった。この歳になって取り繕っても意味がない、信じて欲しい、僕はその密室の布団部屋で男と女のひたむきで哀しい性の営みを、ただ目を丸くして見張りながら、哲学していたのだ。それが人生のとば口でいきなり圧倒的な量の性行為を目の当りにした十六歳のリアルな反応なのだ。
 種子島から子供連れで駆け落ちして来た中年の男女の疲れ果てた虚ろな交接、虚勢とハッタリと悪酔いでぐじゃぐじゃになった客の気付かないところで、無償の優しさを一瞬垣間見せる聖女のような商売女。一人一人の男と女の掛け値無しのからみ合いを前にして、僕の往くてに待ち受けているであろう性の深淵にどれほど厳粛な戦慄をおぼえたことか。
 ほぼその一年後、偶然バルビスの「地獄」を読んだ。驚いたことに、青年が隣室の男女の性行為を覗き見ながら、徹底的に見詰めながら、ついに男と女の死、そしてその先のプロセスをあたかも小野小町の九想図(くそうず)(小野小町の死体を、ガスで膨れ、肉が破れ、白骨が崩れて塵となし風に舞うまでのプロセスを九枚に描いた、無常を悟るための仏教画)のように辿り、幻視する小説なのだ。つまり「地獄」は決して好色文学ではない! 僕は「地獄」の青年と一年前の自分を重ねて興奮した。とにかく興奮した。誰にも打ち明ける事の出来ない事実、バルビスと鹿児島の一高校生が海と時代を越えて一筋の地下茎で通低している事実に酔った。深夜の武町をほとんど涙ぐんで徘徊した。
 
八月六日
十七  蛇 
 田舎の少年達は蛇を見つけると必ず集団で取り囲み、時間をかけてなぶり殺しにする。その儀式に参加している当人たちは気付いていないが、蛇が怖いのだ。ある時、遊び終わって脱ぎ捨ててあった上着を身につけてポケットに手を入れると、先ほど仲間と殺した蛇の死体が入っていた。誰かの悪戯だ。以来、この世で一番自分が恐れているのは蛇であることから目をそらすことが出来なくなった。「ぼくはへびが嫌いです。」という作文を鉛筆で紙に書き終え、誤字脱字はないかと今まで書いた行に目をやると、その行のなかから「へび」というひらがながヌルッと動きだした。早朝、商店街のまだ戸締まりしている「蛇屋」の脇から閉店後の水掃除のなごりが乾き切らずに通りを横切っていると、その一筋の水跡を跨ぐことが出来ない。
 中学三年の夏、長野の佐久から重富に移ることになり、鹿児島は長野よりも蛇が多いはずだと思った。安いジャックナイフを買い、蛇に遭遇したら一撃のもとに討取ろうと、寸暇を惜しんでナイフ投げの練習をした。
 重富の寄寓先から重富中までの千五百メートルほどの道のりを、ポケットに忍ばせたナイフを握り、連日息を詰めて通った。一番蛇の多く出る梅雨明けの一月ほどをである。ついに一匹も蛇は姿をみせなかった。ぼくは疲れ果て、つくづく「負けた!」と思った。以後、蛇への恐怖はほとんど神懸かりの境地に達した。
 神懸かりに達したのは僕だけではない、蛇もである。その後、寄寓先が変わり、両側が石垣の蛇が出たら遠巻きによけることも叶わぬ細いだらだら坂を朝晩甲南中に通うことになったのだが、いや、それどころか甲南高を卒業して鹿児島を離れるまで、蛇は一度も僕の前に姿を現さなかった。「そんな事って!」と自分でも思う。
 上京し、ある時八王子の雑木林を横切る道を歩いていて梢に鳥の巣を見つけ、迂闊にも林の中へ分け入った。ふと梢の根元に視線をおとすと、そこにジワッと濡れた柄物の革財布のような模様を見た。そこで記憶が途切れた。意識が戻ると、自分の頭が倍に膨れ上がったような心地で髪を逆立て、もとの道を歩いていた。
 それがただ一度の、神懸かった僕と神懸かった蛇の神事としての出会いである。
 
八月八日
十八  甲南で学んだこと
 美術部に入ったおかげで、石膏デッサンを3年間続けた。そこで大切なことを学んだ。
 なぜ画家を志す者が石膏デッサンをするのか? 「描く」ための指使い、指先の技術を身につけるためではない。「見る」力を鍛えるためなのだ。アグリッパとかブルータスやジョルジョの胸像とか、真っ白なギリシャやローマ彫刻の石膏レプリカを、真っ白な紙に黒い木炭で写し取る。入部した当初は三十分で描き上がってしまった。もちろん惨憺たる出来だ。しかし描き上がってしまう。というより、それ以上書き込めないのだ。それが一年もたつとほぼ朝から授業をさぼって部室に自然光が入らなくなる夕方まで、すこし目が窪んでへとへとになるまで、書き込めるようになる。三年目にはゆっくりと一週間は書き込める。何が進化したのか? くり返すが、描くための「指」のテクニックではない。一日平均四時間、週二十時間以上真っ白な彫刻を見詰めながら、一週間かけないと書き込めないほどの細部の情報を読み取るまでに「目」が鍛えられたのだ。OUTPUTの前にINPUTをとことん鍛える。
 ぼくは画家になることは挫折したが、OUTPUTではなくINPUTを鍛えることが物を創ろうとする者にとっての基本だということだけは身をもって学ぶことが出来た。大袈裟にいうと迷い迷いのその後の人生でその教えだけは忘れずに生きてきたような気がする。
 甲南に、甲南の美術部の部屋に、感謝している。
 
八月九日 
十九 表情 
「丸善」「伊東屋」「紀伊国屋」などの文房具屋の老舗をうろうろするのが好きだ。浪費癖のある貧乏人にやさしい場所だから。最小の無駄遣いで飛切りの贅沢が出来る。ステットラーの消しゴムや鉛筆の芯を買う贅沢が千円以内で済む。とんでもない浪費をしてやろうと思ったら五千円のボールペンを買う。
 ある日、そんな魂胆で「丸善」の店内を徘徊していたら、斜め上の盗難よけの鏡になにやら気難しげに歩いている男が映っている。眉間にしわを寄せた僕の姿だった。「なんで?」と思った。こんなに浮き浮きと心を躍らせている自分の外面が、なぜこれほどまでに陰気で深刻なのだ、と。「顔で笑って心で泣いて」の逆である。
 もしかしたら人間って、象徴的・比喩的というほど意味深ではないにしても、生涯代り映えのしない容貌と姿勢を固着させたまま娑婆を動きまわる生き物ではないだろうか? すくなくとも僕は、佐久の夏祭りの夜、十円を握りしめて夜店の人混みを眉間にしわをよせて彷徨い歩いた少年の顔つきまま、大人になってしまった。無一文の俳優修行時代、或る親友に金を無心しようとすると、近づくと、「解った、解った、貸すよ、貸すよ。だからそんなに怒るな。」と笑われた。神妙に、済まないと思って近づいた顔が、怒っていたのだ。
 天文館を甲南の学帽をかぶって歩いている自分の姿を思い出す。甲南の三年間、僕は、驚いたり戸惑ったり、お先真っ暗になったり、心得違いおこしたり、しかしトータルにはうっとりするほど至福の時を過ごしたのだと思う、眉間にしわを寄せた深刻な表情のまま。
 
八月十日
二〇 ヘミングウエイ
 高二の時、「英語青年」の特集でヘミングウエイを始めて知った。誌上で"The Killers"の原文にふれ、その後「武器よ去らば」「誰が為に鐘はなる」「日はまた昇る」「河を渡って木立の中へ」の翻訳本を夢中で読んだ。半年後に全集が出たので、一巻づつむさぼり読んだ。特に「誰が為に」「日はまた」は翻訳に飽き足らず原文に照らしてサワリを暗記した。ただ当時の鹿児島でどうやって原書を入手したのか思い出せない。もしかしたら上京してからの記憶違いかもしれない。しかし「誰が為に」だけは武町の勉強部屋で、ロバート・ジョーダンが致命傷を負ってマリアと離別するくだりを、夜中にボソボソ暗唱した確かな記憶があるのだ。
 なぜあの時期、あれほど夢中になったのか? 今思うとヘミングウエイ文学の禁欲的なヒロイズムが、ヨーロッパのリラダンやオスカー・ワイルドのような貴族的・退廃的なダンディズムとは違うことに、むしろ日本の武士道的なダンディズムであることに、痺れたのだと思う。思春期の肉体的・精神的なカオスからなんとしても自力で抜け出したいという焦りが、ヘミングウエイの世界の、男が静謐な佇まいで死地に赴くヒロイズムとダンディズムに信仰じみた憧憬を抱いたのではないだろうか。
 ただ僕の場合、この思春期のヘミングウエイ体験が二十代の僕をたぶん駄目にしていたような気がする。二十代、一人の女性からも愛されなかった。一人の女性もまともに愛せなかった。静謐な佇まいで死地に赴く男のヒロイズムとダンディズムの憧憬をこっそり内に秘めて東京の街をうろつく貧乏青年など、誰が相手にするものか!                
 
八月十一日
二十一  車行三日
 五九年前、鹿児島本線で鹿児島に向かって熊本を過ぎ、ああ、ここからが鹿児島なのだな、と判ったのは、線路沿いの田んぼの向うに「兵衛六餅」の看板が見え始めた時だった。その時の看板は「兵衛六餅」の文字だけだったのか、あの兵衛六の姿はそれ以前の鹿児島からの土産物で知っていたのか定かでないが、褌姿の二本指しの兵衛六が狐火の闇に向かって身構えて進む姿と、その時の自分の「この地で生きなくては」という不安に昂った心境が一致して、身を引き締めて見つめたのを憶えている。
 その四年後、東京へ向かって逆の行程を辿った。普通券が千五百円? 急行券がそれとほぼ同額。急行券を節約して鈍行(各駅停車)で行くことにした。西鹿児島を二十三時に出発し、熊本に入って夜が開け、福岡で二日目の夜が暮れ、瀬戸内海を昇る二日目の朝日を拝み、終点の京都で降りると、東京行きの各駅停車には六時間京都で時間をつぶさないと乗れないのだ。結局東京には三日目の朝着くことになる。
 早朝、まず魚の行商のおばさん達が大荷物を背負って乗り込んでくる。次に高校生、それからサラリーマン。夕方は高校生、サラリーマンの順。その行程を二回半体験した。
 体験といえば北九州の夜に痴漢に遭遇した。僕にではない、被害者は隣席の女学生だ。黙って身を固くしている女学生と暗い貧相な面構えの壮年の間に、僕は肘と脚を挿み込んで黙々と奮闘した。痴漢の手にこもった力から、僕に向けられた怒気を含んだ敵意が直に伝わってくる。長い長い三十分ほどの沈黙闘争劇だった。奮然と席を立った痴漢を見送ってから、女学生とぼくはむっとしてひと言も喋らず、まるでお互い仲違いしたようなかたちで、二駅ほどで女学生は降りて行った。大人の醜さに関わってしまったことを認めないためには、二人でそうするしかなかったのだ。
 京都の六時間の時間つぶしに観光気分のゆとりはまるでなかったのに、なぜか天文館をうろついているような成り行きで、宝田明と司葉子の「美貌の都」を観た。(洋画上演館を見つけることが出来なかったのだ。)俺も明日から「都」で生きるのだ、と感情移入して観たおかげで、その中の主題歌を今でも憶えていて、時々カラオケで歌う。「すったもんだと言ったとて/嫌いは嫌い好きは好き/好いて好かれた二人なら/一緒になろうよ/みじかい命」
 東京に朝着き、都立大前の美容院に飛び込んで「シャンプーしてください」と頼んで、店員に驚かれた。美容院の息子だったので、髪が汚れたらシャンプーしてドライヤーで乾かすのが当たり前だと思っていたのだ。すっきりしたその足で十年ほど会っていない親父を訪ねたら、ドアを開けた親父に「どなたですか?」と頼りなげに迎えられ、「いやだな、僕だよ。」答えた。        
 
 
八月十二日
二十二  コロンバンのケーキ
 五つ違いの妹が小学校三年の夏、長野から重富の小学校に転校して二ケ月目に、股関節カリエスを発症して危篤におちいった。早朝、峠を超すまでの五日間ほど、駅近くの氷屋で買った氷を自転車に積み、妹の枕元に急ぎながら、まだ余所者としてしか眺められない朝日を浴びた姶良の低い山並の、他人行儀な姿が、今でも目に焼き付いている。
 その五日の間に、親類の信者が自分の教会の牧師を妹の枕元に呼んでくれた。若い牧師が枕元で賛美歌を歌ってくれた。その賛美歌の第一声が意表をついて調子外れだったので、母が発作的に噴いてしまった。自分の娘が生きるか死ぬかの瀬戸際の枕元で、である。あろうことか危篤中? の妹も寝ながら噴いた。つられて僕も噴いた。村中に「なんという親子か!」という噂が広まった。たぶんその賛美歌のお陰で妹は持ち直したが僕と妹はいまだに「どう考えても牧師の方が悪い」と思っている。
 持ち直したが、妹はほぼ三年間、鹿大病院の第二外科の病棟に寝たきりになった。月に一回、小遣いを貯めてコロンバンでケーキを買い妹を見舞うのが習慣になった。当時のコロンバンはケーキのレパートリーは固定されていて、年間を通して七種類ほどに厳選されたケーキが厳かに硝子のケースの中に並んでいた。どれも贅をこらしたロココ調? のデザインで、生クリームがねっとりと光っていた。自分用にはとても手の出せる値段ではないので味は想像するだけだ。それを月変りに端から選んで買っていくのである。妹が黙って口に運ぶのを、その間、ベッド脇に座って黙って見ていた。それだけで充分高校生らしくない贅沢な習慣だった。
 つい先日、つまり五十五年後、妹に「あの頃、痛みと微熱で食欲がなく、あのケーキが苦痛だった。」と打ち明けられた。女に「実はあんたに惚れてはいなかった」と打ち明けられたより衝撃だった。
 しかし、にも拘らず、いや、それ故に、あの三年間の月一の行いは僕にとっても妹にとっても(両者の自己犠牲にもとづいた)最高に贅沢な沈黙の儀式だったのだ。               
 
八月十三日
二十三 遠くにありて
 Tさんの「声」について書いた時にふれたが、思い出は無声映画のように音を伴わないで映像だけが脳裏に焼き付くような気がする。甲南時代の記憶を思い浮かべる時、どの記憶も必ずあの直角二辺の三階建てのコンクリートの校舎のどこか一点での出来事として、特定の「場所」がまとわりつく。
 昼休みのボール遊びで今久留主君の滑るような美しいボール捌きを惚れ惚れと脳裏に焼き付けたその僕の立ち位置と彼がステップを踏んだ位置をはっきり憶えている。川君に演劇部を辞めると告げられた教室と黒板の前に立った彼の位置をおぼえている。土砂降りの校庭でのサッカー部の練習を見おろした二階の廊下の窓の位置を憶えている。ある日廊下でスルメとすれ違って会釈した時の距離と位置、等々。こまごまと思い出したら切りがない。そのすべてにあの校舎の位置がまとわりついている。自分の立ち位置を鮮明に憶えているのは、どこか自己愛と関係があるのだろうか?
 そして僕が思うには、思い出している現在、その場所が時間とともに遠く離れているから、つまり「もうここにはない」からこそ思い出の場所なのではないだろうか。鹿児島在住の級友はどうなのだ、という反論があるかもしれない。もちろん彼等にとっても思い出としての甲南の校舎は、すでに「そこにはない」はずだ。ただ、僕にとっての思い出と彼等にとっての思い出は少し違うはずだ。
 先日、六本木の「和朗フラット」という、五、六軒ほどの和風の一戸建ちの外側を十軒ほどの洋風の二階建が取り囲んで一つのフラットをかたち作っている戦前に出来た瀟洒な場所を、七〇年ぶりに訪れた。七三年前、麻布のお坊ちゃんとして僕が生まれた場所だ。驚いたことに入り口の扉も、見上げた二階の窓枠も、当時のままだった。持参した黄色くなった二歳のぼくが立っている写真に写っている家の前の佇まいも、昔のままだった。驚きと感動のあまり、ここにもう一度住みたいと発作的に、強烈に、思った。しかし、次の瞬間、ゾッとした。「冗談じゃない! まるで四分の三世紀前の亡霊達と共棲するようなもんじゃないか!」 この世には狂気に近い病んだノスタルヂアというのも、まかり間違えばあり得るな、と思った。
 それに比べ、あくまでも甲南の思い出は清々しい。
 
 
八月十四日
二十四  誤解
 最後に僕に向かって相手役の先輩俳優がカラカラと笑う場面で、幕が降りる。シリアスな芝居だがそこで客席に笑いが起こらないとその日の芝居は成功したことにならない。そういう田中千禾夫の芝居を俳優座で演った。五日間笑いは起らなかった。それが楽日に初めて客がドッと湧いた。嬉しくなって、幕が降りたとたんにその先輩役者に「やっと笑われたね。」と言った。「笑ってもらえたね」という意味で言ったのだ。ところが後日、その先輩役者が『あの野郎、俺に向かって「やっと笑えたね。」と言いやがった。』と怒っていると、人づてに聞いた。彼は密かに自分の「笑い」が上手くないと悩んでいたので、僕の「やっと笑われたね」を上から目線の「やっと笑えたね」と聞き違えたのだ。先輩俳優の前へ出てその成り行きの食い違いを言葉にして誤解を解く気に、どうしてもなれなれず、そのままで終わった。
 甲南時代、二階の美術部の真上、三階に物置のような小部屋があって、二年の時、そこを美術部で貰い受け、小展示室にした。ある日その展示室のドアを開けると、美男で有名な三年の先輩美術部員が美女で有名な一年の女生徒と向き合って椅子に座っていた。気を利かせて「ア、失礼」と明るく笑い、すぐにドアを閉めて二階の部室に降りた。そこに美術部の主、鮫島先生がいて、いきなり「三階の部屋に誰がいる!」と抜き打ちに詰問された。なぜそうなったのかはいまだに解らない。「ハ」と面食らっている僕を後に、先生は急ぎ足で三階への階段を上って行く。すぐに戻って来て、黙って大きなイーゼルの置いてある部室奥の御自分の部屋に入られた。ややあって美男先輩が一人で降りてきて、部室の入り口に立ち、「お前、そこまでやるか。」と言い残して姿を消した。
 「そうじゃないよ」と言いたかった。たまたま卒業間際の三年生部員達に面白がられ、何も判らないまま一年生の分際で部長にされてしまったが、俺は「そことまでやる」ような男じゃないよ! むしろ心情的には、小部屋で向かい合っている美男と美女の姿にまるごと加担していたんだよ! いまの僕だったら廊下を追いかけて彼の前に回り込み、誤解を解くことが出来ただろう。高校二年の僕はなにもできなかった。ながいこと一人で部屋に立っていた。
 
 
八月十五日
二十五 ごめん
 同い年の沖縄から出てきた従兄弟と重富の親戚の家にあずけられた。中三の夏から高一の冬までのほぼ一年半、四畳半の一室の一つ布団で寝起きを共にし、同じ机で勉強した。那覇の大きな雑貨屋の次男坊の勉強嫌いの人懐っこい大柄な従兄弟で、そのような環境だから(その四畳半で)文字通り親密に身を寄せ合って共棲した。大男のくせに相撲をまるで知らず、面白いほど僕の大味な上手投げを喰らって転んでくれた。
 中3の卒業間際、重富村ただ一軒の開業医のませた女学生と彼が恋仲になり、夕食後、僕を連れて親戚の家の抜け出し、医院の生け垣越しに「ホ、ホ、ホ、ホ」と嬬恋のホロホロ鳥みたいな声を出す。すると女の子の勉強部屋の窓が開き、しばらく二人で見詰め合う。ぼくはその二人を少し離れた生け垣の端から眺めながら、万葉に出てくる「言問い」とはこんな風景なのかなと感に堪えなかった。沖縄と万葉までもが重なって思えた。
 ある日、天文館の古本屋で背表紙に見慣れた汚れのあるクラウン英和辞典を見つけた。裏の見開きを確かめたら和田周と僕の下手な字で書いてある。前の晩に机の上に見当たらず、学校の机の中に置き忘れたのだろうと、それも確かめずにいた辞書が、四五〇円? で売られているのだ。驚いた。「誰が売りに来たのですか?」と問いただすと、店主が引き出しから薄いノートを取り出して従兄弟の名前を指でさした。言い値で買い取って、夜、共に机に座った折、鞄からその辞書を出しておもむろに単語を引くと、ギクッと彼の動きが止まった。ノートの端に「四五〇円で売ってました。返して。」と書いて彼の前に置くと、「ごめん」とその下に書き足して僕の前に置いた。二、三日してポケットに四五〇円が入っていた。ノートでの文字の遣り取り以外、そのことには一言も触れずにその後も親密な共棲が続き、加治木高校2年の春に従兄弟は中退して沖縄は帰った。
 懐かしいが、それ以来逢っていない。         
 
八月十六日
二十六 祖父 
 連れ合いの瀬畑奈津子は道を歩いていて、散歩している犬を見ると必ず「ウフッ」と笑う。母親の腕の中や乳母車の中の赤ん坊とすれ違っても、同じように「ウフッ」と笑う。思わず笑うのだ。ただそれだけだ。
 
 貴方は最高に素敵な祖父を持っているのだと母親に言われつづけて、その母方の祖父に初めて会ったのは、終戦の半年前だった。東京から疎開していた鎌倉に、縄にとおした五個ほどのボンタンを首からぶらさげて現れたのだ。あの混乱期に遠く鹿児島からである。ただただ娘と孫の身を案じての長旅だった。五日間ほどの滞在ですっかり懐き、最高に素敵な「オジイちゃん」だと思った。八年後に、作品を書けなくなり僕等の扶養義務を放棄した作家の父親を東京に残し、長野の佐久から夜逃げして鹿児島に移ったのも、ひとえにその祖父を頼ってのことだった。
 だが、すでに祖父は隠居して長男(僕の母の弟)の家に身を寄せていた。おまけにその長男が土建業に失敗して、母とカリエスを発症した妹と僕は重富に分散している何軒かの親族のあいだを盥回しにされながら世話になった。しかし人格者としての祖父の威厳と人望は分散した一族のあいだで衰えることはなく、全員が「オジイちゃん、オジイちゃん」と慕っていた。祖父、切通登世彦の立身出世物語(鹿児島の郷氏の三男で苦学の末その才と人格を鹿児島県庁の上役に認められ、沖縄石垣島の製糖工場の所長職を拝し、その人徳と優れた采配は、石垣島の語りぐさになった)は、親族の誰もが諳んじていた。
 母がやっと独り立ちして築町に美容院を構え、ぼくもそこに同居すると、そのオジイちゃんが重富から古い文机を担いで来てくれた。ボンタンを首に掛けて現れた八年前の祖父を思い出した。「甲南に入学したからには一族の誉れなのだから、この机で血の汗が出るほど勉学に励み、青雲の志をもって最高学府を目指せ」と、しんしんと説かれた。
 その甲南を、赤点を取った日本史の担当村野ティーチャーに「君は演劇で頑張ったから」とお目こぼしを授かり(良い時代だったな)、内山の一つ前の成績で卒業出来たのだが、何故かほとんど意味もなく、体育局長の今久留主君と文化局長の僕の名前だけが南日新聞の甲南卒業生の蘭の妙な欄外に並んで載った。祖父はそれを見て、久しぶりに僕のまえに現れた。そして例の彼の立身出世物語を、一族のなかで僕が初めて聞かされているんじゃないかと思う新事実を交えて事細かに語り始めた。そして、最後に「お前は天下の甲南を一二を争う成績で卒業したのに、我が切通一族は資金援助して一流大学へ送り出してやることが叶わない。慚愧に堪えんが、今日の私の苦労話をせめてもの餞別と受け取って、単身、裸一貫上京し、名を挙げてくれ」と結んで、こ一時間の話を終えた。そんな訳でしばらくのあいだ、親族達は、僕が今久留主君と一二を争って甲南を卒業したと本気で信じていた。
 ところで、僕はこの人格者の祖父に対して、まともに考えれば考えるほど申し訳なくて心の痛む個人的な感想を持っている。(我が切通一族はたしかに祖父を敬い愛した。祖父も一族を深く慈しみ愛してくれた。しかし祖父が一番愛したのは奮励努力立身出世した人格者としての自分だったのではないか?)
 我ながらいやな性格だと思う。しかしこれだけは本音なのだが、瀬畑奈津子の犬とすれ違う時に発する「ウフッ」の無意味・無償の優しさの方が、もの凄くちっぽけで微かだけれど初源としての「愛」のエキスが詰まっているような気がするのだ。「オジイちゃん、ゴメン!」   
 
 
八月十七日
二十七 矢印
 昨夜の話の流れで、甲南の話題からはずれる。
 七〇年代の始め、「自由劇場」の公演に三作品ほど客演している時に気が付いたことがある。当時「自由劇場」は唐の「赤テント」と並んでアングラ劇の最先端を走っていることになっていた。時代の先端を走る芝居を追いかける演劇マニアが連日押し掛けていた。そして毎晩満席の客席の反応はいつも「大受け」なのだ。(今日の芝居の出来はイマイチだな)と役者同士感じながら演じている場面でもいつも通りの濃さでドッと受ける。お客が信じられなくなった。この人達は本当は芝居が好きなのではなく、自分が時代の先端をいく演劇公演の現場に座っていることが好きなのではないか。つまり芝居よりも自分の居所と自分が。
 ひねくれた考え方かもしれないが、「何かがただひたすら」好きなのと、「何かがひたすら好きなのが」好きなのでは、好きの中身が違うと思う。ただ「好き」なのと、好きな自分が「好き」なのは別だと思う。
 昨夜話した瀬畑がすれ違う犬に思わず「ウフッ」と笑うのは、ただ犬が好きなのだ。しかし世の中には「ただ好き」や「ただ愛しい」だけではなくそれに意味や価値や「言い分」がまといつくことがある。「人間として生き物は大切にすべきだ」とか「子を持つ親の気持ちとして、それは看過出来ない」とか言う。その纏ついた意味や価値や「言い分」が肥大すると、その意味や価値や「言い分」に反する意味や価値や「言い分」が敵に見えてくる。さらに肥大するとその敵をねじ伏せ排除する論理、暴力にかたちを変える。そのように肥大した祖国愛や純血主義やイデオロギーが領土戦争、ナチズム、スターリニズムとなって大量殺戮とアウシュビッツとラーゲリーを産み、時代がそれを許したのではないか。
 「ただ好き」に留まるべきだという考えは無抵抗主義のように現実的ではないかもしれない。釈迦やキリストの教えのようにラジカル過ぎるかもしれない。一方ではある思いに意味と価値を見つけ、それに情熱を傾け、人間は今日まで進歩してきたのだから。しかしその「ただ好き」に、良かれと思い、正しいと思ってつけた「矢印」が、加速した上昇志向となって暴力に姿を変えることがあるのだという疑いを、僕等はささやかな日常生活の中で過剰なまでに疑いながら暮らすべきではないだろうか。だって非日常生活者の政治家や権力主義者や狂信者や、「原発村の住人のような」公的人間達が、ぼく達に意味や価値や「言い分」を押し付けて、ぼく達をある矢印の方角へ誘導しようと、何時の時代だって隙を見ては狙っているのだから。
 今夜は真面目になり過ぎました。どうかこの「真面目」が僕の中で過剰な価値になり、怪しい方向への矢印になりませんように!  
 
八月十八日
二十八 希望の星
 甲南を卒業する時には僕はすでに俳優になろうと心に決めていた。今にして、この程度の「みてくれ」と背の高さで我ながら「よくもまあ」と思うのだが。一つには、時代のせいだと思う。
 寺山修司の当時の短歌に
  チエホフ祭のビラの貼られし林檎の木 かすかに揺るる汽車通るたび
というのがある。当時の地方のインテリ予備軍がどのような思いを込めてチエホフの芝居のビラを見詰めたかが切ないほど正確に伝わってくる。新劇は戦後日本の新たな文化を最先端で担う希望の星だったのだ。「みてくれ」と背の高さは問題ではない、僕はその「希望の星」の希望の星になってやろうと心に誓って上京した。
 僕の慢心を後押しした理由が一つある。例の天文館の映画巡りで洋画の演目を観つくして、演目が総代わりになるまで禁断症状に陥ると、仕方なしに邦画を観た。上演開始時間にお構い無しに入場して、暗がりの中で座席を探すあいだ、俳優のセリフだけが耳に入ってくる。席に座り画面を観てその映画の世界にはいる前に僕の耳に響いてくる日活俳優たちのせりふ芝居が、どれほど稚拙で不様に聴こえたことか! これなら上京してしかるべき俳優修行を積めば、新劇の希望の星になるかたわら、日活映画の中で一癖も二癖もある得難い若手性格俳優になり、吉祥寺あたりに家を持ち、母と妹を呼び寄せて暮らせると確信した。(現に俳優座の養成所の試験に受かったその日に伊勢丹の家具売場へ行き、瀟洒なソファーと傍らに置く背の高い電気スタンドに目星をつけて「三年後にはあれを居間に置こう」と決めて来たほどだ)
 六〇年から七〇年代にかけて、新劇の栄光は内部の慢心と怠惰のお陰でメッキが剥がれ、地に落ちた。若手性格俳優の心づもりは映画産業の斜陽と僕自身の売れる俳優になれる素質の無さで、完膚なきまで挫折した。希望の星や若手性格俳優とは無縁のところで芝居と仲良くなれたのは、その日暮らしのバイト生活にとことん付き合った末の、六〇歳を過ぎてからだ。もちろん「勘定は自腹」の今日までの俳優志願人生に不満はない。それどころか芝居抜きに生きたらどんなに醜い男になっていただろうとゾッとする。
 
八月十九日
二十九 独学
 卒業間際に村野ティーチャーに「君は大学へ進まずに俳優の専門学校へ行った方がいいのではないか。」と言われ、「いいえ、早稲田の演劇科へ行きます。」ときっぱりと答えた。一年東京で受験勉強をしながら働いて入学金を作るつもりだった。
 上京して直ぐに早稲田の演劇博物館へ行った。正面だけはシェークスピア時代の劇場を模したと称するそとづらだが、中身は取りつく島もない唯の資料館だった。そうか、ここは演劇の学問を教える所なのかと、いっぺんに目が覚めた。それに直ぐ始めた音楽喫茶のドアマンのバイトが一〇時間働いて日給手取り四七〇円なので、入学金どころではない。どだい自力で大学など無理だったのだ。
 三〇歳過ぎてから芝居の用事で学習院のキャンバスを歩いた時、「ああ、ここはどう稼いでどう生きて行くかという娑婆のしがらみとは無縁の、ただ学問をすることだけを考えていればいい場所なのだな」と、いまさらながら実感して羨ましかった。たぶん青春時代を大学のキャンパスで過ごしたことのない者が皆いだく実感だと思う。
 独学という言葉がある。いやな言葉だ。青春時代を大学のキャンパスで過ごした者と違って、独学者は学ぶことに関してゆとりがない。僕は推理作家の息子なのに(炉端でゆったりとミステリーを読む)的な真似は逆立ちしても出来ない。白状するが、知的上昇欲にたいして意地が汚いのだ。素人野球の試合に携えるスポーツバッグの中にも、仲間との一泊温泉旅行用のボストンバッグの中にも、六〇年代はサルトルを、七〇年代は吉本隆明を、八〇年代はレヴィストロースを密かに忍ばせていないと落ち着かなかった。怠惰に「知」を浪費して楽しむ生き方に憧れながら、どれほど独学者としての自分を憎み、独学のしがらみにはまって生きたことか。          
 
八月二〇日
三十 誤訳
 昨夜、「独学」の悪態をついたが、英語の学習については少し事情が異なっていると思う。Tさんに英語力をつけたいと相談し、励まされたのはもう二年ほど前で、いまだに「辿り来て未だ山麓」であるが、これだけは意地の汚いどうこうとは関係無しに、なり振りかまわずに必須だと思っている。
 昨年、二、三年前のベストセラー「日本語が亡びるとき」を読んだ。非常に理路整然と筋の通った本だ。まず、泣いても笑っても世界の言語は英語に制覇されつつある、或は、されてしまった、と説く。このコンピューター時代に英語による「世界図書館」(古今東西すべての書物が完全に英語にコピーされる)が完成しつつあるという情報も説得力がある。だからといって、終戦直後の志賀直哉のように一億、日本語を捨てて英語(志娥はフランス語)の軍門に下れというのではない。むしろ逆に、必要を感じる者は自己責任で英語を手に入れたらいい、それよりも日本語教育に真剣に取り組み、誰もが高校を卒業したら「枕草子」を原文で味わう国語力を身につけるべきだという。作者は水村美苗という女性だがなかなかの硬派で、同感である。
 そのうえで、僕はあえてこの歳で「必要を感じる者」になろうと思う。一つには、英文学の名文を原語で味わいたい。ラフカディオ・ハーンの「耳なし芳一」の芳一が経を唱えながら耳を澄ませているところに幽霊が武具を生け垣にこすりながら近づいてくる下りの、文章からじかに響いてくる音は、原文でしか受けとれない。ジョイスの「ダブリン市民」の最後の短編「死せる人々」の最終ページ、「マイケル・フューリーの墓の上にも、イギリス中の丘の上にも雪が降り積もる」という目眩のするような文章も、その中のリフレイン"snow fall"という柔らかな単語の響きでなくては味わえない。アニー・ディラードの「ティンカー・クリークのほとりで」の対峙した蛇を観察ながら綴る文章の静謐な緊張感も翻訳では意味しか伝わってこない。
 もう一つは、日本の貧弱な翻訳事情だ。フロイドの正当な後継者ラカンの文章は難解なフランス語で有名だ。しかし素人ながら芝居関係でどうしても彼のこだわっている深層心理の理解が気になって翻訳されている「エクリ」三冊はじめ何冊かをたどたどしく読んでみたが、まったく解らない。だって、日本語として意味が取れないのだ。ついに「これはラカンの所為じゃない、日本語が悪すぎるんだ」と気が付いた。行き掛りじょう、も一つ背伸びをして、ラカン理解の入り口として大切な「エクリ」一巻の最後の論文の英語版の名訳があると聞いて、Johns Hopkins"THe Language of the Self"を辞書くびっ引きで調べてみた。一日一ページも進まず、一週間で放り投げたが、口惜しいではないか、その一ページの中に日本語訳者の誤訳を四カ所以上も、この素人の、高校英語の学力もおぼつかない僕が見つけたのだ。あきらかに訳者はラカンが何を言おうとしているのか、何を心を傾けて言いたいのか、いまこの瞬間、どのようなスリリングな新しい理論が生まれようとしているのか、その興奮にまったく共振せず、何も理解せずに、その現場に立ち会うなんの感動もなしに、字面だけを直訳・誤訳しているのだ。
 クソ! あきらめないぞ! と思う次第である。
 
八月二十一日
三十一 記憶
 毎晩甲南時代を思い出しているうちに、記憶って何だろうと気になった。ぼく達は過去の出来事から、何を切っ掛けに、何を根拠に、その中のほんの五、六秒を切り取って記憶にとどめ、五五年後に思い出すことが出来るのだろう。
 「記憶すること」と「忘れること」は対称的な心のはたらきだ。友人が通りの向うからやってくる彼の妻を見て、「あれは誰だろう? 見覚えのある女性だが。」と呟いたのを聞いて、フロイドはその友人が近々離婚するだろうと確信した。忘れるという行為はただの不可抗力の自然過程ではなく無意識の願望が潜んでいるのだという学説をフロイドが説明するために用いた有名なエピソードだ。友人は無意識の願望として妻を忘れたかったのだ。
 だとしたら「記憶」にも何かの理由が、意志が、気付かぬうちにはたらいているのではないだろうか? 六歳の記憶、空襲警報が鳴るなか、灯火管制用の蛇腹型の電燈の輪の下で一家車座で息をひそめていると、母が「この子がしっかりしているから助かる」と言った。言葉のニアンスまではっきり憶えている。自分が何者かであることを大人に認めてもらった瞬間を記憶することは幼児に取って重要な糧なのかも知れない。疑り深く考えると、記憶を刻むときに無意識の願望が忍び込むとしたら、それを思い出すときにもあからさまな願望が働くのではないだろうか? つまり、自分に取って都合のいいことだけを思い出す。それどころか、記憶を無意識に自分に有利な物語に作りかえ、捏造し、自己弁明の手段に使うことはないか? 無意識に。
 そう思うと、僅か一、二秒の、なんの意味も纏わりついていない記憶が好きだ。「なんであんな事、憶えているんだろう!」みたいな、ひとかけらの記憶が。
 授業中、後ろを振り向いたら内山君と目が合って、内山君が「ウフ」と笑った。夏の夜、美術部の部室の真上の明かり取りの三角屋根の傾斜面に背を当てて星を眺めているとき、背中に伝わってきた屋根の余熱の心地よさ。演劇コンクールで玉竜の校庭の渡り廊下を歩いている時、前を歩いている川君がいきなり緩やかなYの字を描いて方角を変え、女史便所に消え、すぐさま、真っ赤になって出てきた。 一時期「ゴテはゴテ、アバラはアバラ」というナンセンスな言葉が流行り(まったく意味不明)、死んだ川井田君がしきりに囃し立ててはだらしなく笑いこけていた。等々   
 
  ・・・・・・・
 
八月二十二日
甲南八八会の皆様
T・Aは、六月七日緊急入院以来、緩和ケアを受けておりましたが、十九日二二時に安らかに永眠致しました。長年のご交誼を心から御礼申し上げます。
なお、葬儀は桑名市の大山田キリスト教会で執り行い、二〇日十九時前夜祭、二一日葬儀を終えました。
取りあえず、ご連絡まで。 T・S

 

 
 

 

 

舞台の上の離人症

 分裂病の疑いのある患者をまえにして、精神科の臨床医が最終的に「この男はまぎれもない分裂病者だ」と判断をくだす根拠は、じつは、ただの「勘」なのだという。むろんだだではない、現場に通暁した専門医の「勘」である。目の前に座った患者から「気」が伝わってこないのだ。「正気」の「気」が。患者から伝わってくる気配が常人の発する気配と違う。─つまり気が違っている。医師たちは、この診察現場でじかに受け取る「気の違い」の気配を、「プレコックスゲフュール」(木村敏『分裂病の現象学』弘文堂一六九ページ)と呼んでいる。
 このとき、医師をまえにした分裂病患者の内部でなにが起こっているのか?(ところで、素人が妄想をたくましくするには「分裂病」では間口が広すぎる。以下、分裂病のなかで比較的僕らに理解しやすい症状をともなう「離人症」に即して話をすすめさせていただく。)
 
    男、女の傍らに立ち客席に向かい。
男 リジンショウ。―リジンの「リ」は距離の「離」。「ジン」は「人」。「離」れる「人」の「症」と書いて「離人症」。一見どこといって変わったところのないこの女の中で、自分についての感覚、自分についての意識だけが、いま、病んでいるのだそうです。あの「我思う、故に我在り」の「我の思い」が、これの中で、干からびているのです。「もの凄い速さで、私の中から私が逃げていく」とこれは言います。
唐の時代の禅坊主、六祖慧能の話にこんなのがあります。
『城壁の上に翻っている旗を見上げて、二人のインテリ坊主が議論をしておりました。
「見ろ、旗が翻っている。旗が空に舞っている。」
「旗ではない。旗を包んで風が舞っている。我々は風を見ているのだ。」
「我々が見ているのは旗ではないか! 旗のみが実在である。」
「馬鹿な! 旗を動かしている風こそが真の実在なのだ。」
そこへ一人の乞食坊主が通りかかってこう言います。
「旗でもない、風でもない。あそこで舞っているのは、お前達の心だ。お前達の心が城壁の上でいま翻っているのだ。」』
その心が、これの中で止まっています。風は死んで、旗は空に貼りついたまま動こうとしません。
 「高い木を見ても少しも高いと思えない。」これはそう言います。「鉄アレイを見ても鉄の重さを思い出せない。紙切れを見ても軽いとは思えない。時間がばらばらになってしまった。繋がりのない無数のいまが、いま、いま、いま、と身じろぎもしないで私の前に立ちすくんでいる。なめらかに将棋倒しのように倒れながら「時」が私といっしょに進んでいくあの生き生きした感じが、私の中から消えてしまった。」そう私に訴える時のこ
れは、なにかひどく遠い声を、─まるで、濃い霧のたちこめた河の向う岸に立って、そこから私に呼びかけているような声を出します。
「でも、それが辛いということは確かなんだろう。少なくともそのことを辛いと感じている自分は、感じられるんだろう」そう私が尋ねると、「ただ辛いということがゴロンところがっていて、その傍に空っぽの私が坐っている。」これはそう答えます。気がつくと、そう答えるこれの声からは何の感情も伝わってきません。─向う岸には、実は、最初から誰も立っていなかったのではないか、私はそんな気がしてゾッとするのです。
           (和田周「キャベツ畑の中の遠い私の声」)
 
 ミンコフスキーの「生きられる時間」「精神分裂病」、ブランケンブルクの「自明性の喪失」、ウニカ・チュルンの「ジャスミン男」、木村敏の分裂病関係の著作からの、勝手読みと孫引きでこねあげた拙い自作からの引用で恐縮である。
その「生きられる時間」のミンコフスキーがベルグソンを引用しながら
どこかでこんなことを言っていた。
 ギリシャ時代に幾何学を手に入れて以来、何人もの賢人が「時とはなにか?」に答えようとして、そのたびに失敗してきた。つまり、すべての物事を空間内の測定可能な事象に置き換えて推論し証明しようとする静力学的思考方法では「時間」を捕まえることは出来ないのだ。ところが、その不毛な試みを断念した男が、たとえば、椅子の背凭れに後頭部おしあてて目を閉じた瞬間、今の今まで捕えようとやっきになっていた「時」そのものが、彼を包んで海原のようにせり上がり、彼を巻き込み、とうとうと流れだすことに気付いて愕然とする。つまり、「時」とは「思惟」するものではなく、それと共に、その中を、「生きる」ものだと言うのだ。
 人間の能力のなかで、「それはなにか」と問いかけ、推論し、認識する能力と、彼自身が「生きている時間」の中で、たとえば、風景に向かって自意識を投影しながら或る感慨を抱いたり、目の前の人物からみずみずしい生気を感受する能力とは、二つの、まったく別の能力なのだ。そうミンコフスキーは言う。
 離人症患者の内部で蝕まれていくのはその第二の能力、─「生きている時間」の中で、みずみずしい生気を外界と他者からぞんぶんに受け取る能力なのだと言う。それは同時に、彼が外界と他者に投げかける、みずみずしい生気の、枯渇でもある。時間と共に世界を生き生きと生きている実感の喪失……。それがどれほど辛い実感なのか、僕らには想像がつかない。彼等は「溺れる者が藁をつかむように」生きているという実感の喪失を補おうとして、第一の能力にしがみつくのだと言う。記号や目盛や言葉の意味だけをたよりに、乾涸びた推論的思惟を肥大させて組み立てた絶対零度のバーチャルリアリティーの観念世界をさ迷いながら生き延びようとする。
 
 ・・・で、芝居の話だが。
「生きているという実感の喪失を補おうとして、記号や目盛や言葉の意味だけをたよりに、乾涸びた推論的思惟を肥大させて組み立てた絶対零度のバーチャルリアリティーの観念世界をさ迷いながら生き延びようとする。」
 僕らは客席に座って、こんな登場人物たちのうごめく舞台を見守り続けた経験はないか? いや、なによりも、舞台の上でこのような登場人物でありつづけた覚えはないか?
 稽古場で僕ら役者に手渡される台詞の日本語が、意味を観客に運ぶための「指示表出」だけで成り立っていないことを、そこには「いま」を生きている話者の「自己表出」がみずみずしく息づいているはずだということを、僕らに教えてくれたのは一九六五年の吉本隆明だった。〔吉本隆明「言語にとって美とはなにか」勁草社〕
 劇の現場は知識や論理ではない。あたりまえのことだ。だが、吉本の提起した「自己表出」の問題を俳優の物言う術の工夫として、七十年代以降、稽古場でまともに扱い、乗り越えたと断言で演劇集団があるか。
「無知蒙昧の観客の目を蒙くための「意味」とイデオロギーだけを舞台から垂れ流すリアリズム演劇と、劇作家の捏ね上げたたった一重の物語を伝えるための「良い子の貫通行動」の発見を至上目的とした近代俳優術の殻を尻につけ俳優たち……。まるで舞台の上の離人症のような!
 
吸血鬼7 その晩、僕らは僕らの劇場で、チエホフの「桜の園」の最終幕の稽古をしていた。─「さよなら、ふるい生活!」「今日は、新しい生活!」。登場人物達が「桜の園」を見捨てて旅立っていく、大詰めの場面だ。
稽古の出来は、惨憺たるものだった。どの俳優の身体からも、生きた心地がそよともつたわってこないのだ。全員が舞台の上で立ったまま死んでいた!「吸血鬼が立ったまま死んでるのはあたり前じゃないか!」なんて、そんな血も涙もない野次をどうか飛ばさないでいただきたい。すくなくともこのころのぼく等は、泣きたくなるぐらい健気に、前向きに生きようとしていたのだから。
            (和田周「吸血鬼の咀嚼について」)
 
 またまた意余って力たらぬ自作の引用で恐縮だが、ぼくら吸血鬼の切迫したアイロニーだけは受け取ってほしい。
            (雑誌「テアトロ」99年2月号掲載)
           
 

 

クレタ人の嘘

 
 素人将棋ファンのあいだで「一手指すごとに指した側が強く見える」という言い方がある。そんな高段者のようないい将棋を指したいなという思いのこもった言い方なのだが、たしかにいい将棋というのは一手の緩みもなく盤面拮抗して、攻守所をかえ、指すたびに指した方が優勢に見えるものだ。
僕らも日頃、登場人物たちにそんな台詞を喋らせたいと憧れている。つまり、人物AとBが舞台のうえで対話をするとき、どちらが喋っているのかに関係なしに状況が一重に進んでいくような舞台は、駄目なのだ。Aの台詞が突きつける事態とBの台詞が突きつける事態が二重に捩れ、拮抗しながら、一瞬一瞬観客の描く予定調和の補助線を打ち消すようにして、(もちろん作者の小賢しい思惑など踏みにじって)ダイナミックに場が成り立ち、舞台の時間が流れるような、そんな「一手指すごとに指した側が強く見える」台詞の平手打ちが交互に繰り出せたら最高だナと、憧れている。
 将棋の場合、そういう場面に出会ったら、一回一回指し手の背後にまわり込んで盤を眺めるにかぎる。「ああ、いい手だナ」と、しみじみ納得がいくのだ。戯曲も同じだ。人物Aの台詞は、人物Aの背後に回って、彼の目の高さから、彼の立場から世界を見回し、それらの世界を背景にこちら向きに立っているBに向かって彼が発語した台詞として、読まなくてはならない。そして次には人物Bの背後へまわり込んで・・・。
 いい戯曲、駄目な戯曲にかかわりなく、ほんらい戯曲を「読む」というのはそういうことだ。一人称の語り手の内側に滑り込んで、書き手の視線で世界を了解しながら滑らかに読み進む「小説」に較べて、「戯曲」がはた迷惑なほど骨折りな所以である。
 ついでに戯曲の肩を持つ話も、ひとつ。
 ひところ、現代数学の世界に衝撃を与えたゲーデルの「不完全性の定理」の影響が文学批評にまで及んで問題になった。かいつまんでいうと、「すべてのクレタ島人はうそつきであると、一人のクレタ島人がいった」というエピメニデスのパラドックスが言語表現である以上、文学はこの文の真偽の決定不可能性に責任をとらなくてはいけないという理屈なのだ。なるほど、一人称で文を綴る小説家は、たとえば「彼の目は飛び去った蝶の姿を探したが、無駄であった。」などという自分の文章にふだんからおおきな顔をして太鼓判を押しつづけてきた行きがかりじょう、「すべてのクレタ島人が嘘つき」なのか、そういっている「一人のクレタ島人が嘘つき」なのかどっちかに決めてみせろと、問い詰められるのかもしれない。
 ところで、戯曲の場合はどうか。
 
              クレタ島人、登場。
 
クレタ島人  すべてのクレタ島人はうそつきである。
 
              クレタ島人、退場。
 
これで終わりである。だれに文句をいわれる筋合いもない。登場したクレタ島人がうそをいったのか本音をはいたのかは、知る人ぞ知るである。観客が「なんてナンセンスなことを言うクレタ島人だ。もともと彼はそういう男なのだ。」と決め込んで家に帰ってくれたってかまわない。そう、彼は「そういう男」なのだ。そういう男が生き生きと登場しただけの話だ。「人の心の奥は謎だなア」という、太古からの人類の深い「睿知」と、スッカラカンの「無知」とが紙一重でせめぎあう暗い淵を、ギリギリのところまでにじり寄って覗き込めるのが、芝居の冥利ではあるまいか。
                        1995年10月27日
    (和田周第二戯曲集「吸血鬼の咀嚼について」あとがきより抜粋)
                    

Twitter(2017〜2016) 

2017/3/17
流山児事務所公演「だいこん・珍奇なゴトー」をスズナリで観た。
流山児演出の「超」どころか「馬鹿」がつくほどのぶっ飛んだナンセンス芝居(カラ騒ぎ芝居)の底に、成井昭人の黙示録的なドス黒い不条理世界が沈殿している、それが透けて見える戦慄的な芝居だ。客席に座って現代のウラディミールとエストラゴンが待っているものを想像すると、3/4世紀まえのベケットの「ゴトー」が牧歌的に、いかに「あの頃はまだマシだった」と思えることか。その意味でブレヒトの「演劇は世界を再現できるか」という問いかけに、流山児の悪ふざけが正面から答えた真摯な芝居だと思った。日の丸を掲げ、軍服を着た父親とその家族が登場する場は目頭が熱くなるほど愛おしい名場面だった。優れて「現代版・ゴトーを待ちながら」だと思う。
  
2017/2/12
 今回も自分たちの作る芝居とまったく違う芝居を観て感動した。
 劇団キンダースペース公演 作・演出の原田一樹 「河童」~鼻の先の夕暮れ~ (於シアターX)
 たしかに芥川の「河童」の劇化は魅力的な作業だと思う。芥川の自死をふくめた生涯と作品、彼の韜晦な虚と実、それらを重層的に舞台上で組立て直すことが出来るからだ。しかし、原田氏が何よりこのことに成功したのは、劇の後半、トック(河童の世界の主役・詩人)の自死の場で原作にはないトックの生い立ちをめぐる育ての親と生みの親(幽霊)の対立の場を氏が独自に挿入したことだと思う(舞台に登場する幽霊が実に魅力的だった)。芥川龍之介作家論として、それ以上に日常と観念とのあわい往来する僕らのありようについて、観客にスリリング(思索的?)な興奮を強いる重厚な芝居だと思った。
 ただ、最終場、人間界の精神科医と助手との解説・啓蒙的な会話は、蛇足じゃないかな(私感)。
 
2017/1/24
ヤマカンが当たった。
一休は修行時代に「般若経」を黙々と読み込んでいたというのを知って、難解な彼の「狂風」を理解する取っ掛かりは「般若経」にあるのではないかという僕の当て推量が、見事に的中した。
 長尾雅人訳「改版維摩経」と同著者の「『維摩経』を読む」を併読してまだ三分の一だが、「維摩経」、これがはたして「経」なのかと呆れるほど破天荒な展開なのだ。釈迦の十大弟子と呼ばれる菩薩・舎利、弥勒、金剛等、全菩薩が次々に俗人の智者・維摩詰に論破されてゆくという筋書きが物語(経)の前半なのだが、その論破の論旨が凄い。全否定ゆえの全肯定。全肯定のゆえの全否定。裏返しの異論。正論の真っ向割り、「空」のるつぼに投げ込まれるや瞬時に泡のごとく浮き上がってくる逆説の数々。
 まっとうな定理のもとでのみ解を求める西洋の学は閉鎖系の知性だと思う。その閉鎖系の内部でのコケおどかしのゼノンの逆説など、維摩経の逆説の前では児戯に等しい。
 広漠とした開放系の地空で繰り広げられる維摩詰の小乗仏教的知恵を論破する逆説・言説は驚歎唖然、驚天動地、血湧き肉躍る一大ページェントなのだ!
 チベットや日本に山積されている全ての経の底に眠っている叡智の深さを想像すると、目が眩む思いがする。つくづく井の中の蛙大海を知らず。(一休の言葉になおすと「井底の尊」)
 
2017/1/21
作・流山児祥演出・プロデュース「メカニズム作戦」を早稲田で観た。
労・使、組合幹部、左翼既成政党、国家、それぞれ紛れもなく確かに絡み合った「力関係」を、巧みに戯画化した1962年の宮本研の出世作(僕は23歳で初演を観た)だが、2017年、55年後の現在、その力関係、対立項はすべて消失している。ある項は無残に、そしてある項は巧みにあからさまに姿を隠して。
その無重力状態を流山児演出の20人近い若い俳優たちの爆発的なエネルギーがSpace早稲田小劇場の真上に見事に打ち上げた。無重力状態のまま。その演劇の力・ささやかな希望には心をうたれるが、なんとも不気味な淋しく悲しいこの時代をひしひしと感じる。
 
2017/1/15
カメラマンの津村和比古氏に勧められて橋口亮輔監督の「恋人たち」を観た。衝撃を受ける。
饒舌に、しかし細密画のようにリアルに深く描かれた現代の日常と人間関係の中を、三人の主人公が一人ひとりゆっくりと、まるで乾いた砂の上を震えるながら這うように生きてゆく軌跡が映し出されてゆく。彼らのその行動線にドラマチックな起伏はほとんどない。ただそれを見つめる作家・監督の眼差しが限りなく優しい。それだけが唯一の救いの、それゆえに美しい、それゆえに作品として自立した、素晴らしい映画だ。とっくに評価された傑作らしいが、遅ればせながら日本の現代映画の可能性を思い知らされた。
 
2017/1/4
友人の竹内友彦君に教えられ、この歳で初めて「一休」の存在を知った。衝撃。ラジカリズムの真髄! これからは一日一回は一休のことを思いながら過ごすことになると思う。
水上勉「一休」、栗田勇「一休・その破壊と風狂」、町田宗鳳「森女と一休」それぞれに味わいのある伝記物だが、町田宗鳳が資料の真偽の詮索にまるでこだわらない分、力まずに読めて、僕好み。
とりあえず彼の生きた乱世室町の歴史と、禅の予備知識としての「維摩経」を少し学んでから、「狂雲集」を解説本をたよりに読み込もうと思う。
 
16/12/17
石神井公園ふるさと文化館にて大木学写真展「ひかりみち」今日から25日まで。
光が織りなす石神井公園の風景を作家独自の視点で写し出している。抑制のきいた静かな作品群。その真っ直ぐな、しかし意表をついた独自の視線は、小さな不意打ちとなってこちらに届いてくる。得難い体験、感動。作品はたった13点だがどれも作家の思いが直に、すがすがしく伝わってくる。作家の経歴、思いも短い文章で会場に展示されている。
お薦め!
 
2016/11/13
「岸辺の鉱石ラジオ」楽日を前に
 昔から人は「時間」を論理と言葉でとらえようとして「時間」に拒まれる。そして彼が諦め、思考を停止した瞬間に、「時間」が姿を現し、水かさを増した河となって彼を巻き込み流れ出す。
 舞台に女と男が対座して静止している。男は時間についての論理をもてあそび、「今、俳優としての自分たちが静止した時のなかで死んでいる」と言う。女は「何も考えずに、ただここに座っていれば時間は動きだす」と言う。男は女の言葉にしたがい、女の傍らで時の流れに身をまかせる。すると、
男 おれ達の生きた心地が・・・どんどん薄くなっていく・・・そう・・・薄くなっていく。そして・・・あとに残るのは・・・そうなんだ・・・いまこの劇場でたしかに生きているのは、そこの暗がりに座っておれ達を見ている観客だけだ。
女 ええ。
男 ・・・つまり、
女 もう黙りましょう。
 いまこの劇場でたしかに生きているのは、そこの暗がりに座っている観客だけだとしたら・・・その気配だけにに耳をすまして・・・そのことだけをわたし達の体でじかに感じましよう・・・そうしたら・・・たとえわたし達がひとのこしらえた台詞をしゃべりながら舞台の上を動きまわっても・・・そんなわたし達を・・・こんどは客席に座っているひと達が「ああ、舞台の上で、俳優達が、まるで生きている見たいだ。」って・・・見つめてくれるかもしれないじゃない。
 その時、劇場で実と虚が逆転して舞台の上で生きた俳優たちが動きだす。
 
2016/ 10/25
桶谷秀昭の「昭和精神史」上下を読む。
 予想していたような個々人の精神史を時間軸に沿って横並びに展開した一種の国民的昭和精神の発展史ではなく。一人一人が個別に時代のただ中で覚醒し、迷い、誤り、(大げさに言えば)のたうつ軌跡を真上から覗き込むような構成になっている。おかげで単独者が時代の中でものを考えることの危うさ、恐さ、哀しさが生き生きを伝わってくる。同時に節を守る潔さも、自己をも裏切る醜さも。
 荷風、森恪、多喜二、橘孝三郎、中野重治、保田興重郎、北一輝、小林秀雄、王兆銘、東条英機、広田弘毅、太宰治、三島由紀夫、等(特に保田興重郎)。
 得難い読書体験
 
2016/10/22
このところ、久しぶりに観る映画が立て続けに傑作。(前回はシャーロット・ランプリングの「さざなみ」)、今回は「ある天文学者の恋文」。
 うんざりするほど論理的整合性にこだわった理屈っぽい哲学的な物語なのだが、抜けしゃしゃあと呆れるほどのメロドラマなのだ。もろ感動! なによりも「星は、自身が死滅した情報を観測者に送り届ける」という暗喩を下敷きにした筋運びが端正で美しい。一箇所、詰めの甘いくだりがあるが、それを上回って余りあるほど魅力的な作品だと思う。
 
2016/10/10
なんでもアリ!
9月7日、シアター・サンモールにて東京AZARASHI団の「ティファニーで朝食と昼食を」脚本・演出 穴吹一郎を観た。
驚愕。不意を打たれ、感動した。
汚職、私的使い込みと無駄遣い疑惑を仕組まれたダメ市長の危機を、桃太郎と一寸法師の末裔カップルが、(さらに)過去からやって来た世界滅亡危機を訴える変なオジさんと中年男(一寸太郎)コンビの協力で、無事解決するという、滅茶苦茶な芝居なのだ。ナンセンス、メロドラマ、一枚底の風刺ありのその無茶苦茶なストーリーが、あろうことか綿密に構成されている。劇場がほとんど静謐と言ってもいいほどの劇空間の小宇宙に、二時間包まれて終結する。有りえない! だからこそ、見終わって立ち上がれないほど感動する。こんな芝居もアリなのだ!
今年の春、ぼくは名古屋で僕ら「夜の樹」の芝居の(大袈裟に言うと)極北に位置する劇団クセックACT公演(主宰者・神宮寺啓)「観客」を観て、驚愕、不意を打たれ、感動した。その続きで言うと、今回、その真反対の位置(極南?)にある芝居に不意を打たれ、感動したことになる。そう言うと僕ら「夜の樹」が二劇団の中央に位置することになる。そうではないのだ!「夜の樹」からあらゆる角度に遠く離れて「驚愕、不意を打たれ、感動」する芝居があっていいのだ! 同時に、「AZARASHI団」も「劇団クセック」も彼等からあらゆる角度に遠く離れて「驚愕、不意を打たれ、感動」する芝居があっていいのだ!
芝居って凄い! あらゆる方向になんでもアリの世界なんだ。ただ「なんでもアリ」のその一つ一つが、その一つ一つの小宇宙が、最高でなければ「ただのゴミ」なのだ。
一生を棒に振っても足りないくらいの凄い世界だ!
 
2016/9/27
今年も山村俊雄展覧会「曙光」を観に新鹿沼へ行ってきた。氏の作品からは観るたびにまるで新しい発見と感動をもらって帰ってくる。
今回の作品群、それらが並ぶ鹿沼市文化活動交流館ギャラリーは、古事記に出てくる「成りなりて」・「成りなる」という言葉のイメージが充満していた。キャンバスの上で命の初源の粒子・細胞・胞子がうごめきながら繁茂していた。その「成りなる」瞬間の現場を僕らは真上から覗き込み、あるいは、真横から見まもり立ち会う体験を、強いられるのだ。
生涯に一度、あるいは一年に一度(どちらでも同じ)の、至福の時間である。
都心から東武特急で約1時間の新鹿沼の会場。日に5名、あるいは一人も訪れない日もあると氏がfacebookで嘆いている展覧会場。確かに遠い。
9月27日で10日間の今年の催しは終わってしまった。しかしあのような贅沢な会場で贅沢な感動を、時間・距離・資本の論理を無視して分かち合うにはこの形しかないのだ。
どうかfacebookの「友達」の皆さん! 来年の10日間は1日500名の観客で新鹿沼の会場を埋めてください!(詳しい情報とコンタクトは「村山俊雄」で検索をよろしく)
 
村山俊雄と彼の作品に纏わる往復書簡」
小野沢稔彦様へ       和田 周
 貴兄に勧められた山村画伯の展覧会に触発されて、以下の小文をFacebookにupしました。
「小野沢稔彦君に教えられ、山村俊雄画伯の個展を鹿沼市文化活動交流会館ギャラリーへ観に行って来た。さすが小野沢君の(強引な)薦めだけあって、素晴らしい体験。
 ニューサイエンスに「すべての情報は宇宙に蓄えられていて、地球上の個体はあたかも鉱石ラジオのように自己の持つ波長に合わせて自己に必要な情報のみを宇宙から受け取る」という学説がある。カブト虫はそこからカブト虫の形質遺伝情報を受け取り、人は人類の記憶さえもそこから受け取るという壮大な仮説。
 表現行為にとって大切なのはout putよりもin putであるというのは当然の正論だが、山村氏の作品はその常識の次元を明らかに超えている。氏の意匠は、すべての感性を宇宙に向かって開き、そこから受け取った形と色(マチエール)を氏固有のキャンパスで受け止めている。展覧会上でそんな現場に立ち会っているような感動。」
 しかしその後、山村画伯の創作作業を同じくFacebookで日々受け取り、新たな感想を得たので、かいつまんで述べます。
 江戸時代の医師が行った「腑分け」をミケランジェロやレンブラントもしきりに実践して人体の内部、筋肉や骨の正確な在り処を模写している。しかしそれはあくまでも屍体の写し絵である。それに対して、村山画伯の(鳥の皮を剥いだような、あるいはなにやらむき出しの性器のような光沢をおびた肉、筋肉、筋のごとき)一連の素描は、生きている。濡れたまま生きている。
 あの鹿沼市の展覧会場で彼の作品に囲まれて立った時の感動は、森羅万象の薄皮を剥いで濡れたまま生きている何ものか(それを〈いのちの内側〉といってもいいかもしれない)を、直に突きつけられた驚きと感動だったのだと、今になって思うのです。
和田 周様へ          
〈色〉が生を駆動する               小野沢稔彦
 お手紙拝読しました。貴兄の鋭い感性によって深く捉えられた、山村世界についての批評を拝読し、改めて山村ワールドを視ることとはどういうことかを考えさせられました。
 その貴兄の批評に触発されて、山村俊雄が切り拓いた可能性に腹蔵されてある、山村の深化する〈色〉の持つ根源性についてレポートしたいと思います。
 昨年9月に鹿沼で開かれた山村の個展のチラシの中で、小生は山村の世界は生成する〈運動〉性であると書きましたが、まさにその展覧会(『回帰線』)で新しく発見したのが、山村の色が内発する根源性なのです。山村の〈色〉の秘める闇を内包する濃密で底深く怪しい「みどり」ーラテンアメリカ文学の胎蔵する歴史を内包した重層的な色彩世界が発する深い衝撃性を連想させるー、緑というにはあまりに重層化され、〈生命史〉の全景を孕み込んだ、名付けようのない「みどり」の根源性に私は撃たれたのです。
 おそらく南方熊楠が私たちに開示した「粘菌」が持つ生と死との根源のあり様とどこか通底する、山村の新しい〈色〉の世界は、私たちの〈生〉の起源を視つめるための圧倒的な方法であるように思えるのです。
 山村の「みどり」の内実を解明するには、小生の日本語は貧しいものです。貴兄の批評をお待ちします。
小野沢稔彦様へ       和田 周
 面白いことに気がつきました。
 貴兄の「闇を内包する濃密で底深く怪しい〈みどり〉」 を、補色関係の図表で見るとその対極にあるのは、「闇を内包する濃密で底深く怪しい〈淡いトキ色〉」、僕が第一信であからさまに触れた「なにやらむき出しの性器のような〈光沢をおびた肉色〉」なのです。僕と貴兄はどうやら村山画伯の作品に対して、まったく同じものを真反対の位置、逆の位置から、直感的・観念的に覗き込んでいるのではないでしょうか? 
 白状します。僕が村山画伯の作品から直に受け取っているのはまさにエロスなのです。僕らの誕生時の記憶には、「あの時、濡れてうごめく産道を、母の性器の内側を確かに通り抜けたのだ」という皮膚感覚が憧憬となって、刻印されているのではないでしょうか? 
 あらためて彼の画業の重要性を僕は感じます。もっともっと注目されるべき作家です。僕に力があったら喜んでお先棒を担ぐのに!
 和田 周様
エロス=共同性の根拠              
 拝啓。山村の世界がエロスそのもの、母の産道の記憶を表出したものである、という指摘に圧倒的に共感を覚えます。
 山村の〈運動〉性とは、生と死の存在性の極地である〈エロス〉の世界の時空であり、エロスとは生そのものの謂いであるのです。改めて、山村世界の中にそのことを視つめたいと思います。更につけ加えれば、〈両性具有〉という「粘菌」の存在性こそ、エロスの極北の具体性であることを想い起こします。
 そしてエロスとは、私が〈私〉であることを通して〈私たち〉であることの現実性なのではないでしょうか。
 今回の新作展で、山村世界の更なる深化が切り拓かれることを期待したいと思います。
(小野沢稔彦 映画プロデューサー・監督・脚本・批評)
山村俊雄展覧会「曙光」鹿沼市文化活動交流館ギャラリー
9/16~9/27
 
2016/9/10
ユーロスペースで「ソング オブ ラホール」を観る。
音楽映画を観て泣いたのは初めての経験。こういう素晴らしいの映画を「ぜひ観ろ!」と教えてくれる友人に恵まれて幸せ。
 
2016/8/19
11月公演です。よろしく!
「夜の樹」第三十三回公演
「岸辺の鉱石ラジオ」
日々記憶をなくしていく連れ合いとくらしていると、ふと彼女が「あの時は楽しかったね」という目をして笑いかけることがある。明らかに「あの時の具体的な出来事」ではなく、あの「ただの時、ただの場」が「楽しかった」と目で訴えるのだ。意味を纏わない記憶こそが、記憶本来のかたちなのだと彼女から教わる。
今回ぼくらが劇場にすえた「岸辺の鉱石ラジオ」から聞こえてくるのは、そんな、意味を纏わない、紛れもない記憶だったらいいなと思う。
 
2016/8/2
7月21日新宿「toilet」で志娥慶香のピアノ・ソロ演奏を聴いた。「門外漢だが」的な弁解抜きに直に感じたこと。
文字を刻んでの文章表現法に例えるなら、彼女の演奏から受ける印象は「筆圧」が異様に高い。とにかく力強い。自作の「木漏れ日」や「耕雨」を彼女が弾くと、その陽の光や雨が、地表にはじかれずに地中に激しく食い込む。
そういえば彼女が作ってくれた「マジックユートピア」の映画音楽も画面の表面を滑らかに流れる通常の映画音楽ではなく、画面の内部へ重く突き刺さってくる。曲の合間に、彼女が幼児期に海底の夢を見てうなされる話をしてくれた。そして終わり近く、童謡の「浜辺の歌」のアレンジを弾いてくれた時、不意に僕なりに志娥慶香の謎が解けたような気がして感動した。
ふつう「浜辺の歌」を聞くと、のどかで美しい海の面が目に浮かぶものだが、彼女の「浜辺」からは波の総体、海底までの圧倒的な水の総量のイメージが、僕に打ち寄せてきたのだ。僕らは幼児期にたぶん海底の夢は見ない。夢の中でもせいぜいキラキラ光る海の面にのほほんと慰めらていたはずだ。
志娥慶香は宿命的に異能の音楽家だと思う。
 
2016/6/7
慶香嬢、ごめん!
70年代に夢中になって聞いていたGreatfull deadの「ダーク・スター」(スターズだったか?)の話をピアニストの志娥慶香氏にしたら、いつか弾いてくれると約束してくれた。そして先日、四谷での彼女の演奏会、30分間の即興演奏の中にその曲を織り込んでくれたという。どころがそのことに僕は気がつかなかった。面目無いやら彼女に申し訳ないやら!2・3日自己嫌悪。
思えばあの曲のど真ん中、一瞬リズムと音階がフッと変わって、あたかも雲の切れ目から新生の星の輝きをかいま見るようなその瞬間だけに、僕は恍惚となっていただけだったのだ。音を情緒に置き換えて聞いてしまうだけの基本的音痴の悲しさ!  
 
2016/6/6
予備知識なく観た映画に凄い衝撃を受けた。
アンドリュー・ヘイ監督、シャーロット・ランプリング主演「さざなみ(45years)」
結婚45周年祝賀会を1週間後に控えた老夫婦。その夫に、ある報せ(氷河に転落して行方不明になった昔の恋人の遺体が発見された)が届く。映画はその報せが夫婦に及ぼす波紋を細やかに(劇映画としては退屈なほど実に細やかに)六日間、淡々と描き続ける。ただし、妻シャーロット・ランプリングを中心に据えて。そのペースのまま、祝賀会場での夫の在り来たりの(在り来たり故に感動的な)スピーチ。
その後が凄いのだ。「煙が目にしみる」(60年代後半のプラターズの名曲)が流れるフロアで踊る夫婦を、あくまでも映画は、シャーロット・ランプリングの表情を中心に据えて撮り続ける。2分間、曲の最後まで。
この2分間こそがこの映画の総てなのだ。僕等は、何の劇的なメッセージも伝えない、表現しないシャーロット・ランプリングの2分間の表情の中に、それまでの6日間に彼女が彼女の内部に引き受けた葛藤、いやそれ以上に夫と45年間生きた日々の彼女の心の内の葛藤さえもまで、まざまざと読み取ることになるのだ。
こんな何も表現しない、総ての細部を表現する豊穣な2分間を、初めて映画で体験した。言語を使わずに、俳優がそこに居ることだけで何事かを語ることの出来る映画の新骨董を見せられた気がした。
ジョイスの「ダブリン市民」の中の「死せる人々」の延々と続く退屈な前半と圧倒的な感動、胸ぐらを捕まえられる最後の4ページの構成と、同じ体験をした。
 
2016/5/27
佐藤信・作 新井純・服部吉次・石井くに子出演のCABARET「阿部定の犬」を吉祥寺で観た。
 70年当時から佐藤信の芝居は「判らないのに許せる」と思っていたのだが、今回その理由が僕なりに納得できたので、以下。
 「人間がふだんの暮らしの中で自分一人を相手に思うこと(個幻想)は、おおやけの場で政治的な現実に巻き込まれながらその社会的な関係の中で思うこと(共同幻想)とは、そのまま地つながりに繋がっているのではなく、ねじれ、転倒しているのだ」というようなことを、むかし吉本隆明の本で読んだことがある。
 しかし、芝居の中では「個幻想」の岸から「共同幻想」の岸に向かって確かな橋が架けられ、劇中人物は様々な思い、情緒を身にまといながらその橋をうっとりと渡ることが出来、観客はその思いつめた叙情を劇として楽しんできた。ギリシャ劇からシェイクスピアや近松の戦記物、三好十郎、木下順二、みな然りだ。戯曲以外の例えば北村透谷や近代のプロレタリア文学でさえ実はその情念に支えられて成り立っていると思う。佐藤信の一つ前の世代、宮本研の「美しきものの伝説」もその優等生的成功例だ。
 ところが佐藤信はその橋渡りにまといつく「情緒」を拒ばまんが為に、逆さまのドラマツールギー、共同幻想から個幻想への架橋を試みているのではないだろうか?
 いったいそんな架橋が可能なのか、芝居の中で? 叙情なしの芝居を観客は受け止めることが出来るのか? そもそも共同幻想という向こう岸から、こちら側の日常生活者としての僕等の岸に架橋が可能なのか? 思考仮説としてもそれは成り立たないのではないか? その無謀な挑戦に佐藤戯曲の本質、難解さがあるのだと思う。そしてそのいはば不条理な劇作法の中から、ある種の「リリシズム」「ものの哀れ」が生まれる。それは劇の要素として独自に成り立つ。僕が「判らないのに許せる」と感じるのはそのせいではないだろうか。
初演「阿部定の犬」以来の出演者三人は、その情緒を抜き取られた登場人物を舞台上で必死に演じ続けてきている。とくに新井純は生身の躰で劇中の不条理な生をひたすら生きようとして、哀しく、みごとに美しい。
 
2016/5/7
第一次世界大戦中、レーニンはチューリッヒに亡命生活をおくっていたが、市内のとあるカフェで、亡命家に議論を吹っかけてきたルーマニア出身の若い詩人に向かって、彼は次のような言葉を発したという。「君がどれほどラディカルであるか、また私がどれほどラディカルであるのか、私にはわからない。きっと私は十分にラディカルではないだろう。人が十分にラディカルであることなど決してあり得ない。それはつまり、人は現実そのものと同じだけラディカルであろうとつねに努めなければならない、ということだ。」、と。
 レーニンの考えでは、本質的にラディカル(根源的・急進的)であるのは、人間の人物や行動ではなかった。それは革命家の脳髄に中に所有する思想でもなかった。本質的にラディカルであるのは現実、「リアルなもの」そのものだけであった。この言葉を吐いてからほどなくして、レーニンはロシアに戻り社会主義革命を決行することとなる。それは、すでに現実的(りある)なものとなった革命をより急進化することであった。つまり、彼の企てたこととは、そもそももっともラディカルなものである現実に働きかけて、それをより一層ラディカルなものとするということにほかならなかった。革命と呼ばれる社会現象は、社会内に潜在している諸矛盾が爆発的に露呈する、つまりリアルなものを押しとどめていた殻が破れて社会の本当の中身が溢れ出て来る現象である。してみれば、彼の企てたこと、革命を急進化するということは、リアルのものをより一層リアルなものとするということにほかならなかった。 白井聡「未完のレーニン」
 筋金入の本物の思想は必ず僕等の作業を励ましてくれる。劇作の行為が、芝居の書き手、作り手がラジカルなのではない。僕等はほんらいラジカルな日常生活を、生活者を、人々の関係を、それを覆っている薄い皮を剥いで、露呈させるだけなのだ。
 
2016/5/2
「夜の樹」の仲間今枝千恵子の出演している名古屋の劇団クセックACTの「観客」(愛知県芸術劇場)を観てきた。主宰者の神宮寺啓氏はパンフレットで、「話し言葉を前提」とした「限りなく日常生活で出会えるような」「心理表現を目的とする演技」を「否定して」芝居を作ると宣言している。つまりぼく等「夜の樹」が志している芝居と真逆の芝居を観せられたわけだ。
 にもかかわらず、しんそこ感動した。真逆の芝居を手放しに素敵だと思ったのは、初めての体験である。
 太田省吾の「水の駅」よりも、35年まえ日本に来たタデウシュ・カントルの芝居よりも、完成度(これも「夜の樹」とは無縁の価値観だが)が高いと思った。見事だと思った。「夜の樹」と同じく一年に一度の公演らしい。
 
2016/3/28
G.com公演「肉弾」無事終了。起こし頂いた方、この場を借りて感謝!
今回も親友の作家・岩下寿之氏に嬉しい観劇評をもらった。感謝!
「昨日、マチネで「肉弾」を見ました。切なさに胸を締め付けられ、帰りは憂鬱でした。それほど衝撃は大きかったということです。
 岡本喜八の映画を忠実になぞっていますが、違うところはやはり生身の人間が目の前で演じていること。この迫力には圧倒されました。「アイツ」を始めとする出演者の熱演に思わず目頭がにじみました。    
 切ない。とにかく切ない。この「切なさ」が、つまるところこの作品の面白さなのだと、いやでも納得させられました。戦争という狂気、理不尽。しかし、戦争でなくても、日常にあっても、生は常に狂気と理不尽に満ちています。理不尽は人生の普遍的な真理なのです。我々は日常それに気づかず、陽気に騒ぎまくっているだけです。その奥にある「地獄」を垣間見せてくれるのが、今回のような芝居です。
 戦争はその不条理によって、逆に地獄の割れ目から人間の崇高さを痛みとともに甦らせてくれます。「純粋さ」と「実直さ」と「一途」さ、これらは一瞬聖なる輝き
を放って観客の心を刺し貫きます。「セーラー服の少女」が売春宿のオカミであることの滑稽と悲惨。この少女と「因数分解」を介して結ばれる時の「アイツ」の言葉、
「この女学生のために自分は死ねる」という悲壮な得心。映画の大谷直子のフルヌードに劣らぬ佐藤晃子の毛布を羽織ったヌードに感嘆しました。男はこういう「観音さま」や「菩薩」によって生きている意義を一瞬思い知らされるのです。それがはかなく、むなしいものとは知りながらも。
 上官と「アイツ」の息も切らさぬセリフの応酬、古本屋の老店主のとぼけた人情味、「アイツ」の童貞を奪った年増女郎の「小母さん」の心意気、「軍曹」の善人ゆえのぎこちない振る舞い、一人ぼっちで世間に投げ出された「少年」の恨み重なる絶叫、どれもハマリ役でした。しかし、どっぷりと芝居に引き込まれながらもどうしても拭いきれない「後味の悪さ」、これぞまさにこの芝居が目指した演劇的効果なのかもしれません。ひと言でいえば「違和感」という毒。快感へではなく、混乱と反省へと観客を導くあやかしの呪術にすっかり魅了されたひと時でした。
 
2016/1/10
物事を真っさらに、深く見つめ、明晰に思考する行為から、このような美しい言葉が生まれる。
「写真というものを発明したのは画家たちであるとよく言われる。しかしそれは違う。写真というものを発明したのは科学者たちである。なぜなら、さまざまな明暗を有するひとつの対象から発せられた光線を捕らえ、それを直接固定することを可能にした科学的条件(ハロゲン化銀の感光性の発見)があってはじめて、「それはかつてあった」対象として捉えることが可能になったのである。写真は文字通り指示対象からの発散である。そこに存在したひとつの現実の物体から放射線が発せられ、それが、今ここにいる私を触れにやって来るのだ。伝達にどれだけ時間がかかろうと、それは問題ではない。消滅してしまった存在の写真は、ある星から遅れてやって来る光線のように、私を触れにやって来る。一種のへその緒のような関係が、撮影されたものの体を私の眼差しへと結びつけるのだ。ここでは間違いなく光が、手で触れることのできないものであるにもかかわらず、撮影された男や女と私とが共有する肉体的な媒質となり、肌となる。」(ロラン・バルト「明るい部屋」)
たまらない!
 

Twitter(2015年) 

2015/12/28
辺見庸•作「1937」
 男の母親は、日中戦争へ「皇軍」兵士として征き、帰還した夫のことを、「あのひとはすっかり変わってかえってきた」と呟く。男はその父親に向かって「あなたは中国で何を見てきたのか? あなた自身、人を殺してきたのか?」と一度も問いただすことが出来ずに死に別れた。なぜ父親は口を閉ざして死んだのか?「なぜわたしは彼に問いただすことが出来ずに彼を死なせたのか?」
 辺見庸はこの生の体験から「南京虐殺または父も関わった日中戦争について、わたしはなにを知っているだろうか。」を執拗に問うことを主題にすえて、「1937」を書き起こす。(わたし達はなにを知らず、なにを知ろうとせず、今を生きているのか?)
 僕が今年出会った最も重たい、感慨深い本になった。
 勢いで、本書に引用文の出てくる「溺れるものと救われるもの」プリーモ・レーヴィ。「時間」堀田善衛を読んだ。それぞれにやはり重たい。「方丈記私記」堀田善衛も併読。 
 
2015/12/19
今年は「マジックユートピア」と「断食芸人」二作、映画撮影の当たり年。
芝居も「僕はクルミのなかの迷路の話をしているのだ」と三浦剛演出「たばこの害について」の二本。エライ!
 
2015/11/18
京言葉源氏物語朗読者・山下智子氏から有難い感想をいただきました。
「公演お疲れ様でした。ほっとなさっていることでしょう。
せっっかく終演後に御目にかかったのに感想がうまく言葉にならなくて、私ってほんとにダメだなあと思いました。
今回の芝居はなにか画期的なものを感じたのです。幽霊という実在のないモノを肉体を持った人間が演じるのを肉体を持った客が見るのだけれど、その幽霊の立っている場所は舞台に表されるある場所ではなくてこの次元ではないところをまるごと可視化していて、「時間がない」『だんだん暗くなる」ということが私達の実感とは違うんだというのを感覚しようとすると、こうして劇場の観客席に座っている自分のからだも暗転と共にどこかに消えてしまったように感覚だけになってしまって、灯りがついて初めて自分に姿があることに安堵する 私の実在感ってこんなにあやういものなんだって思いました。お芝居のルールもふくめて、みんなの了解事項みたいなものがこわれる感じがありました。
 こうして舞台に至近距離で相対していても決して触れることの出来ない関係(とても切ない)それは既存の実際の舞台で実現可能な表現なんだろうと思うのですが、もう実体のない人の実体のない脳内の記憶が私の脳のなかに仄暗い舞台をつくって可視化されたこの人達をひととき住まわせる、そこがこの幽霊達の舞台なんだと思うとなんだかもう三次元ってなにみたいな感覚になってしまいました。ワケわかんないですねこのいい方 席が後の方だったからよりそう思えたのかもしれません。客席の自分のずっと後に丸ごと見ているもう一つの遠い目があって、このソラリスの海みたいな世界をまた覗き込んでるみたいなかんじ、それは源氏物語の絵巻の技法吹き抜け屋台ともにているなあとついこっちに引き寄せてみてしまいますが、和田さんのお芝居はいつもあちらとこちらのあはひをふらふらできて心地よいのです。暗転の暫くの時間の中で、身体ってあってもなくても同じなのかもしれない・・・と意識だけがビッグバンしていったのでした。凄く小さい頭の中の出来事なのに身体という実体がなくなるとそれは無辺大になるんですね。以前一度だけ幽体離脱をしたことがあって、横たわっている自分の身体を見たときに、ぬけだしてもまったくかわらない自分の意識の方が自分で、生きているのと死んでいるのとでは自分の中では同じで、その差ってまったくもってこの世的なんだなあと思ったのを思い出しました。
やっぱりうまく言葉に出来ませんけどとにかくなんだか和田さんワールドが今回体感できたのがとても嬉しかったのでした。
翌日は亀有でとっても現実的な巻『玉鬘』を語り、その後一緒に食事をしたのが霊を時々見ちゃう友人で、通勤姿で電車に乗っていて北千住の駅で降りていくこの世の人ではないサラリーマン霊に何度か会っているそうです。その人の記憶とか脳の中ってどうなってるんでしょうね。やっぱり時計を見て出勤の時間だとか気にして、カバンを持って靴履いて、会社の会議に参加して業績のこととかランチのこととか奥さんや子供のこと考えているんでしょうか。そして最後の景色を思い出したりしたときには暗くなってゆく世界を感じるのでしょうか。そうしたいんでしょうか。実にタイムリーな話題だったので駄感に蛇足。もどかしい思いでそれでは失礼します。」
 
2015/10/30
ポレポレで「ルンタ」を観た。チペットの人々、文化、言語、大地への中国の暴虐・圧政。そして焼身自殺。スクリーンに映し出された不条理な現実と抵抗の姿を前に、声もない。
焼身自殺が暴力への政治的に有効な対抗手段だとは決して思わない。なによりも行為者たちがそのような短絡な発想で自らの身体に火を灯していないことは、作品が懇切に教えてくれている。ただ彼等の芯にあるチベット仏教、ダライラマの説く「慈悲と縁起」の教えに支えられた行為は例えようもなく澄んで一途なのだ。おそらく現代の世界中の暴力・圧殺に立ち向かう思想として、チベット仏教が最も強靱で有効なのではないだろうか? もちろんそれには世界中がチベット仏教とチベットの現実、中国の暴虐の認識に向けて、大切に、根気よく、目を開く必要があると思う。
 
10/27
公演前に近作3本(「僕はクルミのなかの迷路の話をしているのだ」15年、「指のあと冷たく」14年、「自転(反転)砂時計」13年)を収めた戯曲集6が出来上がった。装丁はもちろん鈴木衛氏。MacのInDesignによる自家製。
 「今年で七七歳になった。
 このところ年一本の戯曲を五本ためては戯曲集を作っていたのだが、今回、三本書いたところで、どうしても纏めたくなってしまった。
 町の将棋道場で、こちらが長考しているといきなり「遅い!」と叫んだり憤然と席を立ったりする堪え性のない相手は、だいたい七十過ぎの老人だった。
 そういうことなのかもしれない。
 それに、涙もろくなった。まさか泣きはしないが、近作のこの三本が恥ずかしながら密かに今までよりも、愛おしい。一冊にしてそばに置いといてやりたいのだ。はたの迷惑かえりみず、である。
 せめてワープロの前の書棚に置いて「来年はこいつ等よりも、踏み込み、踏み越えた芝居を作ろう!」と、精進するつもりである。」(「あとがき」より)
10/24
「すべての叙情は、己の皮膚という独房に幽閉された囚人が他の独房に幽閉された囚人に呼びかける叫び声だ。」とは、テネシーウイリアムズの言葉です。今回はその皮膚から身体ごと解放された死者達が、他の死者あるいは生者に囁きかける声はどのような叙情なのかを、舞台にしてみました。どうかお越しください!
「僕はクルミのなかの迷路の話をしているのだ」(優しい幽霊たちの9場)
場所 池袋シアターグリーン(BASE)
11月12・13日19時 14・15日14時/18時 3500円
 
2015/10/12
ある任意の台詞(台詞T)は、その前の沈黙(沈黙A)とその後ろの沈黙(B)に挟まれている。そして沈黙Aは台詞Tによって沈黙Bへと変質する。舞台上で何事かが劇として立ち上がためには、この沈黙Aが沈黙Bへと色合いを変える(変質する)ことこそが大切なのだ。
ということは、ぼく等俳優が耳を澄ませ、意識を集中し、責任を持たなければならないのは自分の頭蓋に響く発語中の台詞の色合よりは、むしろ、発し終わった台詞の後の、舞台上の沈黙Cの色合いに対してではないだろうか?
(10/15 上の呟きに対する岩名雅記との対話)
MASAKI IWANA氏 「僕らで言えば倒れるという行為それ自体ではなく、倒れた後の時間をどう呼吸するかで、倒れたことの意味が変ってくる。といったことでしょうか?」
和田 なるほど、舞踏家の貴兄にとって「行為」の後の「沈黙」の中でも表現者としての肉体は有りつづけるのですね。了解。有り難う!
 ただ今回、僕は(もちろん僕等も台詞の発語の後にも身体は舞台に有りつづけるのですが)舞台俳優としての作業仮説として「台詞」だけを、表出行為(out put)と考えました。
 つまり、台詞の後の沈黙は発語した俳優にとって手の届かない「後の祭り」と考えたのです。にもかかわらず、台詞の前の「沈黙A」と「台詞T」によって変質した「沈黙B」は俳優にとって大切な情報源(大げさに言えば情報の海)です。そこで、舞台俳優として台詞というout put(表出)に対してその前後の沈黙をin put(感受)と考えることは出来ないか? 台詞の発語という表出の最中に台詞後の「沈黙B」までも感受することは理屈の上では不可能ですが、台詞後の沈黙を先取り(予感)しながら台詞を発語し終えることは可能なのではないでしょうか? そのことで台詞の最後の音、つまり台詞と台詞後の沈黙の断面(切り口)をより正確に滑らかに磨くことが出来ると思うのです。
 この考えを推し進めると最終的には舞台上の俳優にとって大切なのはout putよりもin putであるという演技論に行きつくのではないでしょうか?
 
2015/10・3
アンドレ・バザン 2
 近代主義とポスト・モダンの違いを、樹にたとえて理解する考えがある。一本の樹を根から幹、枝、葉、花とその成長ぶりを横から眺めて時系列にそってたどる見方と、一本の樹の地下茎を地中で水平にスライスして(ある意味でその共時性を)真上から眺める方法。サルトルに近代主義者のレッテルを貼るのは乱暴かも知れないが、彼の唯物論的史観をレヴィストロースが「野生の思想」で批判したのは、この「地下茎を真上から」の視点からだと思う。
 アンドレ・バザンの「市民ケーン」と「戦火のかなた」を映画史上最も重要な二作品だという彼の映画批評の中での発言を、「へー、当時はそうだったの」で片付けてしまったらそれで終わりである。
 しかし、彼の「映画とはなにか」(岩波文庫上・下)に納められている27編の50年前の映画時評を、近視眼的にその時々の事象として〈樹を横から眺める〉のではなく、「地下茎を真上から」の視点で覗き込むとき、バザンの批評の本質が鮮やかに浮かび上がってくる。
 彼はひとつひとつ作品を、それ以前の作品の何を、どこまで深く、過激に掘り下げ、鮮やかに乗り越えたかを、執拗に細やかに追及する。そして映画作家がイデオロギーや党派をではなしに、ただの人の生をどれだけ愛し、その生に寄り添って優しく見詰めながら作品を創造しているかを鋭く嗅ぎわけ、分析する。その真摯で的を射た愛情に満ちた批評精神は27編の映画評すべてに同じ深さでいきわたっている。
 その意味でバザンの「映画とはなにか」は〈批評とはなにか〉の本質論だと思う。それは映画だけではなくすべてのジャンルの表現行為に有効な批評精神であり、内省的な表現者の魂を震わす本質論だと思う。
10・2小野沢稔彦君に教えられ、山村俊雄画伯の個展を鹿沼市文化活動交流会館ギャラリーへ観に行って来た。さすが小野沢君の(強引な)薦めだけあった。素晴らしい体験。
ニューサイエンスに「すべての情報は宇宙に蓄えられていて、地球上の個体はあたかも鉱石ラジオのように自己の持つ波長に合わせて自己に必要な情報のみを宇宙から受け取る」という学説がある。カブト虫はそこからカブト虫の形質遺伝情報を受け取り、人は人類の記憶さえもそこから受け取るという壮大な仮説。
表現行為にとって大切なのはout putよりもin putであるというのは当然の正論だが、山村氏の作品はその常識の次元を明らかに超えている。氏の意匠は、すべての感性を宇宙に向かって開き、そこから受け取った形と色(マチエール)を氏固有のキャンパスで受け止めている。展覧会上でそんな現場に立ち会っているような感動。
 
2015/10・1
日常生活者から政治的人間へ!」
2015年9月17日、この国の民主主義が醜悪無残にパロディー化された。
 不条理な暴力に対しては、それを受け止める強固で明晰な肉体が必要なのだ。たとえ笑止千万の貧相な八方破れのただの無頼な暴力であれ、身体の芯に重く響くボディーブロウであれ、肉体の何処にどの程度のダメージを受けたのかを明確に認識し、そのダメージを身じろぎもせず受け止め、包み込む強固で明晰な肉体が必要なのだ。
 暴力は今までもこれからも小刻みに持続し、持続するだろう。その一つひとつの事実を明確に記憶し、決して忘れず、溜込むためにも、強固で明晰な肉体が必要なのだ。
 その身じろぎもぜす受け止め、溜め込む器としての肉体の主体は、私ではない、私もその中の一人である日常生活者という名の「群れ」である。
 身じろぎもせず受け止め、溜め込む器としての「群れ」は、「成り成る」というかたちで全国をおおうまでに肥大する。そしてある日、日常生活者の殻を破って「群れ」の中の一人である私は、「群れ」と共に、私の居場所から一歩戸外へ出て、単独者として戸口の傍らに立つ。そしてそこから始める。
これほどまでに民主主義がパロディーになってしまったのなら、それしかない。
 
2015/10/1
アンドレ・バザンという名は、トリフォーの育ての親、ヌーベルバーグ運動の火付け役、程度の噂話でしか知らなかった。今回、新刊本「アンドレ・バザン 映画を信じた男」野崎歓を読んで、それに教えられて「映画とは何か」アンドレ・バザン(岩波文庫上・下)(これも野崎歓・他の新訳)を読んで驚嘆した。
 
 例えば、ロッセリーニの作品を評価する文の中で彼はこんなモンタージュ論を展開する。
 
 観客に物語を理解・咀嚼させるための手段としてモンタージュを考えるのは、川にレンガという人工の石を素材にして橋を構築し、人を向こう岸にただ渡すようなものだ。人は剥き出しの岩、原石としての石をじかに踏みしめながら、飛び石伝いに川を渡るようにして、そのような、原石のような映像の積み重ね、モンタージュをとおして、映画表現としてのリアリズムに初めて触れるのだ。
 
 なんて素敵な、美しいモンタージュ論だろう!
 
 映像だけではない、あるゆるジャンルの表現に通底する貴重な言葉だと思う。(さっこく稽古場で仲間と共有しよう。)
 
20158/21
鈴木衛氏作、チラシが出来上がりました。
女優木村夏江は昨年6月に夜の樹が出演をお願いに伺った時、「最後まで元気でいたいから」と癌治療薬の投与を中止していらした。そして「指のあと冷たく」の舞台を最後まで元気に演じた二ヶ月後に亡くなられた。たった一回ではあるが一緒に生きた舞台を夜の樹の歴史に刻み、今回の公演を「木村夏江追悼公演」にさせていただきます。
実在感のグラデーション     
俳優集団として「夜の樹」は、舞台の上に嘘っぽく立ちたない、一人ひとり「実在感」を身体におびて立ちたいものだと、日頃、あこがれている。しかし「感」(感じっこ)であるいじょう「ありありの感じっこ」は薄く伸ばせるんじゃないか? グラデーションがきくんじゃないか?
そんなわけで、今回は「実にありありと、しかしどことなく薄っすらと」優しい幽霊として全員舞台に立ちたいと思います。挑戦です。
 
2015/8/17
映画「さよなら、人類」を観た
ホッパーの絵は、街角そのものが、部屋そのものが、何事かを切実に語りかけ、そしてその中に人物・人物たちが単独者として、ただ、たたずんでいる。
 ロイ・アンダーソンの「さよなら、人類」は、そのホッパーの絵画を39枚重ねたような映画だ。現にそれぞれのシーンの背景は絵のように動かない。ほぼ2分足らずのそれぞれ独立した39シーンは、登場人物たちによって何事かを語り掛け、訴えようとしているかのごとくに始まるが、その「何事か」の気配だけを残して、ナンセンス喜劇もどきに横滑りをして終わる。決して「何事か」の核心へ、深みへ、物語の中へ、僕等を誘い込みはしない。僕等は何者かが部屋を横切るのを見守るだけだ。そして、人間が生きていることの切なさだけが、可笑しみだけが、優しさだけが、見守る僕等の意識の深みに、夢のような後味として、折り重なって積もる。
 最高に革新的で美しく、刺激的で説得力のあるヒューマンな映画だ。
 
 
 2015/8/13
「おのが身の闇より吼えて夜半の秋」(蕪村・狗子自画賛)
 
人間の心の闇の深さを獣の咆吼の暗さでここまで切実に照らし出す言葉の力業(わざ)「なんて凄いんだ」と、蕪村個人を通り越して、江戸時代、それも超えてこの国の「言の葉」の力に、あらためて驚き、感動し、誇りに思う。
 
2015/8/6
40年ぶりに「悲しき熱帯」を読んだ。と、言うのが嘘みたいに前回読んだ記憶がまっ白だ。あらためて「つくづくいいな」と感嘆。
 白眉のブラジル横断———ナンビクワ族、カワイブ族調査報告よりも、その合間合間にレビストロースが脇道にそれて広げる長談義がたまらなくいい。むしろそれ等の逸脱ページにこそレビストロースの本質(サルトルを代表する西洋知性の驕慢と西洋文明が旧文明社会に対して犯した罪への告発)、彼の一途で精緻で真摯な批判精神が生き生きと伝わってくる。
 それにしても癖のある難解な文章だ。ツルツルと、とめどなく核心に向かいつつ、なおもあてどなく横滑りしてゆく。まるで巨大な鍾乳洞の枝道をはじから丹念に辿りながら探索踏破していくオタク的な胆汁質な行為を彷彿とさせる。
 あるフレーズの初発のコード展開からとめどなく横滑りしながら隣接するコード展開へと降りて行く、あのコルトレーンのシーツオブサウンド(sheets of sound)奏法にそっくりだ。うんざりするほど難解だが、気が付くと、そのオタク的な探索があまりにもなめらかなので、たまらない愉しみにすり替わっている。
 
2015/8/4
「エレニの帰郷」(アンゲロプロス監督)を観た。どれほど気になる監督の、荷担したい題材とテーマ(時代と状況)を盛り込んだ作品でも、駄目な作品は駄目な作品なのだ。
 例えば千人ほどの群衆がゾロゾロと広場に集まり、スターリンの死を告げられて黙々と散って行くワンカットの俯瞰シーンが、アンゲロプロス監督の緻密に計算された意図に操られた繰り人形集団の図式的、画一的、観念的な映像として意味ありげに出来上がっている。もし僕等が群衆の中の一人としてあの場に立ち会ったとしたら、あんな画一的な息遣いと足取りで広場から去ったりはしない。ほんらい自由と抑圧からの解放がテーマの筈の映画の一カットが、独裁と自由の抑圧(群衆を演じる俳優達に対する)によって成り立っているのだ。ゾッとする。
 ここぞという場面でカメラが意味ありげにモッタリと主人公のバスト・カットに寄るシーンも、度重なると、「なんだい、そういう映画だったの!」と、その未練がましい恋愛劇のステレオタイプに辟易とする。
 
2015/7/20
今年の戯曲「僕はクルミの中の迷路の話をしているのだ」を昨夜脱稿。今年も誰も「え? まさか! とうとう書き上げたの?!」と感心してくれないので、selfご褒美にCanonの高級プリンターを購入。(脱稿と同時に旧プリンターが作夜力尽きて壊れたのだ。涙ぐましいじゃないか!)
 
2015/6/13
「断食芸人」一週間の宇都宮ロケが終わった。足立正夫監督がこんなに素晴らしい監督だったとは初体験。現場で誰よりも楽しんで無心に遊んでいる。コンテなし、現場で山崎裕カメラマンと悪戯を仕掛ける悪戯子ようにカット割りを楽しんでいた。ゲスト出演の詩人吉村剛増の現場での自作詩の朗読場面も最高だった。現場の商店街の敷石を持参の金槌で叩き、口に含んだ石片の風笛のようなものを鳴らしながら自作の詩を短音に分解して叫び、絶唱した。世渡りに長けた自意識過剰の高名詩人の多いなか、そのひたむきな姿に感動。ジャンルを問わず現場で子供のように遊ぶ表現者はすべて信じるに足る! 流産児祥とも40年ぶりに会って楽しかった。
遂に般若心経を暗記。出張読経アルバイト受け付けます。 
 
2015/3/27
「二代目竹山サラヴァ東京公演」第五夜。後半の二部として第二夜から謡い続けているアイルランドのケルト語で書かれた女流詩人の歌「みんなが言った」は、日を追うごとに深化して、ついに今夜、紛れもない二代目竹山の地声で最高の絶唱になった。その生の現場に立ち会えたことに感謝。また第一部の「長持歌(宮城県民謡)」の〈ハア今日はナ日もよし ハア天気もよいし 結びナ合わせよ ハア縁となるナエ〉のそれぞれの切れ目で竹山の声が一瞬止むと、まるで浸透圧のようにサラヴァ東京の会場に、さあっと宮城の野面の風が吹き込んでくるのだ。そのたびにゾクッとする。
 
2015/3/2
昨夜、「一人づづ」楽。今朝は淋しい。
手前味噌ではあるが、親友の作家「岩下寿之」氏の有り難いお言葉を転写。
「昨日の公演『一人づつ』、刺激的で、かつ諧謔性に富んだ面白い芝居でした。四部構成はT.S.エリオットの「四つの四重奏」を連想させましたが、内容は至って庶民的。日常性を裏側から逆照射した斬新な演出が光っていました。
 それにしても「一人り芝居」とは何か。芝居である限り、相手がある。それが観客である場合と隠された(あるいは虚構の)旧知、場合によっては未知の人間であるかの違いはあるものの、所詮は舞台上での独技、独演に尽きる。聞かせどころ、見せどころは役者の技量ひとつにかかっている。それをみごとに成し遂げた貴兄の演技力には脱帽しました。難を言えば、真ん中の2,3場がちょっとシリアス一辺倒に偏った感じで、ここはコクトーをもう少し大胆に翻案してもよかったのではと思いました。
が、最後を強烈なタンゴで締めくくった構成の巧みさには「してやられた」という思いで、妄念一掃の快感に酔いしれました。」
 
2015/1/15
新進気鋭遠山昇司監督が前作「NOT LONG AT NIGHT」に続き新作「マッジック・ユートピア」でも、私、76歳の老優を大切な役で使ってくれました。感謝。クランクインはは2月9日熊本で。僕の撮影は2月末、都内で。
http://magic-utopia.com
皆様、なにとぞ製作になんらかのかたちでご協力をお願い!
 

Twitter(2014年) 

2014/12/21
日本の近代文学運動は、明治時代、西欧から突如押し寄せてきた自然主義運動最中(さなか)の小説群という外圧と、言文一致体の必要性という内輪の事情によって行き当たりばったりにカタカタ動き出した奇妙なゼンマイ仕掛けのオートマシーンのような気がする。(そこから産み出された西洋の自然主義運動とは似ても似つかない日本の自然主義的私小説群!)
 
 そのゼンマイ仕掛けの中枢に位置して、大小幾つもの他の歯車の回転に直に影響を与えた大きな歯車(しかも徹底して逆回転の)が、二葉四迷の「平凡」であったのだと、今回『平凡』を再読してつくづく気が付いた。
 
 自力で気が付いたのではない。種本は橋治の「失われた近代を求めて」全三巻のシリーズ本である。実に面白い。特に第1巻「言文一致体の誕生」が白眉である。明治文学のなかの二葉亭四迷の特異な位置と、国木田独歩の素直で美しい文体に改めて気付かされただけでも得をした。
 
 それにしても「平凡」が時代に果たした逆説的な(悪意に満ちていると言っていいほどの)役割は強烈である。実生活における実感(祖母と愛犬ポチの死と父の死に目に会えなかった体験)を前にして私小説作家であることを辞める平凡な男が主人公の自然主義的私小説なのだ。自然主義的私小説の否定する自然主義的私小説という仕掛!しかも小説として面白い、成功している。
 
2014/12/11
二代目高橋竹山「サラヴァ東京」第四回リサイタル 14年12月9日
風羅念仏も井上井月のことも何の予備知識もなかった。会場で佐々木幹郎氏に丁寧に教えられた。
「酒さめて千鳥のまこときく夜かな なもうだなもうだ」
二代目竹山の声を通すと、遠くの暗がりからサラヴァ東京の会場に風羅念仏のかたちが姿を現す。それにしても「古池や蛙飛びこむ水の音」の後に「なもうだなもうだ」がこれほど当然のようにヌルッと繋がるとは思わなかった。第四回リサイタルの会場に座って得をした。「井月風羅念仏」は二代目竹山のレパートリーとして貴重な財産になると思う。
もう一つ嬉しいことに、ヌーラ・ゴーノルの「みんなが言った」と「ファラオの娘」を、今回は紛れもない二代目竹山の地声で聴くことが出来た。絶唱。胸があつくなった。感謝。
 
201410/17
深夜の素振り
 以前、せめて微分積分くらいはモノにしようと、7巻本の数学入門書の1巻を買って開いたら全ページ因数分解の演習問題で埋まっていた。つまり数学を志すなら因数分解で「素振り」(野球部に入りたてらしい高校生が深夜に振り回しているアレだ)をすることから始めろということらしい。「冗談じゃねえ」と微分積分は諦めた。
 プラズマ宇宙論というのをひっさげてスエーデンあたりを根城にビッグバン宇宙論に徒手空拳で反旗を翻している学者集団がいる。彼等が敵と定めている相手は錦の御旗のお墨付き権威集団だからつい野次馬根性を発揮して肩入れしているのだが、なにしろ理数系、やたらに数式が出てくる。ところで彼等一味のいわば中興の祖(といってもまだ生きている)がプリゴジンらしい。そこでベストセラーの「混沌からの秩序」を読んだ。なるほどニュートン力学に水と油の熱力学を力ずくで捻り合わせようとする心意気はやはり徹底したディレッタンティズムで大いにスカッと溜飲が下がるのだが、これまた数式だらけだ。ただその中に、彼の、権威学説に異を唱える論旨の源はホワイト・ヘッドとベルグソンだという記述があった。ホワイト・ヘッドは敬遠するとして、ベルグソンならいけるのではないか(数式が出てこない)? いかなる偶然かベルグソンの新訳(全巻竹内信夫個人訳)が7巻中5巻まで旧全集と同じ白水社から出ている。
 そこで、ニューサイエンスの前線を覗き見るのは中休みして、ベルグソンを夜中に2・3ページづつ自分の言葉に読み下してノートを作ることにした。全巻をまとめ読みしてベルグソンの思想を手に入れ、人前で語る知識人になるつもりはない。ブレヒトの言う「当たり前のことを当たり前でなく、当たり前でないことを当たり前に」見詰めようというスタイルのベルグソンの文体を、近視眼的に自分なりに、その場限り、出たとこ勝負で咀嚼してみようと思った。始めてみるとけっこうワクワクする。
 つまり、遠い先の僕なりの芝居を作るための、僕なりの深夜の「素振り」である。(ところが、1巻の63と64ページに数式が出てきた。しかも微分積分である!) 
 
2014/9/17 
三夜目「サラバ東京」で二代目竹山の「おれん口説」を聴きながら、変な言い方だが「この場は誰のものなのか?」と思った。(もっと舌足らずな言い方だが)「この場をまぎれもなく生きているのは誰なのか?」と思った。差し当たって僕ではない、こんな妙なことを思って座っているのだから。余計なお世話だが、僕の回りの聴衆も心の底ではどこかそう思っているのではないかと思った。そして、演者二代目竹山でもない(一夜・二夜で思ったように)彼女の声は一人称単数の彼女の声ではないのだから。
まぎれもなく生きて「おれん」の物語に耳を澄ませている彼等、圧倒的な三人称複数がいる。それは語り手と共に「おれん口説」を紡ぎ出し、共有したかつての聴き手たち、死者たちだ。
その死者たちの宴の音が、幹を幾重にも硬く包む赤松の表皮のような二代目竹山の声の向こうから、漏れ聞こえてくる。それが「サラバ東京」二代目竹山シリーズの、背筋がゾクゾクするような愉しみである。
ただ、アイルランドの詩人ヌーラ・ニー・ゴーノルの「みんなが言った」の竹山版は意表を突かれた。「みんなが言った」という題名に過剰に期待して聴いたのだが、ピアノ奏者の歌声に合わせての竹山の声も、あまりにも剥き出に生々しいのだ。外国の伝承を語る声と「口説き」とが、これほどまでに違うのかと驚いたが、やはり僕は竹山に彼女の声で「みんなが言った」を発語してほしい。「ファラオの娘」は初回よりも竹山の声で聴くことが出来て嬉しかった。
 
2014/8/14
G.com 「穴の中或いは■の中」を新宿SPASE雑遊で観た。1時間45分間、ナンセンス・笑い・不条理・リリシズムの4本の弦の見事に調音された(不協和音入りの)響きが、緩むことなくキッチリ客席に届いた。俳優達の12分の個性的な演技が実に心地よくアンサンブルを乱してくれた。三浦剛作品出色の出来栄えだと思う。
 
2014/8/4
14年前の「アメリカンビューティー」をJcomで初めて観た。ここまで徹底してシニカルで底抜けに甘く、したたかに毒のあるヒューマンな作品は、さすがに人種の坩堝アメリカの白人映画でしか作れないな、と屈折して感激した。奴等やっぱし力があるよ。
 
2014/7/28
郡司ペギオの「生きていることの科学」を最首悟氏のレクチャーを受けながら精読(?)して以来、同「内部観測」→小野暸「文明〈後〉の世界」→ルパート・シェルドレイク「世界を変える七つの実験」→同「生命のニューサイエンス」→蔵本由紀「同期する世界」→メラニー・ミッチェル「複雑系の世界」→リン・マクタガード「フィールド・響き合う生命・意識・宇宙」と、芋づる式に読んだが、理数系の素養無しの哀しさ、つい易きについて解説書的なものを求めてしまった。そのくせ、だだ物を教えたいだけの、著者自身にある種の飢餓感、「何かをこじ開けたい」的な欲望の欠落した解説書に出会うと、「読んで損した」と思う。こっちははなから利口になる積もりはないんだ。ただワクワク、ゾクゾクしたいだけなんだと、もの識らぬ故の傲慢で何が悪いかと、開き直る。
「同期する世界」と「複雑系の世界」は読んで損した。
「フィールド・響き合う生命・意識・宇宙」は複雑系のラジカルな領域に踏み込んだお陰で既成学界から追われた学者達の怨念がつたわり、なかでも「ゼロ・ポイント・フィールド」というスリリングな存在を教えられて,読んで得した。ただ、「干渉性波動」による全人的な意識の交信・共振から地球規模の「癒やし」にまで仮説を進めている当の科学者達(学界を追われた)が、超現実的にCIAや諸々の国家権力機関の雇われている事実を、「だから彼等の学説はリアルなのだ」という証明のために記述しているのはどういうことだ! これじゃ「産学協同」どころか次世代オッペンハイマー事件そのものじゃないか!
その意味では小野暸の「文明〈後〉の世界」の「そんな国家・企業・文明は断じて容認しないぞ!」という初々しい理想主義はしみじみ素敵だ。小野暸、もうこの世にいなけど。
 
2014/7/2
ミア・ファローの「フォロー・ミー」を観てたら途中から泣けてきた。くそ! 歳のせいだ。
 
2014/6/12
三ヶ月ぶりに二代目高橋竹山「サラヴァ東京」を聴く。第二回定期演奏会。
やはり二代目竹山の声からは、「ある固有の歌い手が、今、此処で歌っている」という、僕等が日頃うけ入れている人称と時と場所が消えている。その消された三つ以外の何ものかが、荒々しく剥き出しに、舞台に現れるのだ。「幽玄」などというお高く気取ったものではない。芸能の発祥が神社の裏面「後ろ戸」と呼ばれる怪しい場所で、あの世に向かって演じられたという、そんな演じることの原型にかかわるような、会場で死者達と同席しているような戦慄をおぼえるのだ。
彼女の奏する三味線も、強くはじかれた音をつないで聞こえてくる旋律の間に挟まれた細かくふるえるトレモロのような倍音が、やがて思いも掛けない別の旋律となって、この世とはちがう模様の地となって、浮かび上がってくる。
 
2014/6/5
「アンナ・カレーニナ」ノート(1)
 ながいことトルストイを敬遠していた。高校時代に「真の(永続する)幸福を得るためには自己ではなく人類を愛せよ。」というあまりにも真っ当な「幸福論」を読んで拍子抜けし、二度とかかわるまいと決め、トルストイとは真反対であろうと当たりをつけ、罪の匂いのするドストエフスキーに走った。今回、ふとした縁で初めて「アンナ・カレーニナ」を通読し、なんて迂闊だったのかと、愕然とした。たしかに真反対であるが、トルストイはドストエフスキーの極北、いまの僕には大切なすごい作家であることに気がついた。
 あんまりなので、はたの迷惑かえりみず、思いつくまま「アンナ・カレーニナ」ノートを小刻みにつけることにした。
 
「アンナ・カレーニナ」ノート(2)
 アンナだけが主人公なのではない。物語はリョーヴィンというもう一人の男の物語と交互に折り重なって展開して行く。しかも二人は蔦のように登場人物の絡み合った全8部の長編物語の中で、第7部10章で初めて一度だけ出会うのだ。この奇妙な構成に異を唱える批評家がいるようだが、じつに緻密に仕組まれた構成だと思う。(時代的にはエイゼンシュタインとどちらが先なのだろう)ここには巧みなモンタージュ手法が使われている気がする。「アンナ・カレーニナ」はリョーヴィンという白い布のうえに置かれたアンナの物語、あるいはアンナという黒い布の上に置かれたリョーヴィンの物語なのだ。
 
2014/6/8
「アンナ・カレーニナ」ノート(3)
 「アンナ・カレーニナ」はリョーヴィンという白い布のうえに置かれたアンナの物語、あるいはアンナという黒い布の上に置かれたリョーヴィンの物語だと、作品のモンタージュ効果の感想を僕は記した。しかし、それは物語の前半ではそのように読み取れない。なぜならリョーヴィンは物語の中でゆるやかに成長(変容)し、アンナ及び彼女を巡る二人の男は各々自身そのままの立ち位置で(自己変革・変容)なしに他者との関係・運命に突き動かされて、まっしぐらに悲劇を演じるからだ。つまり物語の出だしにおいて、リョーヴィンは過大なプライドとその裏返しのコンプレックスを抱えた情緒不安定の意識過剰な小心者として登場する。一方のアンナ三人組は持ち前の美貌・優越性・特権を身に帯びながら、颯爽と登場し、行動する。むしろ僕が読み取ろうとしているリョーヴィンの「陽」とアンナ達の「陰」とは別の意味だが、陰陽逆の位置から両者は出発するのだ。
では、リョーヴィンの「陽」とアンナの「陰」とは何か?
 
2014/6/10
「アンナ・カレーニナ」ノート(4)
「こんな街、わたしはさっぱり見覚えは無いわ。なんだか坂があって、どこもかしこも建物だらけね・・・。しかもどの建物にも、人がいっぱい住んでいるんだ・・・」「あら、子供を連れた女の物乞いだわ。あの物乞いも、自分はかわいそうだと思っていることでしょう。でもわたしたちはみんな、ただお互いに憎みあい、自分と他人を苦しめるだけのために、この世に放り出されたんじゃないかしら? 中学生たちが歩いている。笑っているわ。」(第7部30章)
 ヴロンスキーとの破局の葛藤を心の中で反芻しながら呟くアンナのモノローグに、とつぜん挿入される場違いな語句だ。文庫本ほぼ6ページに渡るモノローグの「意識の流れ」の描写の末に、アンナはモスクワ郊外の駅で列車に身を投げる。挿入されたこれ等の断片的な語句は、走る馬車の中の、追い詰められ、絶望し、憔悴したアンナの眼に映った風景だ。風景が、日常から薄く剥離している。よそよそしいもの、異和として彼女をつつんでいる。
 衰弱したアンナの心象風景を呆れるほど見事に描写したトルストイの手腕だが、じつはそれ以前の、自信に満ちて生を謳歌していたアンナの、他者・風景・世界に対する関係の取り方に、すでにこの「異和」の兆しは埋め込まれているのではないか? アンナの生き方の根に。 
 アンナ、恋人のヴロンスキー、良人のカレーニンの三者に共通する他者・風景・世界に対する関係の取り方が物語の中には埋め込まれているのではないか? つまり、リョーヴィンの他者・風景・世界に対する関係の取り方の対極として。
 
2014/6/12
「アンナ・カレーニナ」ノート(5)
 ルパート・シェルドレイクが33年前に書いた「生命のニューサイエンス」という「ネイチャー」から焚書ものと糾弾された本を、先日読んだ。そこに現在の複雑系の学説に通じる魅力的な仮説がある。ある生物の固有の形態や、同種から受け継いだ本能(例えば帰巣本能)は、あらかじめDNAなどによって体内に埋め込まれたものではなく、例えば鉱石ラジオが外界の電波に同期(共振)するようにして獲得するのだという。自らの内部にあらかじめある単純な波形を持っていて、それに共振出来るようなより複雑な波形を待ち構え、それに共振することで、本能、形質、進化を獲得するのだという。この「共振」というかたちを、人は他者・風景・世界を受け入れ、種の進化に近いかたちで自己の確認・認識・変革のきっかけにしているのではないか? 少なくとも僕等が何かを新しく感知し、その意外性に驚き、感動しながら自己の内部に受け入れる心の仕組みとして、この「共振」という仮説を援用することが出来るのではないか?
 
2014/6/13
「アンナ・カレーニナ」ノート(6)
『「ぼくは前からあなたにうかがいたいことがあったのです」
キティーのやさしい、ただちょっと怯えたような目を、彼は正面からみつめた。
「あら、どうぞお聞きください」
「では」そう言うと彼はチョークで単語の頭文字だけを書いていった。『あ、あ、ぼ、し、こ、そ、で、い、あ、ぜ、い、そ、あ、だ?』これは次のことを意味していた。「あの時、あなたは、ぼくの質問に、答えて、それは、できませんと、言われましたが、あれは、絶対にという、意味ですか、それとも、あの時、だけですか?」こんな複雑な文がキティーに理解できる可能性は、まったくなかった。しかし彼は、彼女がこの言葉を理解してくれるかどうかに自分の人生がかかっているという顔つきで、じっと相手をみつめていた。』
ところが、キティーは『頬を染めて「わかりまいたわ」』と答え、完全に理解するのだ。
次に、彼女が「どうぞ、これを読んでください。わたしが願ってることを書きますわ。心から願っていることを!」と言って書いた頭文字「も、あ、あ、こ、わ、ゆ、く」をリョーヴィンは瞬時に理解するのだ。『それは「もしも、貴方が、あの時の、事を、忘れて、許して、くださったら」』(第4部13章)
 
2014/6/14
「アンナ・カレーニナ」ノート(7)
上の引用は、リョーヴィンとキティーが二人きりになった客間のカード・テーブルのスコアボードにチョークを使って互いの愛を確認しあう場面である。
二人の想いがいくら昂揚し、トランス状態に陥っているとしても、この描写は読者の意表をつく。まさか、あり得ない、と思う。しかし、トルストイは恋人同士にはこのような「共振」が成立するのだと、確信をもって僕等に伝える。
上の例は極端だが、ある意味でリョービンは物語の中を、悩み、彷徨いながらも、他者を、世界を、このような「共振」によって理解し、受け入れながら進んでいくのだ。 
『今日初めて彼は、イワンとその若妻との間柄を見て受けた印象にとりわけ影響されてしみじみと一つの感慨にうたれたのだった。』『聞こえてくるのは小止みなく沼で鳴き交わすカエルの声と、早暁の草原に立ち込めたもやの中で馬が立てる鼻息の音だけだった。ふとわれに返ったリョーヴィンは干草の堆から起き上がり、星空を見渡しで、夜が明けたのを知った。』(第3部12章)
 
2014/6/16
「アンナ・カレーニナ」ノート(8)
 そして、このようなリョーヴィンが物語の最後に次のような認識に辿り着く。認識ではない、啓示に。
『興奮のために息切れがして先へ行く力の尽きた彼は、道を外れて森へ入り、まだ刈られていない牧草にヤマナラシの影が落ちているところに坐り込んだ。
「いったい理性の力によって、隣人を愛すべし、殺すべからず、という結論に至ったとでも言うのか? あれは子供の頃そうしたことを人から言われて、喜んでそれを信じたのだ。なぜかと言えば、言われたことがすでに自分の心の中にあったからだ。では誰が教えてくれたのか? 理性ではない。理性が教えてくれるのは生存競争であり、自分の願望の充足を邪魔する者はすべて殺してしまえと要求する法だからだ。それが理性の結論だ。他人を愛せという結論は理性からは出てこない。なぜならそれは不合理だからだ。」
「そうだ、理性は傲慢だ」ごろりとうつぶせになると、草の茎を慎重に折らないように、結びながら、彼は自分に話しかけた。
「しかも単に傲慢なだけではなくて、理性はおろかだ。そして大事なことは、理性はまやかしを、そう、まやかしを行う。まさしく理性はペテン師なのだ」彼はそんな言葉をくりかえした。(第8部12章)
 
2014/6/18
アンナ・カレーニナ」ノート(9)
リョーヴィンの生の対極に、アンナと彼女の夫カレーニン、彼女の恋人ヴロンスキーの生があることを明かそうとして、以下の短文を引用するのは、僕の我田引水、アンフェアーな、三者へのあら探しのような気がしないでもない。注意深く読み返して選んだらもっと本質的な説得力のある引用が出来ると思うのだが、取りあえず引用する。 
アンナ『わたし一人で何が決められるだろう? わたしに何が判る? わたしは何を愛しているの?』(3部16章)
カレーニン『カッコカレーニンは出口は一つしかないと確信した。それは妻を手元に置いたまま、事件を隠し、あらゆる手を使ってこの関係を絶つことだった。それは、彼自身は認めるつもりはなかったが、妻を罰する手段でもあった。』(3部13章)
ヴロンスキー『彼は絵を理解し、正確に、雅致のある模写を描く才能があったので、自分には画家に必要な素質があると思いこんだ、そして』『どの流派を選ぶかでしばらく迷った末に、制作にとりかかった。彼はどの流派の絵も理解していたし、どれにも霊感を感じることができたが、しかし、絵画にどんな流派があるかなどぜんぜん知らなくともかまわないし、自分の描くものがどの流派に属することになるかなどということを考えなくても、心の中にあるものに直接霊感を受けることができるものだということは、想像できなかった。彼はそれを知らずに、人生そのものから直接にではなく、すでに絵によってあらわされた人生から間接に霊感を受けていたので、霊感の受け方もひどく早く、しかも容易だったし、描いた絵を、模倣しようと思った流派の絵にそっくりに仕上げるこつも、やはり迅速に、易々と会得した。』(第5部8章)〈ヴロンスキーの引用のみ工藤清一郎訳〉
 
2014/6/20
「アンナ・カレーニナ」ノート(10) 
 リョーヴィンに見た他者・風景・世界を生き生きと受け入れ、理解する能力は、じつは作者トルストイ自身の独特の資質ではないかと思う。次の引用は、ヴロンスキーの目を通したアンナの描写だが、そこから僕等が受け取れるのは、ヴロンスキーを差し置いて、作者そのもの筆力なのだ。 
『彼が振り返ると、彼女も彼のほうを振り向いた。濃い睫毛のために黒っぽく見える、きらきら光る灰色の目が、彼が何者か気付いたように、親しげに、注意深く彼の顔にとめられた、そしてすぐに、誰かをさがすように、近づいてくる群衆のほうへ移された。この束の間のまなざしの中に、ウロンスキイは抑えられた生気を見てとることができた。その生気は彼女の顔にたわむれ、きらきら光る目と、真っ赤な唇をわずかにゆがめているかすかな微笑の間を飛び交っていた。ありあまる何ものかが彼女の全身に満ち溢れていて、彼女の意志にかかわりなく、あるいは目の輝きに、あるいは微笑にこぼれ出たかと思われた。彼女は無理に目の光りを消したが、それは彼女の意にそむいてそれとわからぬほどのかすかな微笑の中に光っていた。』トルストイは、ヒロインの描写を生の最中において捉える。自然の中の、たとえば川の流れを、流れに沿って共に駆け下りながら捉えるようにして描写している。(第1部18章工藤清一郎訳) 
 またしても選ばれた相手にとっては迷惑だろうが、次の文と比べてみたい。 『このうえもなく深い嫌悪の色が、青年の繊細な顔をちらりとかすめた。ついでに言い添えておくが、彼は並外れた美男子で、美しい黒い目と栗色の髪、丈は並よりやや高く、すらりと整った体つきをしていた。けれども、彼はじきに深い物思いに、いや、もっと正確に言えば、何やら一種忘我の境におちいってしまったらしく、もはや周囲の眺めには注意を払わず、というより、注意を払いたいと思わずに、歩き出した。』(ドストエフスキー「罪と罰」第一部1小泉猛訳)
 
2014/6/23
「アンナ・カレーニナ」ノート(11)
物語の展開に一つ特徴がある。登場人物が何かの出来事を受け入れ、或いは、認識し、納得したあとで、かならず「揺り戻し」が起こるのだ。つまり登場人物達があまりにも直感的に、まるごと、過剰に受け入れた結果、本人自身がその行き過ぎに気付き、その直後に修正する。キティーが保養地で出会うワーレ二カ親子からの感化(2部30〜35章)、アンナとヴロンスキーの関係の齟齬、カレーニンのアンナへの許し(4部17章)、リョーヴィンの度重なる解悟、それらはすべてが醒めた現実によってわずかに揺り戻される。トルストイ独特の醒めた眼差しである。なかでも白眉なのが、リョーヴィンの兄ニコライの臨終の場(5部18章〜20章)である。リョーヴィンの妻キティーの介護によって実に感動的な安らかな臨終が訪れる。猛々しく荒んだ病者の改心、リョーヴィンの自身の無能と妻の美徳と行動力への感動的な再認識。ここで病者が安らかに死んだら、この章は出来すぎなくらい文句なしに幕を閉じられるのだ。読者も喜んでそれを受け入れるはずだ。ところが、ここで病者は死なない。じつに無残な小健を取り戻して、周囲を罵り、理想的な看護人キティーまでをも病人の死を願うほどに疲労困憊に陥らせて、三日後にようやく死ぬ。僕等が考える小説手法のリアリズムのその先の現実をトルストイは暴く。
 
2014/6/25
「アンナ・カレーニナ」ノート(12) 
どうやらこの「ノート」で僕はリョーヴィンの物語に肩入れし過ぎたようだ。しかし、例えばフロべールの「ボヴァリー夫人」を「アンナ・カレーニナ」の隣に置いてみる。同時代の一人の中産階級の女性の転落の過程を、まるで対象物を培養液に入れて分析するように冷徹に観察し写し取るような手際が、フロベールの小説技法だと思う。ボヴァリー夫人は作者の繰り人形である。対して、アンナの場合、ヴロンスキーとの恋、夫カレーニンとの葛藤、それらが破滅に向かうプロセス、そのすべてに於いて彼女は紛れもなく自前で生きている。つまり作中を作者に操られることなしに、じつに生々しく彼女自身の感性で生ききっている。そこがボヴァリー夫人との決定的な違いだと思う。遙かに大きい作品だと思う。なによりもボヴァリー夫人の心理描写を凌駕しているのが、主人公が自死に向かう道程の描写である。前にもふれたが、アンナが駅に向かう下りの心理描写は、ジョイスやバージニア・ウルフの世代が確立した意識の流れの先駆け、というより、それそのものなのだ。つまり小説「アンナ・カレーニナ」はアンナとリョーヴィンの二つの物語に於いて、俗な例えをすると「ボヴァリー夫人」の二倍を遙かに超える文学的成果だと思う。(我ながら大雑把な例え)
という訳で、この初めから終わりまで勝手読みの「ノート」もあと一回で終わろうと思う。
 
2014/6/26
「アンナ・カレーニナ」ノート(13)
最後に、本編の中でただ一カ所の濡れ場から引用する。僕の友人は「いかにもお前らしい」と笑うだろうが、真面目なのだ。50行ほどのセックス・シーンに、あからさまなセックスにまつわる単語が一語も使われていない。にもかかわらず僕はこれほど生々しく無残なほど剥き出しの性描写を他にしらない。
『彼を見つめているうちに自らの屈辱を体で感じた彼女は、もはやそれ以上何も語る言葉を持たなかった。彼のほうは、ちょうど自分の殺した死体を見つめている人殺しが味わうべき感覚を覚えていた。そして彼が殺した死体とは、彼ら二人の愛、すなわち彼らの愛の第一期に他ならなかった。これほど恐れるべき恥辱の代価がいったい何のために支払われたのか・・・それを思い起こすと、なにかひどく忌まわしいものが感じられた。むき出しに暴かれた自分の精神に対する恥ずかしさが彼女を押しつぶし、それが彼にも伝わった。だが死体を前にした殺人者の恐怖がいかばかりであれ、死体は細かく刻んでどこかに隠し、殺人によって得られた利益は享受するほかなかった。
 こうしておぞましさを抑えつつ、あたかも愛の対象に向かうかのごとく、殺人者は死体に飛びかかり、引きずり、切り刻んでゆく。』(五行略、別に伏せ字ではない)『彼は両膝をついて彼女の顔を見ようとしたが、彼女は顔を隠し、何も語らなかった。そしてついに自分を叱咤するように身を起こすと、彼を押しのけた。その顔は相変わらず美しかったが、それだけになおさら哀れを誘った。
「何もかも終わったわ」彼女は言った。「わたしにはあなたのほかは何もない。覚えておいて」』(第二話11章)望月哲雄訳
   「アンナ・カレーニナ」ノート 終わり
 
2014/4/15
"SHAME"を観た。セックス依存症(?)の男の日々をせつなく描いた、身に染みる(たとえ覚えがなくても)映画。優れた現代映画だと思う。夜のニューヨークの路上を撮りまくるカメラも実にいい。アマゾンで買って傍に置いとこうかな?
 
2014/4/10
「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」を観た。9・11の個々の体験の思い入れを微塵も交えず、これほどまでに徹底したフィクション作品を創り出すとは! 叙情もここまで作品として昇華されたら、脱帽。
日本の3・11からもこんな作品が生まれたらなア!
 
2014/3/30
原美術館でミヒャエル・ボレマンス展をみた。33展示作品のうち人物画以外は5点のみ。そしてそのすべての肖像画の人物が観察者の僕から目を伏せ、或いは顔をそむけている。絵の中の人物たちが観察者の僕との生者同士の関係を完璧に拒んでいる。あたかも死者のように。
しかし彼等は死者ではない。まぎれもなく生きている。僕ら鑑賞者は、僕らを黙殺してなりを潜めて、まるで物体のようにひっそりと生きている彼らに向かって、そのかすかな生者の佇まいに、なにか人恋しさのような思いにかられて向き合うのだ。画家が、他者との関係を断った(ほとんど物体のように、死者のように)人物を精密に描けば描くほど、僕らはその肖像画の前に、生きた関係を求めて、有るか無しかの命のぬくもりに焦がれて、立つのだ。
 
2014/3/29
「鑑定士と顔のない依頼人」を観た。達者なシナリオ、監督、演技者たち。「これでもか」と言わんばかりの、非の打ち所のない出来映え。
「これでもか」と詰め寄られなくても、非の打ち所があってもいい。むしろ「これでいいのだろうか」と自らに問いかけながら模索する作品、心に触れる映画を観たい。
 
2014/3/23
野田雅也・豊田直己演出の「遺言」をポレポレで観た。3時間45分のドキュメント映画にナレーションが一言もない。人名・場所以外のコメントも一切ない。音楽も最後の3分間、バッハの無伴奏チェロが鳴るだけである。被爆した福島の風景と人々の言葉だけがただひたすら画面から語りかけてくる。現地に密着してカメラを廻し続けた二人の主観が完全に封じられている。作者のストイックというよりもラジカルなドキュメンタリストとしての意志を感じた。その真っ当さに感動した。
 
2014/3/12
二代目高橋竹山(佐々木幹郎とのコラボ)を渋谷「サラヴァ東京」で聴く。「集合的無意識」という観念的な言葉がある。その「集合」という言葉が具体的な人格と人称を纏って、竹山の身体のなかから立ちのぼり、「南部牛追い唄」を「相馬節」を唄う。つまり竹山個人の声、芸ではないのだ。ある時代、ある地域の共時的な生者達の折り重なった声、死者達の折り重なった声。それが竹山の身体の中から立ちの昇る。そのことに気付いた瞬間のゾッとするような戦慄、驚愕。
 
2014/3/1
「彼女を見ればわかること」をj.comで観た。日常からほんの少し、哀しさ、やるせなさ、恋しさの領域に踏み出してしまった女達の短編オムニバス。その、ほんの少しの距離の踏み出し方と、エピソードの締めくくり方が軽くて、実にいい。しっとりと心に届く。こんなふうに日常を取り込んだ素敵な映画を仲間達と作りたいな。取りあえずアマゾンでDVDを買おう。
 
2014/2/11
K's cinema の Hal Hartleyシリーズ、最後(僕にとって)の「シンプルメン」を観た。
やはり期待を裏切らない。4作全部、大収穫。教えてくれた寺田裕に感謝!
不思議な作家だ。扱う筋立てはけっこうウケ狙いのクライム・ストーリーなのだが、端正でストイックな手法をラジカルに追求している気がする。ストイックで端正なぶん地味なのだ。
"Simple Men"でも、普通、作品の中で、主人公に関わる人物や出来事は、主人公の物語に都合良くおもねって、私小説的に(主観的に)語られてしまうものなのだが、Hartleyはその甘えをキッチリと拒絶する。主人公が出会う他者や外界がクールに、よそよそしく、主人公から自立している。いきおいそれは主人公をカオスの中に(或いは違和の中に)投げ出すことになる。感情移入やカタルシスを期待する観客はそこで突き放される。とりとめのない筋立てを観てしまったような困惑を覚える。   Hartleyはその方法を確信犯的に選んでいると思う。
勇気を与えてくれる作家だ。
 
2014/2/10
Hal Hartleyの"Meanwhile"「はなしかわって」を観た。やはり佳い。じつにリアルに、軽く、深く、せわしなく、じっくりと、無責任に、篤く、さまざまな他者と関わる男の一日に、映画は、じつにリアルに軽く深くせわしなく無責任に篤く寄り添って、描いている。ラストシーンは死を覗き込むある女を覗き込もうとして、自身が危うく死を覗き込んでしまうという言葉遊びのような落ちがつく。地味だけどラジカルなスタイルを試行した映画だ、と思う。
ハートリーから学ぶべきは、一人の男の他者との関わりをしっかり描きながら、同時に、他者達の一人の男との関わりをしっかり重ねて描く劇作法だ。"The Unbelievable Truth" でも感じたことだが、彼には、天性の人間の関係を複眼的にとらえる感性がそなわっている、と思う
 
2014/2/3
Hal Hartleyの「愛・Amateur」を観た。「私が誰か知らない」という一人称の記憶喪失逃走物語はFBI物アクションサスペンスの定石だが、「自分が誰なのか知らない貴方を、誰なのか私は知っている」という二人称の場の関係に移し替えたことで、実にしっかりした骨組みの美しい恋愛劇に仕上がっている。そのお陰でラストシーンのイザベル・ユベールの台詞が実にいい、魂にとどく。
 
2014/2/1
劇団の仲間、寺田裕に教えられHal hartleyの"The Unbelievable Truth"を観る。感動!映像に才気走った気負いがまるでない(むしろ二流アメリカ映画の郊外メロドラマみたい)。にもかかわらず複眼的な人物描写とドラマ展開が実にいい。作品に深みとスカッとしたひろがりがある。シリーズ上映なので残り三作も観るぞ!
新宿K's cinemaにて2月28迄”Unbelievable””Simple Men" "Amateur"を順不同で連続上映
 
2014/1/30
ブッツアーティーの短編集(岩波文庫)の冒頭の「七人の使者」、ある意味でベケットの「ゴトーを待ちながら」に通じる衝撃がある。(生の暗がり・不分明な領域に、寓話で踏み込んだような)
 

Twitter(2011年/5/28日〜13年) 

2011/5/28
今日Twitterをはじめた。

 
2011/5/31
Twitterって何? 今日まで僕という内部でつぶやき続け来た孤独な行為にいきなり風穴を空けて、娑婆の風に晒せと言うのか? それはいい、面白そうだ。ただこれだけは(相変わらず外に向かってではなく内に向って)手離してはならないような気がする。単独者の姿勢。
Twitterを始めるにあたって「単独者の姿勢」なんてキザな形に拘ったのは、自分の死後に読むであろう読者の目だけを意識して日記をつける作家や詩人と同じ欺瞞を犯したくないからだ。でもそれってけっこうむつかしい。これまでニュートラルに呟やいていた呟きを意識せずに公開しようと意識する?

 

2011/6/30
戯曲を書き上げた自分のご褒美に、今年はノルウェー製のバランスチェアを購入。例の膝と腰で支えて座るやつ。今まで「新しい物好き」と笑われるのが嫌で我慢していたけど、考えたら70年代に発売されたのだから、今や「古い物好き」だよね。



2011/10/3
なぜ、今になって、これほどまでに「源氏物語」に魅せられるのか? そうなのだ、「意識の流れ」なのだ! 季節、運命、女達への移ろいが、ゆったりと、ありありと、ひしひしと、総ての帳を通して流れている。ジョイすやバージニア・ウルフの主人公の意識のように超リアルに!


2011/10/23
竹内君と二人で志俄さんとに舞台音楽をお願いするという贅沢な作業がさっき終わった。最後はスカイプで御礼を言うという初体験。感謝! 考えてみたら明日の稽古も、総ての稽古場の作業も劇場の本番も、俳優・スタッフとの恊労作業全部が贅沢の極まり。

 
11/5
初めて津島佑子を読んだ。「黙市」。どっぷり嵌った。ゴーマンこくと同じ血族の味がする。しかも女の! 来年の芝居の種にとことんしゃぶってやろうと決めて、アマゾンで8册まとめ買い。

 
2011/11/9
本番1週間前。1から5までの総ての場から嘘をなくすこと。(嘘の場からもその嘘に嘘をつかないこと)

 
2011/12/8
岩佐寿弥監督のOROの0号試写を観る。全てのカットとシーンがたくまずして必然!文句無しに感動!


 
2011/12/12
マイク・リー監督の「家族の庭」を観る。ぼく等(?)は世間の良識を彼岸に据えて、その彼岸に向かって毒づくことで、作品を作ってきた。この作品は完全に世間の側、良識のただ中に居座って物語を紡いでいる。そして成功している。なんなんだ!

 
2012/1/11
今年は津島佑子に力を貰って今年の芝居を考えている。それにしても島津の「あまりに野蛮」は凄い!登場人物、死者、神話の主人公等が時空を超えた幻夢と希求と狂気の場に折り重なって動き出す最終章の言語のポリフォニーは圧巻!美しい!ジョイスの「死せる人々」の最後のページに匹敵!

 
2012/2/18
津島佑子「葦船飛んだ」「黄金の夢の歌」「山を走る女」「真昼へ」、表出の価値を支えているのはすべて驚くほど同じ要素。現実(息子の喪失)、夢、神話(種族の希求)をレイヤーのように重ね、その増幅された場所と時間の中で語りの重奏の音量を極大にまで上げる。終章で。それが読者の魂を震わす。

 
2012/2/8
最初の台詞は限りなく軽く透明なはずなのだ。台詞そのものがあらかじめ意味や価値をおびている訳ではない。その台詞が微かな風を舞台に起こす。その風を受けて第二の台詞が発語される。そしてその風を受けて、第三の・・・。そのようにしてゆっくりと舞台の上で何事かが生まれ、動き始めるのだ。

 
2012/2/13
「ニーチェの馬」を観る。凄い。6日間の強風の中で父と娘のただ生きるという行為が裸型になるまで剥ぎ取られてゆく。

 
2012/4/23
ハネケの「白いリボン」「CODE UNKNOWN」「TIM OF THE WOLF」をまとめて観た。
モダニズムとポストモダニズムの違いを「樹」に喩えた表現がある。モダニズムは樹の姿を横から眺め、時間軸にそって、地下に根を張り、幹を伸ばし、枝をひろげて葉を茂らせて花と実を結ぶ物語としてとらえるという。かたやポストモダンは、樹の根を地中で水平にスライスして、輪切りにされたその地下茎を真上から覗き込む。そこには正確な集合体としての円形の図柄があるだけで、時間軸に沿って発展し成就される物語はないのだ。
ハネケの作品群は物語ることをどこかで拒否している。正確な、時代描写「白いリボン」。都市にカオスとして息ずく民族問題と個の孤立感(CODE UNKNOWN)。限界状況における集団の生成のリアリティー(TIM OF THE WOLF)。物語ることをやめたしたたかな映像から、細やかにふるえる魂の存在感や、焚き火を背にした少年の裸像が、強烈に、限りなく優しく浮かび上がるだけなのだ。

 
2012/12/5/13
俳優修行時代、地下室にトレーニングルームのある家を25歳までに持つのだと野心と虚栄に目の前を暗くしていた。いま、週に3回、1日300円の区の施設でこんな優雅な時を過ごせる。ずいぶん遠回りをした。
 
2012/8/2
「不倫期限」、久々にhttp://t.co/UEFo2SFqで掘出しもの。冒頭のベッド・シーンから最後まで台詞が圧倒的にいい。こういうしっかりした作品をじっくり作ってる映画作家がヨーロッパにはいるんだな。こんな台詞が上等な映画はベルイマン以来、いや、以上。
 
2012/12/25
奥泉光の「虫樹音楽集」久しぶりに上質の小説に出会った。というよりすごい。作品のなかに出てくる”Indifference"には60年・70年を生きた世代の僕は共感できないが、末世思想的な憂鬱と、しみ通るようなリリシズムの充満する文体から届いてくるメッセージは、重たくたしかに受け止められる。来年の戯曲は案外この作品から養分を貰えるかも。この時期、相変わらず人さま頼り。
 
修正
読みかけで書いた感想『奥泉光の「虫樹音楽集」久しぶりに上質の小説に出会った。というよりすごい。作品のなかに出てくる”Indifference"には60年・70年を生きた世代の僕は共感できないが、末世思想的な憂鬱と、しみ通るようなリリシズムの充満する文体から届いてくるメッセージは、重たくたしかに受け止められる。来年の戯曲は案外この作品から養分を貰えるかも。この時期、相変わらず人さま頼り。』の中の「作品のなかに出てくる”Indifference"には60年・70年を生きた世代の僕は共感できないが」を「虫樹音楽集」を読了して、急いで修正する。むしろ「虫樹音楽集」は70年代の強烈なオマージュだ。参りました。
 
2013/1/5
「ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トール・テールズ」・金井美恵子を読んだ。コルトレーンの奏法にシーツオブサウンドというフリージャズにつながる奏法がある。シーツを幾重にも敷き詰めたように幾つものトーンを端から舐め回すように重層的に吹きまくるのだが、今回の金井の文体はそれを連想する。幾重にも枝分かれした鍾乳洞の袋小路の壁面を、かた端から虱潰しに辿るような濃密な描写が、記憶の断片が延々と折り重なり果てしなく続く。すると、その厚い雲の下に突然、一人の男の、或る家族の生の貌が、細やかな輪郭が、驚くほど生き生きと姿を現すのだ。プルースト、ジョイス、バージニア・ウルフに繋がる凄い実験小説(説得力のある)だと思う。出会えてよかった。
 
2013/1/14
泉鏡花の「清心庵」(「泉鏡花集」1巻)を偶然読んで雷に撃たれたように痺れた。これぞ明治文学の怪しさの極致。100年前の日本の小説がこれほど凄いとは! 今年は6月まで芝居書きと平行して鏡花にのめるぞ! 
 
2/1
泉鏡花。300作品以上の内のまだ11編ほど短編を生まれて初めて読んだだけだが(「新編泉鏡花集1」岩波)、恐ろしい作家だ。僕にとって日本近代文学の中での漱石、鴎外の位置と意味が、この半月で、まるっきり変わってしまった。近代に対する向き合い方と仕事の質が鏡花の場合、二人とはまるで違うのだ! 凄い!
 
2013/2/17
「塀の中のジュリアス・シーザー」を観る。イタリアの囚人達が塀の中の劇場で演じるシェイクスピア劇の実録映画。条件は揃っているのに、作り手(映画の)が力不足でつまらない作品になってしまった。期待していただけに最悪。
 
2013/2/28
今年のアカデミー主演女優賞「世界でひとつのプレイブック」のジェニファー・ローレンス。久々に異議なし。美人でもなければお墨付きの名演技でもなく、それでいて一本通ったいい芝居してたもん。
 
2013/3/20
たった今終わった「相棒」最終回、(観た人にしか分かってもらえないけれど)事件解決後の外国スパイが騙した女に残した置き手紙の中身が実にいい。秀逸だった。当たり外れはあったけど、「相棒」けっこういいシリーズだったな。
 
2013/3/22
今回のハネケの「愛、アムール」は頂けない。ハネケにしては珍しく、現実の重い題材にほとんど涙ぐむほどに寄りかかりすぎ、センチメンタルに淫していると、僕は思う。いつもの彼の実世界への悪意に近い挑戦的な意匠・企みがどこにもない。巨匠ボケしたのだろうか? エマニエル・リヴァの演技にしても、重度要介護の病の進行を限りなく精密に模倣する演技術って、いったい何なんだろう? 悠木千帆(旧姓)がコマーシャルでアルツハイマーの老女をじぶんの演技力に陶酔しながら演じて見せる演技とどれほど違いがあるのだろうか? 俳優って悲しい性(さが)だな。
 
2013/4/2
泉鏡花の「菎蒻本」は恐らく痴情短編小説の極致ではないだろうか。それに比べたら荷風や谷崎の性描写などインテリの遊戯にすぎない。アポリネールの「一万一千本の鞭」など児戯に等しい。むき出しに危なく、病み、度外れて猥褻であるが故に聖性にまで昇華していると思う。
 
2013/4/6
残念ながらホモ関係には完全アレルギーだが、J-comで観た「ブロークバック マウンテン」は手放しに納得。情景の美しさと細部まで説得力のある描写に感動。僕にとって新たなお宝映像。
 
2013/5/5
大切な、大切な友人を亡くした。
 
2013/5/20
お上、或いは世間に刃向かう鏡花の姿勢、例えば「凱旋祭」「清心庵」。官費洋行帰りのハイカラ知識人、鴎外、漱石が敷いた明治文学の主流路線から隔絶した強烈な異端だと思う。その細い道を黙って引き継いだのは荷風・金子光晴・深沢七郎。たまらなく好きだな。
 
2013/5/25「ホーリー・モーターズ」を観た。恐ろしい映画だ。巨大な棺桶のようなリムジンから街に飛び降りては12の異なったキャラクターを24時間演じ続ける男の物語。いつしかスクリーンは悪意ある鏡に変わる。「ここに写っているのは日々他者との関係において異なったキャラクターを演じ続けているお前自身の姿だ。お前の生だ」と。もし若かったら手放しに感動しただろう。しかしこの歳まで生きた僕は「これがお前だ」と力尽くで突きつけるこの映画をムカツかずに受け取ることは出来ない。
ただ、カイリー・ミロノーグと主人公が演じる深夜の廃墟のホールのシーンのリリシズムはつくづく素晴らしい。
 
2013/5/28
 若い友人(遠山君)に薦められて、ソフィカル「最後のとき/最初のとき」原美術館を観てきた。開場の壁に埋め込まれた13の画面の中で7人の女と4人の男がそれぞれ海を見詰めている、その後ろ姿。やがて彼等はゆっくりと振り返り、僕に顔を向ける。彼等は全員盲人である。
 見えない瞳で僕を見つめる7人の女と4人の男。7人の女と4人の男の見えない瞳をのぞき込む僕。「目がすべてを語る」という言葉を裏返したなんという逆説的相互関係! そこから実に饒舌な沈黙の言葉が生まれた。
 
2013/6/29
先日upした僕の発言に重大な誤りががあることを、最近知り合った若い友人O君(遠山君ではない)に教えられた。訂正しないと。成り行きを初めから。
和田  ソフィカル「最後のとき/最初のとき」原美術館を観てきた。開場の壁に埋め込まれた13の画面の中で7人の女と4人の男がそれぞれ海を見詰めている、その後ろ姿。やがて彼等はゆっくりと振り返り、僕に顔を向ける。彼等は全員盲人である。
 見えない瞳で僕を見つめる7人の女と4人の男。7人の女と4人の男の見えない瞳をのぞき込む僕。「目がすべてを語る」という言葉を裏返したなんという逆説的相互関係! そこから実に饒舌な沈黙の言葉が生まれた。 
O君  作品のこと… “美しい誤解”ですね。
「海を見る」は、盲人ではなく(!)、一度も海を見たことのない人々(晴眼者)を集め、目隠しして海辺まで誘導し、彼・彼女らが海を「初めて見た」その様子を記録した映像作品だそうです。
 対して2階の展示は、盲目の人々が失明する前に「最後に見た」風景や記憶を語る「最後に見たもの」。
「初めて見る」体験のダイナミックさと、「最後に見た」切実な記憶を対照させることで、視覚や知覚について考えさせる展示なのだと思います。「最後のとき/最初のとき」という展覧会のタイトルにもそれが表れています。
 …でも、和田さんがおっしゃる様に、海を見るあの人々が盲目だとすると、まったく違う解釈や物語が生まれて、それはとても刺激的です。その意味で、この上なく美しい誤解だと思うのです。
和田   わぁ! なんという勘違い! いろいろな人を巻き込んでしまった。僕の迂闊です。思い込みですっかり出来事(作品)を作って享受してしまった! 困ったことに後戻りがきかない。とにかくお詫びです。
以上
 
2013/7/25
明日。14日、渋谷アップリンクで20時30分から「叛軍No4」を上演します。上演後僕が少し話します。まだ観てない方、どうかお越しを! 70年代の怪作です。
26日15時からは同作品上演後、最首悟氏が語ります。
 
2013/7/25
演劇ユニットG.conの「聯綿」初日を観た。
男と女のテーマを扱う際の男性固有の含羞と韜晦が前半、男性三人組のナンセンス演技となってオブラートのように劇表現を包む。やがてその包みが溶解し、女達のしたたかな表現がこの芝居の本領を剥き出しににする。スケールの大きい骨格のしっかりした芝居だと思った。幕開きの崖の上から森に石を投げるシーンと最終幕で街に石を投げるシーンが対を成して秀逸だと思った。佐藤晃子の全裸のラブーシーンが圧倒的に美しい(得をした!)。
 
2013/7/27
追悼岩佐寿弥シリーズ上映会が昨日終わった。締めくくりに語るはずの最首悟氏が体調不良で、彼のメッセージを僕が朗読した。その後の代島治彦・福富哲雄両氏・僕の三者トークの結びに、開場にいらっしゃった岩佐夫人に是非とも一言、僕から挨拶すべきだったのだ!「寿彌氏が全映像を作り続けている間中、文字通り彼を支え続けてくれてありがとう!彼の全作品がこうして日の目を見たのは貴女のお陰です」と。一番大切な時に一番大切なことを失念してしまう僕の天性の粗雑な性癖を今回も露呈してしまった。後の祭り。
 
2013/7/27
岩佐夫人から、彼女が岩佐氏のために一番大切にしていたという夏の上着を形見分けに貰った。コレジアというテーチ木と泥で染めた物!
 
2013/7/29
音楽家の志蛾慶香氏に依頼した劇中の馬鹿囃子のリズムが今日送られて来た。感謝! 凝りに凝って馬鹿囃子の茶碗を叩くだけの作曲を彼女に依頼するとは何と贅沢な演劇組織「夜の樹」! 今年の11月公演の成功、疑いなし! 
 
2013/8/4
白馬に大駱駝館公演「黄金の夏」を観に行って来た。言葉の無い舞踏は、神話大の物語を自分の中に勝手に妄想して観守るしかない。
思春期の少年がしたたかな少女たちに翻弄される通過儀礼の後の「再生の物語」。その通過儀礼の中でのセクシアルな男と女の関係のマイムと群舞それ自身が一つのテーマとして、「滅びと再生の物語」として、舞台上にせり上がってくる。やがてそのセクシアルな葛藤そのものがさらに大きな何ものかの「再生と滅びと、再再生の物語」として、さらに大きなテーマとして、舞台上に充満する。圧倒的な黄金の乱舞として!
麿赤児のとめどない優しさとアナーキーなまでの破壊のエネルギーが一体化した壮大な混沌の群舞を、白馬の夜の野外で満喫しました。感謝。
終演のあと、駱駝館合宿先での打ち上げに参加させて貰う。新船洋子女史、麿氏の過分な持て成しを受け、嬉しくも恐縮。
 
2013/8/11
山田せつ子のダンスをD倉庫で観た。
例えばバタイユのような思想家が自己言及型の思索を(しかも己の記述方法そのものを疑うような記述方法で)記述したら、ほとんどの同時代人は「なんのこっちゃ」と呆れて黙殺するのだ。
しかし、優れた舞踏家が1時間、踊っている己の身体とは何か、その身体による表現とは何かと苦行僧のように模索しながら、己に問い続けながらだだひたむきに踊ると、その行為そのものが表現となり、100人の観客が4度のカーテンコールをするほどの感動を生み出すのだ。づるい!
 
2013/8/18
前橋文学館で佐々木幹郎と小室等のコラボ。 
「見開きページに印刷された優れた詩は文字の外の余白が輝いて見える」「一行の文字の下にその行の重力が積もり、その蓄積されたエネルギーが次の行に働きかける」と佐々木幹郎。
小室等は尺八と琴とウクレレの深い音に包まれて柔らかに佐々木の詞を歌った。
 
2013/8/29
「花様年華」をDVで観る。この魅力と奇妙な懐かしさはなんだろう? 徹底して生理的で主観的な映画なのだ。良質な日本の私小説にどこかでつながっているのだろうか。
 
2013/8/30
漫画「ミラーさんとピンチョンさん」。ラジカルで、骨っぽくって、哀しくって、笑える。一コマ漫画の秋竜山を優れたストーリーテラーにしたような作家。最高! ヘンリー‥ミラーとトマス・ピンチョンに絡めた蘊蓄など、どうでもいい。ただ佳い。
 
2013/9/14
「私の意識の集合体は破壊されている」と自らを語る一方で「肉の中に心がある,稲妻のような速い心が」と宣言するアルトー。言葉と身体で人間の関係性を舞台で表現しようと志す俳優にとっては、魅力的で示唆に富むが手のつけようのない言葉である。そのアルトーの劇を聾唖者の集団が演じる演劇実験室「千里魚眼」の「還ってくるアルトー」を、13日観た。衝撃を受けた。しかしさすがアルトー劇、一日経っても僕のなかで、何に心を動かされ何を受け取ったのか、収拾がつかない。
 
2013/10/15
たいへん大雑把で申し訳ないが、ぼくは大島渚を、大所高所から作品を作り上げるような気がして好きじゃない。サルトルの演劇活動みたいで。好みとしては生のただなかで惑い、藻掻きながら、止むにやまれず表現してしまうような作家の営為に身を寄せて共感したいのだ。
 
しかし今回の小野沢稔の「大島渚の時代」は好きだな。論者小野沢自身が丸腰で、退路を断って、大島を論じているのだ。ふだん「大義」の為に大損ばかりして貧乏している彼が、この本で少しお金持ちになりますように。
 
2013/11/14
「ハンナ・アーレント」を観た。人が人として生きることに身を寄せて独りまっとうに思考することの強さと優しさが、ハンナ・アーレントに扮するバルバラ・スコヴァの演技から過不足なく伝わってきた。劇中「イスラエルへの愛は?同胞に愛はないのか?」と問われて、「一つの民族を愛したことはない。ユダヤ人を愛せですって?私が愛するのは友人、それが唯一の愛情よ」と答える。ハンナ本人の言葉なんだろうな。
いいな!
 
2013/12/4
若い友人に教えられ、ジョセフ・クーデルカ写真展を近代美術館で観た。初体験なのだ! 凄い! 凄い! なんという作家だ! また財産が増えた。感謝 
 
2013/12/16
隔月に一帖ずつ、山下智子氏が京言葉で語る「源氏物語」を昨年の12月から明大前のキッド・アイラック・ホールに通って聞いている。昨日は「藤袴」。二月に一度の贅沢な時間。
 
「バートン・フィンク」を観て感動。コーエン兄弟の作品だからきっと皆しっているんだろうな。僕は郡司ペギオー幸夫の「生きていることの科学」の中で教えられて今夜が初体験。文句なしに感動。映画でしか、特にスクリーンという表現素材とからくりでしか表現できない傑作だね。映画って作品が作れるんだ。映画というジャンルに初めて嫉妬。
 
2013/12/27
澤田さんに薦められた「ビッグ・リボウスキ」を観た。バートン・フィンク」と続けてみたジョン・グッドマンの演技につくづく惚れた! 渥美清亡きあとの日本のベテラン喜劇役者と比べて(比べるだけ余計か?)芝居に卑しさが微塵もない。ただただ底抜けにぶっ飛んで、芝居を楽しんでいる。そして突然、目力(めじから)が往年のオースン・ウエルズになる。オースン・ウエルズから余計な自意識を除いたような最高の俳優だ。

 
 

「アンナ・カレーリニナ」ノート(20146月Twitterより)

 
2014/6/5
「アンナ・カレーニナ」ノート(1)
 ながいことトルストイを敬遠していた。高校時代に「真の(永続する)幸福を得るためには自己ではなく人類を愛せよ。」というあまりにも真っ当な「幸福論」を読んで拍子抜けし、二度とかかわるまいと決め、トルストイとは真反対であろうと当たりをつけ、罪の匂いのするドストエフスキーに走った。今回、ふとした縁で初めて「アンナ・カレーニナ」を通読し、なんて迂闊だったのかと、愕然とした。たしかに真反対であるが、トルストイはドストエフスキーの極北、いまの僕には大切なすごい作家であることに気がついた。
 あんまりなので、はたの迷惑かえりみず、思いつくまま「アンナ・カレーニナ」ノートを小刻みにつけることにした。
 
「アンナ・カレーニナ」ノート(2)
 アンナだけが主人公なのではない。物語はリョーヴィンというもう一人の男の物語と交互に折り重なって展開して行く。しかも二人は蔦のように登場人物の絡み合った全8部の長編物語の中で、第7部10章で初めて一度だけ出会うのだ。この奇妙な構成に異を唱える批評家がいるようだが、じつに緻密に仕組まれた構成だと思う。(時代的にはエイゼンシュタインとどちらが先なのだろう)ここには巧みなモンタージュ手法が使われている気がする。「アンナ・カレーニナ」はリョーヴィンという白い布のうえに置かれたアンナの物語、あるいはアンナという黒い布の上に置かれたリョーヴィンの物語なのだ。
 
2014/6/8
「アンナ・カレーニナ」ノート(3)
 「アンナ・カレーニナ」はリョーヴィンという白い布のうえに置かれたアンナの物語、あるいはアンナという黒い布の上に置かれたリョーヴィンの物語だと、作品のモンタージュ効果の感想を僕は記した。しかし、それは物語の前半ではそのように読み取れない。なぜならリョーヴィンは物語の中でゆるやかに成長(変容)し、アンナ及び彼女を巡る二人の男は各々自身そのままの立ち位置で(自己変革・変容)なしに他者との関係・運命に突き動かされて、まっしぐらに悲劇を演じるからだ。つまり物語の出だしにおいて、リョーヴィンは過大なプライドとその裏返しのコンプレックスを抱えた情緒不安定の意識過剰な小心者として登場する。一方のアンナ三人組は持ち前の美貌・優越性・特権を身に帯びながら、颯爽と登場し、行動する。むしろ僕が読み取ろうとしているリョーヴィンの「陽」とアンナ達の「陰」とは別の意味だが、陰陽逆の位置から両者は出発するのだ。
では、リョーヴィンの「陽」とアンナの「陰」とは何か?
 
2014/6/10
「アンナ・カレーニナ」ノート(4)
「こんな街、わたしはさっぱり見覚えは無いわ。なんだか坂があって、どこもかしこも建物だらけね・・・。しかもどの建物にも、人がいっぱい住んでいるんだ・・・」「あら、子供を連れた女の物乞いだわ。あの物乞いも、自分はかわいそうだと思っていることでしょう。でもわたしたちはみんな、ただお互いに憎みあい、自分と他人を苦しめるだけのために、この世に放り出されたんじゃないかしら? 中学生たちが歩いている。笑っているわ。」(第7部30章)
 ヴロンスキーとの破局の葛藤を心の中で反芻しながら呟くアンナのモノローグに、とつぜん挿入される場違いな語句だ。文庫本ほぼ6ページに渡るモノローグの「意識の流れ」の描写の末に、アンナはモスクワ郊外の駅で列車に身を投げる。挿入されたこれ等の断片的な語句は、走る馬車の中の、追い詰められ、絶望し、憔悴したアンナの眼に映った風景だ。風景が、日常から薄く剥離している。よそよそしいもの、異和として彼女をつつんでいる。
 衰弱したアンナの心象風景を呆れるほど見事に描写したトルストイの手腕だが、じつはそれ以前の、自信に満ちて生を謳歌していたアンナの、他者・風景・世界に対する関係の取り方に、すでにこの「異和」の兆しは埋め込まれているのではないか? アンナの生き方の根に。 
 アンナ、恋人のヴロンスキー、良人のカレーニンの三者に共通する他者・風景・世界に対する関係の取り方が物語の中には埋め込まれているのではないか? つまり、リョーヴィンの他者・風景・世界に対する関係の取り方の対極として。
 
2014/6/12
「アンナ・カレーニナ」ノート(5)
 ルパート・シェルドレイクが33年前に書いた「生命のニューサイエンス」という「ネイチャー」から焚書ものと糾弾された本を、先日読んだ。そこに現在の複雑系の学説に通じる魅力的な仮説がある。ある生物の固有の形態や、同種から受け継いだ本能(例えば帰巣本能)は、あらかじめDNAなどによって体内に埋め込まれたものではなく、例えば鉱石ラジオが外界の電波に同期(共振)するようにして獲得するのだという。自らの内部にあらかじめある単純な波形を持っていて、それに共振出来るようなより複雑な波形を待ち構え、それに共振することで、本能、形質、進化を獲得するのだという。この「共振」というかたちを、人は他者・風景・世界を受け入れ、種の進化に近いかたちで自己の確認・認識・変革のきっかけにしているのではないか? 少なくとも僕等が何かを新しく感知し、その意外性に驚き、感動しながら自己の内部に受け入れる心の仕組みとして、この「共振」という仮説を援用することが出来るのではないか?
 
2014/6/13
「アンナ・カレーニナ」ノート(6)
『「ぼくは前からあなたにうかがいたいことがあったのです」
キティーのやさしい、ただちょっと怯えたような目を、彼は正面からみつめた。
「あら、どうぞお聞きください」
「では」そう言うと彼はチョークで単語の頭文字だけを書いていった。『あ、あ、ぼ、し、こ、そ、で、い、あ、ぜ、い、そ、あ、だ?』これは次のことを意味していた。「あの時、あなたは、ぼくの質問に、答えて、それは、できませんと、言われましたが、あれは、絶対にという、意味ですか、それとも、あの時、だけですか?」こんな複雑な文がキティーに理解できる可能性は、まったくなかった。しかし彼は、彼女がこの言葉を理解してくれるかどうかに自分の人生がかかっているという顔つきで、じっと相手をみつめていた。』
ところが、キティーは『頬を染めて「わかりまいたわ」』と答え、完全に理解するのだ。
次に、彼女が「どうぞ、これを読んでください。わたしが願ってることを書きますわ。心から願っていることを!」と言って書いた頭文字「も、あ、あ、こ、わ、ゆ、く」をリョーヴィンは瞬時に理解するのだ。『それは「もしも、貴方が、あの時の、事を、忘れて、許して、くださったら」』(第4部13章)
 
2014/6/14
「アンナ・カレーニナ」ノート(7)
上の引用は、リョーヴィンとキティーが二人きりになった客間のカード・テーブルのスコアボードにチョークを使って互いの愛を確認しあう場面である。
二人の想いがいくら昂揚し、トランス状態に陥っているとしても、この描写は読者の意表をつく。まさか、あり得ない、と思う。しかし、トルストイは恋人同士にはこのような「共振」が成立するのだと、確信をもって僕等に伝える。
上の例は極端だが、ある意味でリョービンは物語の中を、悩み、彷徨いながらも、他者を、世界を、このような「共振」によって理解し、受け入れながら進んでいくのだ。 
『今日初めて彼は、イワンとその若妻との間柄を見て受けた印象にとりわけ影響されてしみじみと一つの感慨にうたれたのだった。』『聞こえてくるのは小止みなく沼で鳴き交わすカエルの声と、早暁の草原に立ち込めたもやの中で馬が立てる鼻息の音だけだった。ふとわれに返ったリョーヴィンは干草の堆から起き上がり、星空を見渡しで、夜が明けたのを知った。』(第3部12章)
 
2014/6/16
「アンナ・カレーニナ」ノート(8)
 そして、このようなリョーヴィンが物語の最後に次のような認識に辿り着く。認識ではない、啓示に。
『興奮のために息切れがして先へ行く力の尽きた彼は、道を外れて森へ入り、まだ刈られていない牧草にヤマナラシの影が落ちているところに坐り込んだ。
「いったい理性の力によって、隣人を愛すべし、殺すべからず、という結論に至ったとでも言うのか? あれは子供の頃そうしたことを人から言われて、喜んでそれを信じたのだ。なぜかと言えば、言われたことがすでに自分の心の中にあったからだ。では誰が教えてくれたのか? 理性ではない。理性が教えてくれるのは生存競争であり、自分の願望の充足を邪魔する者はすべて殺してしまえと要求する法だからだ。それが理性の結論だ。他人を愛せという結論は理性からは出てこない。なぜならそれは不合理だからだ。」
「そうだ、理性は傲慢だ」ごろりとうつぶせになると、草の茎を慎重に折らないように、結びながら、彼は自分に話しかけた。
「しかも単に傲慢なだけではなくて、理性はおろかだ。そして大事なことは、理性はまやかしを、そう、まやかしを行う。まさしく理性はペテン師なのだ」彼はそんな言葉をくりかえした。(第8部12章)
 
2014/6/18
アンナ・カレーニナ」ノート(9)
リョーヴィンの生の対極に、アンナと彼女の夫カレーニン、彼女の恋人ヴロンスキーの生があることを明かそうとして、以下の短文を引用するのは、僕の我田引水、アンフェアーな、三者へのあら探しのような気がしないでもない。注意深く読み返して選んだらもっと本質的な説得力のある引用が出来ると思うのだが、取りあえず引用する。 
アンナ『わたし一人で何が決められるだろう? わたしに何が判る? わたしは何を愛しているの?』(3部16章)
カレーニン『カッコカレーニンは出口は一つしかないと確信した。それは妻を手元に置いたまま、事件を隠し、あらゆる手を使ってこの関係を絶つことだった。それは、彼自身は認めるつもりはなかったが、妻を罰する手段でもあった。』(3部13章)
ヴロンスキー『彼は絵を理解し、正確に、雅致のある模写を描く才能があったので、自分には画家に必要な素質があると思いこんだ、そして』『どの流派を選ぶかでしばらく迷った末に、制作にとりかかった。彼はどの流派の絵も理解していたし、どれにも霊感を感じることができたが、しかし、絵画にどんな流派があるかなどぜんぜん知らなくともかまわないし、自分の描くものがどの流派に属することになるかなどということを考えなくても、心の中にあるものに直接霊感を受けることができるものだということは、想像できなかった。彼はそれを知らずに、人生そのものから直接にではなく、すでに絵によってあらわされた人生から間接に霊感を受けていたので、霊感の受け方もひどく早く、しかも容易だったし、描いた絵を、模倣しようと思った流派の絵にそっくりに仕上げるこつも、やはり迅速に、易々と会得した。』(第5部8章)〈ヴロンスキーの引用のみ工藤清一郎訳〉
 
2014/6/20
「アンナ・カレーニナ」ノート(10) 
 リョーヴィンに見た他者・風景・世界を生き生きと受け入れ、理解する能力は、じつは作者トルストイ自身の独特の資質ではないかと思う。次の引用は、ヴロンスキーの目を通したアンナの描写だが、そこから僕等が受け取れるのは、ヴロンスキーを差し置いて、作者そのもの筆力なのだ。 
『彼が振り返ると、彼女も彼のほうを振り向いた。濃い睫毛のために黒っぽく見える、きらきら光る灰色の目が、彼が何者か気付いたように、親しげに、注意深く彼の顔にとめられた、そしてすぐに、誰かをさがすように、近づいてくる群衆のほうへ移された。この束の間のまなざしの中に、ウロンスキイは抑えられた生気を見てとることができた。その生気は彼女の顔にたわむれ、きらきら光る目と、真っ赤な唇をわずかにゆがめているかすかな微笑の間を飛び交っていた。ありあまる何ものかが彼女の全身に満ち溢れていて、彼女の意志にかかわりなく、あるいは目の輝きに、あるいは微笑にこぼれ出たかと思われた。彼女は無理に目の光りを消したが、それは彼女の意にそむいてそれとわからぬほどのかすかな微笑の中に光っていた。』トルストイは、ヒロインの描写を生の最中において捉える。自然の中の、たとえば川の流れを、流れに沿って共に駆け下りながら捉えるようにして描写している。(第1部18章工藤清一郎訳) 
 またしても選ばれた相手にとっては迷惑だろうが、次の文と比べてみたい。 『このうえもなく深い嫌悪の色が、青年の繊細な顔をちらりとかすめた。ついでに言い添えておくが、彼は並外れた美男子で、美しい黒い目と栗色の髪、丈は並よりやや高く、すらりと整った体つきをしていた。けれども、彼はじきに深い物思いに、いや、もっと正確に言えば、何やら一種忘我の境におちいってしまったらしく、もはや周囲の眺めには注意を払わず、というより、注意を払いたいと思わずに、歩き出した。』(ドストエフスキー「罪と罰」第一部1小泉猛訳)
 
2014/6/23
「アンナ・カレーニナ」ノート(11)
物語の展開に一つ特徴がある。登場人物が何かの出来事を受け入れ、或いは、認識し、納得したあとで、かならず「揺り戻し」が起こるのだ。つまり登場人物達があまりにも直感的に、まるごと、過剰に受け入れた結果、本人自身がその行き過ぎに気付き、その直後に修正する。キティーが保養地で出会うワーレ二カ親子からの感化(2部30〜35章)、アンナとヴロンスキーの関係の齟齬、カレーニンのアンナへの許し(4部17章)、リョーヴィンの度重なる解悟、それらはすべてが醒めた現実によってわずかに揺り戻される。トルストイ独特の醒めた眼差しである。なかでも白眉なのが、リョーヴィンの兄ニコライの臨終の場(5部18章〜20章)である。リョーヴィンの妻キティーの介護によって実に感動的な安らかな臨終が訪れる。猛々しく荒んだ病者の改心、リョーヴィンの自身の無能と妻の美徳と行動力への感動的な再認識。ここで病者が安らかに死んだら、この章は出来すぎなくらい文句なしに幕を閉じられるのだ。読者も喜んでそれを受け入れるはずだ。ところが、ここで病者は死なない。じつに無残な小健を取り戻して、周囲を罵り、理想的な看護人キティーまでをも病人の死を願うほどに疲労困憊に陥らせて、三日後にようやく死ぬ。僕等が考える小説手法のリアリズムのその先の現実をトルストイは暴く。
 
2014/6/25
「アンナ・カレーニナ」ノート(12) 
どうやらこの「ノート」で僕はリョーヴィンの物語に肩入れし過ぎたようだ。しかし、例えばフロべールの「ボヴァリー夫人」を「アンナ・カレーニナ」の隣に置いてみる。同時代の一人の中産階級の女性の転落の過程を、まるで対象物を培養液に入れて分析するように冷徹に観察し写し取るような手際が、フロベールの小説技法だと思う。ボヴァリー夫人は作者の繰り人形である。対して、アンナの場合、ヴロンスキーとの恋、夫カレーニンとの葛藤、それらが破滅に向かうプロセス、そのすべてに於いて彼女は紛れもなく自前で生きている。つまり作中を作者に操られることなしに、じつに生々しく彼女自身の感性で生ききっている。そこがボヴァリー夫人との決定的な違いだと思う。遙かに大きい作品だと思う。なによりもボヴァリー夫人の心理描写を凌駕しているのが、主人公が自死に向かう道程の描写である。前にもふれたが、アンナが駅に向かう下りの心理描写は、ジョイスやバージニア・ウルフの世代が確立した意識の流れの先駆け、というより、それそのものなのだ。つまり小説「アンナ・カレーニナ」はアンナとリョーヴィンの二つの物語に於いて、俗な例えをすると「ボヴァリー夫人」の二倍を遙かに超える文学的成果だと思う。(我ながら大雑把な例え)
という訳で、この初めから終わりまで勝手読みの「ノート」もあと一回で終わろうと思う。
 
2014/6/26
「アンナ・カレーニナ」ノート(13)
最後に、本編の中でただ一カ所の濡れ場から引用する。僕の友人は「いかにもお前らしい」と笑うだろうが、真面目なのだ。50行ほどのセックス・シーンに、あからさまなセックスにまつわる単語が一語も使われていない。にもかかわらず僕はこれほど生々しく無残なほど剥き出しの性描写を他にしらない。
『彼を見つめているうちに自らの屈辱を体で感じた彼女は、もはやそれ以上何も語る言葉を持たなかった。彼のほうは、ちょうど自分の殺した死体を見つめている人殺しが味わうべき感覚を覚えていた。そして彼が殺した死体とは、彼ら二人の愛、すなわち彼らの愛の第一期に他ならなかった。これほど恐れるべき恥辱の代価がいったい何のために支払われたのか・・・それを思い起こすと、なにかひどく忌まわしいものが感じられた。むき出しに暴かれた自分の精神に対する恥ずかしさが彼女を押しつぶし、それが彼にも伝わった。だが死体を前にした殺人者の恐怖がいかばかりであれ、死体は細かく刻んでどこかに隠し、殺人によって得られた利益は享受するほかなかった。
 こうしておぞましさを抑えつつ、あたかも愛の対象に向かうかのごとく、殺人者は死体に飛びかかり、引きずり、切り刻んでゆく。』(五行略、別に伏せ字ではない)『彼は両膝をついて彼女の顔を見ようとしたが、彼女は顔を隠し、何も語らなかった。そしてついに自分を叱咤するように身を起こすと、彼を押しのけた。その顔は相変わらず美しかったが、それだけになおさら哀れを誘った。
「何もかも終わったわ」彼女は言った。「わたしにはあなたのほかは何もない。覚えておいて」』(第二話11章)望月哲雄訳
   「アンナ・カレーニナ」ノート 終わり